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弱小ライター歴10年以上の私が「サルでもわかる文章」をあきらめた理由

 ライター初心者に向けたアドバイスの中でも「サルでもわかる文章を書け」というセリフは、もっともよく目にする内容ではなかろうか。このアドバイス、要は「読者が分かりやすいよう書くこと」を印象づけるために、あえて極端な表現にしたものだと思う。

しかし私個人としては、「サルでもわかるの“類”」の文章は率直に申し上げて、肌に合わないと感じた。そして今回の記事は、もしかしたらだいぶ独断と偏見になるかもしれないと前置きはしておく。

「サルでもわかる系ライター」に感じた不可解な点

レッテル貼りするくらい煽ります。

 サルでもわかる系ライターは、「〇〇をしている奴は終わってる」といったような、読者に焦りを覚えさせる手法が目立つ。このやり口は極端な話、詐欺や宗教の勧誘にも用いられる。

この手の系統のライターは、記事のタイトルからしても「読者を煽ってバズってやろう」という魂胆が透けて見えてしまい、読者を食い物にしているように私は受け取ってしまうのだ。

 ちなみに、どのライターのビジネス書でも、結構な確率で糸井重里氏がお手本として挙がると思う。これは、サルでもわかる系ライターが書く本も同様だろう。しかし彼らの文章からは、糸井重里の糸くずほどもその要素が感じられない。

読み手にとってわかりやすく書くことは大事だと思うが、「読者は馬鹿だから、読みやすくしなければいけない」という意識になってしまっているライターは、文章の節々に“書き手の残念な質”が出てしまっているように感じる。個人的にだが、ひ○ゆきアレルギーに通づる読後感の悪さを感じるのだ。

もちろん、この系統の文章を書いていて売れているライターは、たくさんいるだろう。しかしターゲットを絞るのがライティングの基本とはいえ、サルでもわかる系ライターの読者層は、あまり深掘りはしないが悪い傾向に偏っているのは否めない。

「サルでもわかる」に惑わされた末、自分は本来どんな文章を書いていたのか振り返ってみた

文章を楽しく書けてた時期は、初心を振り返るのに大事ダヨー。

 少なくとも元から文章力が備わっている人に関しては、「彼らの考えに迎合する必要はないのではないか? 」と私は考えた。

「元から文章力がある人」の一例として、少々おこがましいが私の場合で説明すると、作文や小論文などが評価された経験がある。その最初の経験として、小学生のころ、町内の小学校と合同で行った体育交換会の感想文を書くことになった。私は体育がめちゃくちゃ嫌いなので、イベント自体はイヤ〜な思い出しか残らなかった。

が、そんな本音は当然書けるわけがない。そこで何を思ったのか、私は「いっそ先生ウケを狙おう」と魔が差してしまったのだ。

そして書き上げた感想文を提出し、無事にそこで体育交換会が完全に終わるはずだった。しかし予想外のことが起こった。

私の感想文に目を通した担任が、ナゼかいたく感動してしまい、私のものだけ感情たっぷりにクラスメイトの前で読み上げられてしまったのだ。このときの私は評価されて嬉しい気持ちと、罪悪感が込み上げていたたまれない気持ちとで板挟みになっていた。

 …それはそれとして、子どもの時点で他人から評価される文章を書いているということは、すでに独自の強みを持っていると言えるのではないだろうか?

自分の得意を突き詰める

 また漫画家によくあるケースとして、本来得意なジャンルがあるにも関わらず、描きたいものが別にあって、それに挑もうとする漫画家を担当者が引き留める、といったことがある。

私も漫画家を志した時期はあったが、ギャグ漫画が得意なのにストーリー漫画を無理に描こうとして、結局形にならなかったことが何度もあった。しかし自分の得意不得意やキャパを理解した今では、二次創作で1Pのギャグ漫画ばかり描くようになった。このスタイルにしたら、だいぶコンスタントに作品をアップできるようになり、私の作品を好きだという人も見られるようになった。

これはおそらくライターにも通じる話で、本来自分がどんな文章が得意なのかを理解していないまま、その個性を無くしてしまうようなアドバイスを受け入れると、却って迷走してしまうのではないかと危惧している。

 私はライターとしての経験は長いものの、実績は浅い。しかし先日ツイッターで(プロフのリンクとは別垢で別名義)、そこそこ程度だがツイートがバズったのだ(※現時点だと800いいねは超えているが、思想強めで明るい内容ではないため、掲載は差し控える)。

しかもフォロワー数は、バズりだした時点で15人未満しかいなかった。そんな状況でツイートが伸びた理由として、私の数少ない強みである「分析力」が発揮されたと考えている。

 分析力でも何でもいい。ライターをやる中で自分の文章の強みを見失っている人は、元々どんな文章を書いていて、それは自分でも面白いと思えていたのかを思い出してみてはどうだろうか? サルでもわかる系ライターのアドバイスは、書き手によっては個性も心も殺しかねないので、正直幅広く適用できるものではない。

参考書は「読みたいことを、書けばいい。」

 とはいっても、私のような実績の浅いライターがアドバイスをしたところで、説得力に欠けるのは否めない。私自身も方向性が定まったのは、割と最近なのだ。

というわけで、しっかりと実績のあるライターの力もお借りしたい。

 私の方針を決める一助として、田中泰延氏の「読みたいことを、書けばいい。」が挙げられる。この本がなければ、私はきっとライターとしての方針が決められないままだったし、ツイートがバズることもなかっただろう。

この本について、個人的に特別ピックアップしたい内容を挙げると、

  1. 自分が面白いと思う文章を書くこと

  2. 文章を書くのに「文章術の本」を読むのは☓

  3. 対象を愛すること

などになる。これらについて、私の解釈も交えて説明したい。ただし、かなり掻い摘んだ説明になるので、できれば実際に本を読んでほしいところだ。

①自分が面白いと思う文章を書くこと

 文章力が身に付いていない人は、もしかしたら①は難しいかもしれない。私はふだん、仕事で外注の文章を添削することがあるのだが、元記事を書いたライターさんは、お世辞にも文章力があるとは言えない。というか、支離滅裂ですらある。

ここまで来ると添削というレベルではなく、ほぼすべて書き直す必要まであったため、「たぶん文章を書くくらいなら自分にもできそう!と思って始めたんだろうな…」と、私は頭を抱えた。

このレベルのライターになると、面白い文章を書く以前の問題だろう。特に意識して勉強せずとも、基本的な文章力がある人は、もともと好きで書いていたという下地があってこそ備わっていると言えるかもしれない。

 ちなみにターゲットについて少し先述したと思うが、田中氏は本書の中で「ターゲットなど想定しなくていい」とまで言っている。この下りは①に繋がる話で、「自分が最初の読者」であることを念押していたのだが、読んでいてめちゃくちゃ「それな」と思った(語彙力最低になるほどの共感)。

 とはいえ多くの場合、仕事で書く記事はターゲットが指定されるのと、商品の実態が謎すぎる場合は指定されないと書きにくいので、私の場合はnoteのようにプライベートで書く際の参考としている。私がここで書く記事は、基本的に「鬱憤晴らし」なので、ターゲットもへったくれもないのだ。

②文章を書くのに「文章術の本」を読むのは☓

 ②は、自分にとって結果的に当てはまったと思う。少なくとも私の場合、ほかの有名ライターのビジネス書は、あまりしっくり来なかった。昔の勤務先の上司に、こういった本を読むよう勧められたが、読んだところで上手く取り入れられなかったのだ。

ただし、その上司や同僚のライターたちは、器用にこれらの本を参考にして取り入れていた。これには文章を書けていたはずの自分も、当時ものすごく劣等感を覚えて、自信をなくしてしまっていた経験がある。「何だよ私、全然文章なんか得意じゃないじゃん」てな風に、自暴自棄になっていた。

■ ライターはビジネス型とクリエイティブ型に分かれる?

 しかしこの違いが浮き彫りになった理由について、今になって「ビジネス型クリエイティブ型かで、参考にしやすい本が変わってくるのかもしれない」と考えるようになった。ビジネス型のライターには、サルでもわかる系ライターも含まれるだろう。

であれば、よく言えば感性がおもむくままに、悪く言えば好き勝手書いている私は、クリエイティブ型に寄っているといえる。田中氏の本にしても、ほかの文章術の本がビジネス寄りなのに対し、クリエイティブさを強く感じた。

■ ビジネス型とクリエイティブ型の視点の違い

 私が思うにビジネス型のライターは、クリエイティブ型のライターの文章をやたらと参考例に取り上げるものの、「なぜ売れるか/バズるか」「なぜ人の心理を動かすのか」「サルでもわかるかどうか」という視点で解説している傾向を覚えた。そのため、「なぜこれが面白いのか」という視点は、彼らの中にないのだろうかと、疑念を抱かざるを得なかったのだ。

いや面白いのかといった書き方は、ビジネス型でもしている人もいるかもしれないが、それも売れるかどうかに繋がる話になるだろう。要するに遊び心の大切さを踏まえているかどうかが、ビジネス型とクリエイティブ型の大きな違いになっているのでは、と考えた。

そしてこの視点の食い違いが、私のようなタイプのライターが、長年彼らのアドバイスに苦しめられた原因だったのではないかと思われる。

 ビジネス型のライターを全否定するわけではないが、少なくとも彼らのアドバイスについては、元から好きで文章を書いていた人ではなく、文章初心者の人が参考にする方がいいだろう。

ただしアドバイスをする側は、その内容の向き不向きを明確にしたうえで発信してほしい。マジで。ライターの向上心を食い物にするなと言いたい。

③対象を愛すること

 そして③についてだが、ライターとして引き受ける仕事の多くは、大抵は無知からスタートするテーマに挑むことになるだろう。これがつまらない、興味が持てないものだと、やっていてしんどくなってしまうのは自明の理で、自分の文章の強みを発揮することなどできない。

「対象への愛」は、それほど作業の効率化において重要な感情なのだ。私も続けざまに巨大感情でイチローの記事を書いたことに、その重要性を実感している(何回目だよイチローの話すんの)。

できれば今回も、イチローの言葉に倣って書きたかったくらいだ。プラス3,000文字は行きそうなのでやらないが(下手すると安っぽいビジネス書みたいになりそう)。

(ちなみに前回の記事↓の、ムダな経験はムダじゃないという下りは、今回にも繋がると思う)

 また田中氏は、この対象への愛について説明する中で、こうも言っている。

「つまらない」「わからない」ことも感動のひとつで、深掘りしていくと見えてくる世界があり、正しい意味で文章を「批評」として機能させることができるはずだ。

その場合でも、けなすこと、おとしめること、ダメ出しに情熱を傾けてはいけない。文章を書くとき絶対に失ってはいけないのが「敬意」だ。

出典:読みたいことを、書けばいい。

「敬意」については、まさに「サルでもわかる系ライター」が失っている部分になるのではないだろうか。もちろんこれは、私がこじつけているだけなので、あしからず。

まぁ、いうて私が彼らに敬意を欠いているんだけど。そこは同業だし、むしろこっちは彼らのせいで、遠回りして割を食ってるんで別問題として(自分に激甘)。

まとめ

 ライターの皆さん、あるいはライターを目指している方々、今回の記事は何かヒントになっただろうか? 余計な迷いを与えたようであれば申し訳ないけども、何度も言うように私のnoteはただの鬱憤晴らしなので、話半分にとどめておいてほしい。

だが、今まで触れた文章術のアドバイスが合わないと感じた方は、もしかしたら私と同じタイプかもしれない。そういった方は、いったん今までのアドバイスをリセットして、無の状態で自分の好きな文章を書いてみてはどうだろうか? きっと気持ちがいいはずだ。

自分が今までどんなときに、ノリノリの文章を書けたのかを思い出しつつ、実践してみてほしい。私はそれで、脳汁ドバドバになった(とりあえずスッキリするだけだが)。

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