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心のあり方について今、一OLとして関わりたいと思うこと

初めて心のことについて知りたいと思ったのは、中学生の頃だった。
もともと自己表現が上手くなく自然とネガティブな捉え方が身についていった私は、親が苛々している時に発する強い言葉に過剰に傷つき、生きることにかなり絶望的になっていた。
人によっては同じ状況になっても全く気にしない人もいる程度の、些細だと言える人もいるくらいの出来事が、当時の私にとってはとにかく全て苦しいことのように映った。
そんな時にインターネット上の掲示板で同じような人たちと時間を共にし、様々な精神疾患やメンタルヘルスの問題について知った。

聞きなれない言葉を電子辞書で調べたり本を読んだり、そんな薄い知識をぺらぺらと携えながら、日々に絶望しながら高校生活に突入した。
そこでも状況は変わらず、親やクラスメイトと上手くいかないこと、よくわからないけれど他人より生きづらいと感じているようであることなどについて思いめぐらしながら、ブログと好きだった人だけを支えにして生きていた。
他の友達が「今病み期だわー」と言っているのを聞いたとき、病んでいない時というのが他の人には存在しているということに純粋に衝撃を受けたくらいには、なぜか毎日が苦しくて仕方がなかった。

大学に入って紆余曲折ありながらも、心理学を専攻として選んだ。
心の仕組みやその背景的要因についつより深く知りたいと思い選んだ心理学の道で、一番学んだのは正直研究のやり方や統計分析についてだったけれど、それでも人の過去の要素から現在への因果関係を解きほぐして生きやすくしていく精神分析の授業で扱ったものなどは、とても興味深く面白く感じた。

ただ、私は他人に対する興味が薄い。
自分に関しての関心度合いが強いのは人の傾向としてあるとは思うのだけど、その強さが平均的な人よりきっともっと強いのだと思う。
人間の仕組みという観点や自分に立ち返った時には知りたい気持ちが強い事柄も、現実の他人に対してその場でどうこうということが人よりかなりできなかった。
ストレートに扱ってきたことだけで考えたら臨床心理士への道もあったのだけど、他者を前にして言葉を並べなければいけない状況があまりに不向きに思えたことや、成績的なものもあってその道はやめた。

働き始めて5年、今は関連するNPOに所属しながら、人材育成まわりの仕事をしている。
その中で最近は特に、心理的安全性について関心がある。
まだこれから勉強したいことが具体的になってきたという段階で、これをどうやって取り入れていきたいかは明確になっていないのだけど、組織の中で心理的安全性を高めて働ける環境を整えることは、これから先正解がない時代が続いていく中でより必要になってくると思う。

心理学の講座に行くとよく、この場は安心・安全だから何を話しても大丈夫ということをはじめに強調される。
それは非日常だから比較的馴染みやすいことかもしれないけれど、普段の生活からそのような状態があるのは理想だ。
ただ現状、日常でそれができる環境はそんなに多くはないのではないだろうか。

正解がない時代を生きていく今、組織としても心理的安全性が高い環境をつくれないと存続し続けることが難しくなるんじゃないかと思う。
以前アドラー心理学の講座に参加した時も、従来正解が明確だった時代は通用したある種脅してやらせるようなネガティブなエネルギーでやれる時代はもう過ぎて、これからはポジティブなエネルギーで取り組むことでこそ結果が出せる時代がくるといったお話があった。

これから先よりよく生きるために、みんながそういうことを理解して尊重できるのは理想論だけど、それを少しでも叶えていきたい。
理解できる人を増やしたいし、その上でお互いを尊重し続けることで、色々なことに取り組める基盤をつくっていきたい。
一人のOLとして自分にできることを考えながら、私は今そんなことに取り組めたらいいなと思って動いている。

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