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自筆短編 「終焉の時に」

 終焉の時に

今から約6600万年前、「惑星キラー」と呼ばれる直径10kmの小惑星が地球に衝突し、ユカタン半島沖のメキシコ湾に直径200メートルの「チチュルブ・クレーター」が出来た。チチュルブ衝突と呼ばれるこの衝突により、恐竜を含む当時地球上に生息していた全生物の76%が絶滅したとされる。

物理学者達の過去発表した論文を鑑みると、同様の衝突が今回の「惑星マザー」で起きた場合、人類が生き残ることは可能性としては極めて低いであろう。

現在公開されている、地球に衝突するリスクのある小惑星のリスト(理論上、今後1000年以内に地球に衝突する可能性のある小惑星)には、約1200個の小惑星が記載されているが、直径はどれも1km以下だ。チチュルブ衝突の原因となったものと同じ規模の小惑星(直径5〜15km)が地球に衝突する確率は、2億年に1回という極めて低いものである、つまり今の地球の危機は2億年に一度の出来事であるらしい。

このような潜在的脅威に対処する上で、3つのシナリオが考えられる。最適な戦略は、適切なタイミングで小惑星を破壊するか軌道を変更し、衝突を防ぐことだ。

チチュルブ衝突規模の小惑星の場合、全世界の核兵器をもってしても完全に蒸発か破壊することはできないものの、適切なタイミングで核兵器を複数発迎撃させれば、衝突を免れることは可能だ。だが、理論上、小惑星の直径が40kmを超えると、現在の技術では衝突を阻止することはできないという。

小惑星「マザー」は現在の観測では40km以上である。そして軌道を変えるなどの処置が出来なかった場合、地球に飛来するのは1週間から10日後と予測されている。

幾美は本を閉じる。

表紙にはmay so

高IQの会員のみ集まったコミュニティの機関紙である。
TVはついたままで、同様の報道がされている。
ぽつりと、
「2億年。運が悪いのか、いいのか、全然わかんないな」

私は藤沢市にある大学に通う3年生、波切幾美。
季節は夏で、二学期が始まったばかり、進路相談を始めていく時期であるのだけど、世の中が、一週間前から始まったこの一連のパンデミックで、どうなってしまうのかと思ったが、今日、学年進路担当の先生と個別の面談がある。

面談予定表には、私のところに高槻先生と書いてある。

私は1年の頃からこの先生の授業をとっている。少し若くて、いわゆるスポ魂系統の先生で、みるからに情熱のある、とてもいい先生だ。

放課後に二週間かけて、担当の先生が5人に分かれて面談していく様で、私は初日の最後、4人目だそうだ。

生徒指導室へ入ると、高槻先生も一度立ち上がり、軽く会釈をして、向かい合わせに座る。

「波切は以前に出版関係の仕事に就きたいと言っていたよな、それは変わってないのか?」
私は変わってませんと返し、その後も頷いて聞いていた。
一通り話しが進んでいった。

「先生、ひとつ聞いていいですか?」
「おう、どうぞ」
「あの、この面談て、世界滅んじゃうんですよね。意味ないんじゃ」

高槻先生はとても悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をして、手のひらで顔をさすり。

「ああ、そうだな。意味はないんだろうな」
とため息混じりに言う。
少し沈黙のあと、
「じゃあ、わざわざなんで」
先生も考えている様子で、
「まずだな、校長先生は、全て予定通り進行しましょうと言うんだ。正直先生もよく分かってない。ただ、ただな波切。この元々予定していた進路相談を無しにしてしまったら、本当に終わってしまいそうな気がしないか?」

私は突然の先生の、先生という立場の人の、なんというか、普段みたこともない普通の「人間」の面をみた気がして、戸惑ってしまった。

背筋を伸ばし座り直して、
「まあ、言ってる事は、たしかに」
「なあ波切、他の生徒からも聞いているが、お前は高IQなんだよな、たしかに成績もずっと上にいるし」
私は素直に普通だと思いますと言ったが、
「ひとつ聞かせてくれ、今の、全て全部終わってしまう事、どう思ってる?」

先生の真っ直ぐな眼差しに見つめられて、少し嬉しい気持ちが芽生えてきて、真剣に話さなければと思った。

「はい、まず、私はこうやって、あと10日くらいで地球が滅んでしまうのに進路相談を普通にしてくれる高槻先生が凄いなって思います。あと、全部終わってしまう事に関しては、別に。あっただ、今朝思ったのは2億年に一度の出来事だって記事をみていて、これは運が悪いのか、いいのかどちらだろうと悩んでしまいました」

先生は眼を丸くして、そして笑った。

「え、私なんか変な事言いましたか?」

「いやいや、これは想像以上だな。参ったな」

腕時計を見ながら、

「波切まだ時間はあるか?」

私も良く分からないが少し楽しくなってきたので、大丈夫ですと告げる。

先生は丁寧に丁寧に不純正は一切ないとこんこんと言い連ねた上で、これから、学校から2つ先の藤沢駅にあるカフェバーに行かないかと私を誘ってくれた。

まあ、どうせ世界は終わるからな、と最後に付け加えた。

お店に向かう途中はいろんな世間話しや、友人の進路の話しなんかをして、よく考えてみたら、こうやって男の人と二人でいるなんて、いつぶりだろうかと思って、とても不思議な、ふわふわとした時間であった。

「Day dream Believer」と言うこのお店は、とてもおしゃれな緑と青に彩られた装飾の、ケーキ屋さんとバーを合わせている作りで、テーブル席は全部他のお客さんでいっぱいだった。私達は左奥にあるカウンター席に並んで座った。

ビールが届いて、続いてモンブランが2つ。

先生はこの店に仕事帰りに一人で来て、ビールにモンブランで一時を過ごして帰宅するのが日課なのだそうだ。

「さて、波切さん。ここはバーだから対等の人間としてさん付けするが、波切さん。さっきの話し、今の状況についてなんだが、自分達が全員滅んでしまうという事を、どう受け止めているか改めて思っている事を聞かせてくれ」

と言いながら私達は軽く乾杯をした。

「はい、私、本当に思ってる事を話していいんですよね?」

高槻先生は頷く

「これって多分、誰かの中で一人だけ死んでしまうという話しでは無いから悲観的にならないのだと思っています。今報道されている状況だと、ほとんど全員死ぬんですよね、人間も動物も、だから少しロマンチックだなとは思います」

「ほう。ロマンチックか。それで言うと、世界が滅びるのに進路相談をしているのも、たしかにロマンチックかもしれないな。悲しみや怖さは?」

「うーん。例えば、目の前でお母さんとかが先に死んでしまうのはいやですね、なるべく先に逝きたいですよね。まあでもどうせ全員死ぬんだから、いいか」

高槻先生はさらに笑っている。

「面白いなぁ。いいな。波切さん。俺は思うんだが、さっき校長先生に面談は予定通りやりなさいと言われたという話しをしただろ、なんだか感じているのは、年齢を重ねている人のほうが生きる事へ執着している気がするんだ。歳がいけばいくほど生きたがる。それはなぜなんだろうか。ビールふたつ」

二人モンブランをパクパク食べながら。

「先生相手だから、でもそれももういいか。その理由は、老いる事を受け入れて生きてきているから、悲しい事を乗り越えてきたから、だから死にたくないのでしょう。終わりが自然にやってきて、ぱつりと無になる。そんな出来事があるなら、それは一概に不幸と言えるのかしら、そう考えてしまいます。それがさっきお話しした運がいいか悪いかの事です」

店内BGMアメージンググレイスが流れている。

「そうかもしれない。うちの生徒達も意外とけろっとしてるもんな。先生達は内心動揺してるのに。それじゃあ幸せについてはどう考えるんだ?」

私はモンブランの最後の一口を食べて、

「幸せ、幸福とは、私の大好きな三島由紀夫はこう言ってます。幸福は結局は瞬間的なエクスタシーであると。そしてこうも言ってます。人間の最も純粋な喜びは他人の幸福をみる事だ。と」

「そうか。それじゃあ、どうせ世界は終わるんだ。二人でモンブランをもう1つずつ食べてしまおうか」

BGMアメージンググレイスが終わり、
G線上のアリアが流れている。

幾美今日一番の笑顔で、
「はい。食べちゃいましょう。先生!」
敬礼する仕草をみせる。

「やめろやめろ」
高槻も笑っている。

二人はビールをのみながら、モンブランを口に運びながら、顔を見合せて微笑んでいる。

強い光りを感じて、入口のガラス扉のほうに眼を向ける。

夜だと言うのに、外が眩しい程に明るくなる。

甘いモンブランの香りに包まれて。

二人は微笑んだままその光をみつめていた。

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