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オタク♀がイチローに学ぶ「同人女の感情」との向き合い方

 似顔絵を描くのはもう嫌だ(TOP画像を気まぐれで描き始めたばっかりに、似てないループから抜け出せなくなった)。TOP画像の薄厚い本は、一応「ムネリンの巨大感情によって生まれた健全本」という設定になってる(客観的に見て健全本といえるかスレスレの内容)。

 さて、前回に引き続きイチロー関連の話題だけども、タイトルからもわかる通り、今回は野球ファン向けの内容には、あんまりなってないのだ、すまんな。少なくとも、同人活動に関する知識を要する話題になると思うので、あしからず。

「解釈違い」に対する葛藤と対策

 で、だ。君は知っているだろうか?「同人女の感情」というシリーズを…。今回は現段階で最新話の、以下の回について触れたいので、まんがを読んでいない方は目を通してから、当記事をこのまま読み進めていただきたいと思う。

 今回は、「死闘!解釈違いの女1」という回そのものでなく、この話に対する反応で気になった意見が見受けられたので、ここではそれについて取り上げていきたいと思う。

この回の反応の中には同様の主張が散見されたのだが、内容を端的に言うと、「解釈違いは見ないのが一番」といったものになる。主人公である九条が、「正しい自分の解釈」の作品を発信することで、解釈違いの相手が間違っていることを証明させようと躍起になっていたためだ。

私も今となってはだが、解釈違いや地雷などは視界に入れないよう、サクッと遮断するようにしている。しかし以前までは、そう簡単には決断することができないでいた。

 私の友達には、ミュートやブロック機能をなんの躊躇もなく元から使いこなしていた人もおり、SNS上で気になることがあって話すと、「そんなのブロックすればいいじゃん」と言われていた。しかし私のように、その判断をためらう人も少なくないのではないだろうか。

その理由は多々、あるいは場合によって異なると思うが、「解釈違いの女」の九条はおそらく、「違和感について議論しないと気が済まないタイプ」だからではないだろうか。この“議論”は、「解釈違いの女」だと正しい解釈を作品で主張する行為にあたるだろう。

そして私も、そのタイプに漏れなく該当する。

 九条のようなことをせずとも、もとから割り切って視界に入れないようにできていた人は、そもそも要領がいいのかもしれない。もしくは、「不快なものについて極力考えたくない」というタイプなのだろう。

しかし私や九条のようなタイプは、たとえそうした方がいいとわかっていても(九条は1mmもわかってなさそうだが)、何の議論もしないままだと、「言いたいことをどうしても言ってやらないと気が済まない」という衝動を抑えることができないのだ。知性と感情の歯車は、重なる人とそうではない人がいるというのを、強く思い知らされる。

こういうタイプは非常にフラストレーションを抱えやすく、「見ない方がいい」というアドバイスをしてしまうと、却ってフラストレーションを肥大させてしまう懸念があり、逆効果になりかねない。気持ちの整理の仕方は、人によって最善の方法が異なるのだ。

ムダなことをしないと合理的になれない

高校生への指導シリーズめっちゃ好き。

 これはイチローが、野球強豪校でもあり進学校でもある、都内の高校の野球部で指導していた際に話していた考えだ。

この野球部は事実上「文武両道」で、時間と練習場所が限られていた。しかもグラウンドは、サッカー部と共有している。そのためムダが許されず、合理的にならざるを得ない状況にあった。

私は、このイチローの考えに触れ、さらに「解釈違いの女」を読んだことで、

フラストレーションを発散
↓ ↑
一方で解釈違いが受け入れられて
フラストレーションがまた溜まる

という負のループの経験を、一概にムダとは考えなくなった。そしてイチローの言葉は、不毛なことをしてしまう人にとっての救いとなる気がした(その不毛なことが、露骨に人に迷惑をかけるレベルになると論外だが)。

この負のループにハマっていたことについて、私は後々

「何でムキになって描いてたのかな」
「ああいう気持ちの状態で描いたのってムダな時間だったな」
「私って何で、ああまでしないと納得できないんだろ」

と、思い出すたびにやるせなさを覚えたが、イチローの「ムダなことから学ぶことが多い」という考えを知って、目からウロコが落ちた。

 イチローは以前、稲葉篤紀氏との対談で、「遠回りすることが一番の近道。たとえ近道で目標に辿り着いたとしても、そこに深みはない」といった考えを話していたと思う。

“深み”とは一体何なのか、わかりそうでわからない感じがするかもしれない。私の個人的な見解だが、今回の件に当てはめると「解釈違いの作品は見ない方がいい」という意見に言えると思う。結論だけを言っても、私や九条のような人間はどのみち葛藤を抑えられないため、極論として受け止めてしまうからだ。

その「見ない」という判断は、「見て戦ってしまったことで、こんな虚しい思いをした」という生々しい経験を踏まえなければ、そこまでに漕ぎつけられない人もいる。そのため、過程を踏まえたうえでのアドバイスでないと“深み”がないので、相手を納得させるのは難しいのではないだろうか、と私は考えた。

余談

 少し脱線するが、同作者の番外編的な作品で、「同人お嬢様エルシー」という、同じく解釈違いを嘆く字書きの同人作家の話があった。主人公のエルシーは九条とは違い、解釈違いの作品を発信する「ちくわの銀次」という同人作家の情報を、徹底的に遮っていた。

このことから私のような人間にとって、九条の話が“過程”だとすると、エルシーの判断は“結論”だと言える。

いうてエルシーはバリバリ自衛していても、解釈違いが受け入れられている現状が目に入ってしまい、結局九条と同様の行動を取るのだが、今回の話の主旨とは異なるので深掘りはしない。

相手の真意に触れることで、「不毛の抑止」に繋がる場合も

この項目はイチローとは関係ないので、イチロー好きな人は飛ばしてもよい。

 また以前、「原作とかけ離れたキャラになっているのは百も承知だが、私はこのキャラのこういうところが見たいので書いてる」という主張を見たことがあった。ここまで来ると、解釈違い以前の問題となるので、こういう価値観の人とはハナから議論する意味などないことがわかる。

さすがにこういう考えの人がいるとわかっていたら、「自分の考える正しい解釈」を当てつけみたいに作品にして主張しまくることを、萎えさせる要因になり得ただろう。そのため悟る前の私でも、もしかしたらフラストレーションがフェードアウトしていたかもしれない。

もちろん単純に解釈違いの場合もあるだろうが、「この人はそうじゃないから、やっぱ主張する!」って切り替わらない気もする。

やはり“本質”を知ることは大事で、「なぜこの人はこんな理解しがたい表現をするのか」というモヤモヤを、払拭するきっかけになることもあるのではないだろうか。

 とはいえ相手の事情を知ったところで、私のような原作準拠のキャラ設定にこだわってしまう人間からすると、かけ離れた設定は受け付けることができないままだろう。だが、アンガーマネジメントはしやすくなるはずだ。

「原作の性質」によっては争いに発展しやすいこともある

 また原作によっては、どうしても扱いが難しいものもある。私が特に葛藤したのは、原作ならびに作者が神聖化されていて、一般的に宗教的な人気を誇っているジャンルでのことだった。

読者層としては、原作や作者の作風へのこだわりが強い人が異常に多いため、その背景を知らないままだと、誤った判断をしかねない。どんな理由があろうとも、こういう事情を抱えた作品の二次創作で著しい独自設定を加えるという行為は、ほかのジャンル以上に強い怒りを買いかねないのだ。

そのため界隈内は、著しいキャラ変(プラスα)をした人や、それを受け入れて喜んでいる人に対する不満で、一部の書/描き手の間がかなりギスギスした雰囲気になり、一触即発状態になっていた。

マイナージャンルならではの問題もある

 また私がやっていたジャンルは、原作自体は人気があったものの、同人界隈の規模は狭いというのも問題だった。マイナーだと同じ界隈の者同士の距離が近くなりすぎてしまい、一度関わりを持ってしまったあとで受け入れがたい面を知ると、関わりを断つことに精神的な負担が強くなりすぎてしまうのだ。しかも界隈にいるのは、こだわりが強い読者なので、溝の深まり方が尋常ではない。

 残念ながらこういうこともあるので、少なくとも作品の取り扱いが難しいジャンルやマイナージャンルにハマったら、私が遭遇したケースを思い出したうえで最適解を見出してほしい。私は、いま振り返ると「あのとき壁打ち垢でも作って、誰とも関わらず発信した方がよかったのかな」と思ったりもする。

 とはいえ、当事者で今でも付き合いがある人はいるし、やはり同じ価値観をもつ人と仲良くなれたら、同人活動が一層楽しくなるのも事実だ。そのため誰かしらと関わりを持つのであれば、相手のツイートや作風などを判断材料に、慎重にフォローするようにしよう。鍵垢で活動してる人なら、ROM専の垢を別途作ってチェックするのがいいかもしれない。

まとめ

 今回の記事に対して、「腐らせてる時点で原作準拠もクソもねぇだろ」というツッコミを入れたい方もいただろう。知ってるし、知らん(えぇ…)。

 途中イチローを挟んだけれど、イチローの意見はどんなことでも通用するのだなと改めて考えさせられた。大河ドラマにおける西田敏行みたいだな(違う)。

またイチローからインスピレーションを受けて記事を書けたらいいなと思うけど、私はイチローを何だと思ってるんだろう。

 ちなみに最近noteを始めた理由として、文章の質の向上や書くスピードを上げたいという狙いもあったのだわ。しかし以前は長文がサクサク書けたのに、4,000文字程度でとんでもなく疲労してるわね…。仕事で調べ物して書く記事と違って自分の考えを語る記事だから、余計に消耗が激しくなるのは当然なんだけど。


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