ラザニアをいただいた日、窓の外に大きなリスがいた
いつかの12月、ひとりでニューヨークを訪れていた旅の思い出である。
(前の記事はこちら、よかったらぜひ🍔)
旅の目的は、父の学生時代にホストマザーだった方に会いに行くことだった。「あなたのアメリカのおばあちゃんより」という手紙を添えてプレゼントをくれる方だったので、おばあちゃん、と書いていこうと思う。
しかし旅行の2ヶ月前に手紙を出すも連絡がつかぬまま出発当日になり、ニューヨーク一人旅を楽しもう、としていたのだが…
旅の数日目にして、おばあちゃんの娘さん(この方もお手紙をくださっていた。仮にナンシーさんとする)からメールが届いた。
「返事がとてもとても遅くなってごめんなさい。受信ボックスが間違っていたみたいなの。そして自宅のパソコンの調子が悪く、職場から連絡しています。ぜひ会いたい、あなたがもう20歳なんて信じられない!木曜日にお休みをいただいているのでその日なら会えるわ!それ以外の日が良ければ、前日に連絡をくれたらお休みを取るね。電話番号は…」
全て大文字のアルファベットで書かれたメール。
よく知ったお名前からの、はじめてのメール。
ドキドキして、両親に連絡した。ナンシーさんから連絡があった。明後日会いに行けることになったけど、会えないものだと思ってお父さんがおうちまでの経路を書いてくれた紙を家に置いてきてしまったので、すぐに写真で送ってほしい。
父と母からは、無理せぬように、今から調べると添えられて返事が来た。
メールで返事をしたかったがお返事がいつ来るかわからなかったので電話することにした。英語の先生以外と英語でちゃんと話すのもホテルの電話を使うのも初めてだったが、なにせ私は当時連絡手段をiPodしか持ってきていなかったので背に腹はかえられぬ。外線に切り替えるボタンを押して、ナンシーさんの番号を打ち込む。かかった。
「もしもし?」
ナンシーさんであろうか。初めて聞くお声は、なんだかとても優しかった。
「あの、はじめまして、夕立です…」
「ユウ!!ナンシーよ。お手紙と電話、ありがとう」
ナンシーさん!すごく嬉しかった。そこからしばらく話をして、木曜日、ご自宅まで会いに行けることになった。最寄りの駅で、ローズピンクのコートを着て待っているからね。ああよかった…会いに行ける…と一息ついた。
程なくして両親が調べてくれた経路が送られてきた。ニューヨークからは特急アムトラックで3時間半、長いと6時間。ち、近くない!と笑ってしまった。が、もう私には行く選択肢しかなかったので慣れない予約ページからなんとかチケットを取り、床に就いた。人生何が起こるかわからないが、だから好きだ。眠れないかと思ったけれど、案外すぐに眠りに落ちた。
当日の朝。
ホテルからほど近いペンステーションには沢山の人たちでごった返していて、ドキドキしながら乗りこんだアムトラックはすでに沢山の乗客がいた。USBの充電ができWi-Fiが通っていたので、特に本など買う時間もなかった私は嬉しかった(しかし日本が深夜だったので友人各位の更新がなく、なんとなく退屈だったのを妙に覚えている)。
都会を抜けて、窓の向こうは次第に雪景色に変わっていった。大きい木々に雪が積もって、絵本の中みたいだな…と思って新鮮だった。新鮮といえば、そのとき切符の確認にいらした女性の車掌さんは長い長いまつ毛にフューシャピンクのリップ、ドレッドヘアという出立ちでとてもかっこよかった。私の買ったチケットはどうやら合っていたらしい。
4時間ほど経って、目的地の駅に到着した。
が…ローズピンクのコートの方が、どこにもいらっしゃらない。確かにこの駅で待ち合わせだと言われたし、メモにもそう残っている。私は冷静でいようと努めつつうろたえながら待ち、待ちながらうろたえていた。おしゃべりしていた駅員のお姉さんたちに、ピンクのコートのご婦人はいらしたかと訪ねると本当に親身に接してくださり、駅の暖かい場所に座らせてくれた。
どのくらい待っただろう。
いらしたのだ。思った以上のローズピンクのコートに身を包んだ、ナンシーさんが。
「ユウ…ユウね!?ようこそ!!」
わーーー!!!っと駆け寄った。ただただ、嬉しかった。駅員のお姉さんたちもよかったね!と言ってくれてめちゃくちゃ嬉しかった。
そこから車でご自宅に向かい、暖かいお部屋に入れていただいた。リビングには天井に届かんばかりの大きなクリスマスツリーがあって、その近くに…おばあちゃんが座っていた。
真っ赤なお洋服を着て、口紅を引いた、白髪のご婦人。彼女こそ、父が学生時代にお世話になり、私に毎年プレゼントを贈ってくれていた、アメリカのおばあちゃんだった。
涙が出るかと思った。はじめまして、ようやく会えましたね、わたし、父に似てますか?と矢継ぎ早に挨拶と質問を繰り出し、ちょっと困らせてしまった。そんな私たちを、ナンシーさんとお手伝いさんが微笑みながら見つめていた。
イタリア系の移民でいらっしゃるというお手伝いさんは、昼食にラザニアを作ってくださった。切り分けられた大きなラザニアからは思わず吸い寄せられるみたいないい香りがしていた。ついいただきます、と日本語で手を合わせてしまった私に、おばあちゃんは
「あなたのお父さんも20歳の時、そこの席に座っていたのよ」
と言ってくれた。
父よ。私もあなたが夢を追ったのと同じ20歳になり、同じ席に座っているよ。一口食べたラザニアは絶品で、でも私は美味しいという語彙をほとんど持ってなかったから、デリシャス!デリシャス!と大袈裟に叫んでしまった。
ふと、窓の外を見ると、積もった雪に紛れて大きなリスがちょろっと走っていた。り、リス!?えーっとチップマンクいます!!!とめちゃくちゃびっくりしながら伝えたら、おばあちゃんが笑いながらあれはSquirrelだよ、と教えてくれた。大きいリスのことをSquirrelって言うらしい。銀色みたいな茶色の毛がふわふわでめちゃくちゃ可愛かった。あぁ非日常だなぁ、、羨ましいなぁ、、と今でも思う。
非日常といえば、お手伝いさんから「日本の新年は1月1日からなの?」という質問があった。もちろんそうです!と言いかけて、新年は1月1日というのは私にとって当たり前、言って仕舞えば日常だったけど必ずしもこの世界にはそうではないこともあるんだよな、と思い直した。
ひとつだけ後悔が残っている。
ご自宅にあったピアノを弾いてみる?と言っていただいたのだけど、なぜか、なぜか本当に恥ずかしくて弾かなかったのだ。今でもずっと引きずっている。なぜ音楽の仕事をしたいと願いながら、求められたのに届けることをしなかったんだろう。それ以来、そういう機会は出来るだけ応えるようにしている。もうおばあちゃんのピアノを弾くことはできないけど、あの時があったから人生で弾くピアノの機会は増えているだろう。
別れの時間が来た。
会えて本当に嬉しかった、あなたに会うのが夢だった、お招きしてくれてありがとう。言いたいことはたくさんたくさんたくさんあったのに、英語でなんて言えばよかったのかあんまりわかんなくて悔しくて悔しくて。おばあちゃんもナンシーさんもお手伝いさんもハグしてくれた。嬉し涙と悔し涙が混じったような涙を滲ませながら、大きなクリスマスツリーの前で写真を撮って、握手をして、ご自宅を後にした。
ついさっきナンシーさんと会えた駅まで車で送っていただいたが、帰り道はあっという間に感じた。本当にありがとうございました、どうかどうかお元気で、必ずまたお会いしましょう、と言いながら、アムトラックに乗った。さっき会えたことを一緒に喜んでくれた駅員さんは、もういなかった。
帰りの電車でも胸がいっぱいな割に退屈なときを過ごしていたが、いくつ目かの駅で軍服を着た方々が数名乗車してこられた。不躾にも私は、あ、終わった、と思った。テロに遭ってしまったのかと思ったのだ。
そのうちひとりの方は、私の隣の席だった。
私はきっと怯えた顔をしていたのだろう。
「心配しないで。僕たちはクリスマス休暇で家に帰るんだ。何も起きていないよ」と、とても優しく教えてくださった。
いろんな話をした。彼が様々な楽器を演奏するのが好きなこと。私といくつも歳が違わなかったこと。いろんな言語を学んでいて、いつか日本語も勉強したいこと。家族とガールフレンドとクリスマスをお祝いするのが、とても楽しみなこと。
あのとき彼に言われたことを、今でも時々思い出す。
「どんなに不幸でも、不幸な顔をしていなければ誰からもわかんないんだよ。だから笑顔でいるのが良い」
なぜそんな話になったのかまでは覚えていないけれど、人懐っこい笑顔の彼は色んなことを学んで考えることが大好きな方だったのだろう。お元気で、幸せでいてほしい。
気がついたらペンステーションに着いていて、あたりはすっかり暗くなっていた。
今でも母は、あの時の私の旅を「大冒険」と呼ぶ。思い返せば本当にそうだけど、あの時の私は一連の出来事がものすごく自然なことのように感じていたのがとても不思議だ。
実はその翌年、おばあちゃんは天国に行ってしまったと連絡があった。きっともうナンシーさんも、窓から大きなリスが見えたあのおうちにはいないのだろう。
会えたことの意味、何かを思い切ってすることの意味、そして生きる意味。それまではずっと先のことばかり考えてきた私だったけれど、今したいこと、にも思いを向けるようになっていった。あの時の私が、今行くんだ!と思ってくれなければ会えなかった人がいる。その事実が、あの時あって良かったと思っている。
人や仕事とのご縁は私を見知らぬ場所へと連れて行ってくれるし、食べ物の記憶は味や香りはその場限りでも文字通り血肉となって私に残り、季節が巡るたびに心を動かす。
だからお出かけすること、人と会うこと、食べることが好きだ。この冬もラザニアを作って食べては、茶色くて大きなテーブルと、おばあちゃんとナンシーさんとお手伝いさんの笑顔と、高いクリスマスツリーと弾かなかったピアノと、雪景色の中にいた大きなリスを思い出していた。
ラザニア、大好き。