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自筆短編 「仰げば尊し自由な友よ」

「仰げば尊し自由な友よ」

認定死亡
事由により遺体の確認が出来ない場合において、取調官公署が死亡を認定し、これを受けて戸籍に死亡の記載がなされる。戸籍法89条の手続に基づく公法上の制度。


 ホテルの宴会場
壇上に垂幕
「藤沢市立辻堂中学校1990年卒業生」

同窓会というものは歳を重ねる程、
いいものだなと思う。
30歳と、40歳と、そして50歳のこれが3度目の同窓会。
あっという間に50歳となってしまったな。
こう懐かしい面子に会うと、過去の様々な出来事が脳裏を駆け回るもの。

毎回の恒例になっている、最後に皆で唄う、
「仰げば尊し」

当たり前なのだが、そこに彼の姿は無い。

私は胸ポケットから1枚の写真を取り出し、
それを少し眺めてから、
またそっとしまった。


私の友人、菅野猛は昔からへんな奴だった。
小学校の通学路を二人で歩いていると、突然、「俺は今無性にこの田んぼにダイブしたい、したくてしたくて堪らない。もう無理だ。田んぼが俺を呼んでいる」

そう言ってぷるぷる震え出すのである。

結局、彼は我慢が出来ずに、私の静止を振り切り、青々とした美しい田んぼに顔面から飛び込んでしまい、私はなんとか後退り、泥の被害に合わずに済んだのだが。彼は全身泥だらけのまま学校に行き、順当にクラスで女子の悲鳴を浴び、先生に怒られ、お母さんを呼ばれ、と散々な1日を過ごすのだが、本人はとても満足げにしており、周りもどこか諦めた様な雰囲気であった。

恰幅がよく、意外にもよくみると目鼻がくっきりしていて顔立ちの整った男で、スポーツ万能。
勉強は下から数えるほうではあったが、国語や歴史だけはクラスでも一二を争う程であった。

家も近所で、同じ中学に進学した。

一年生のバレンタインデーの日に、猛は20㎝はあろうかという超大型のお手製の型紙で作ったバッチ、というよりは、パネルを胸に付けて現れた。
その手作りパネルには、
「義理でもなんでもいいから僕にチョコを下さい」そう書かれていた。
私は彼になぜそんな事をするのだと尋ねると、猛は目を輝かせてこう答える。
「いいか、バレンタインというのはタダでチョコレートをもらえる素晴らしい制度なんだ。店で買えば一個300円はする物をタダでもらえるんだぞ。10個もらったら3000円だ。20個もらったら6000円。中学生にとって6000円は高価なお金だろう。違うかい?」

不思議な説得力に私は気圧されて何も言えなかった。

そして驚く事に、私の0個に対して、猛は本当に20個のチョコレートを集めた。

中学3年の時はこんな事があった。

私が一人ゲームセンターで対戦ゲームをしていると向かいに座る対戦相手であった高校生が、パンチパーマの超が付く不良である事に私は全く気付かず、ゲームで見事KOしてしまい、因縁をつけられて胸ぐらを掴まれた。その時突然猛が現れて、止めに入ってくれたはいいが、外に連れ出され、猛はKOされてしまった。
私は全く無事であった。

猛は鼻血のだらだらと垂れた顔で、
「無事で良かったな」
そう言って笑っていた。

それから高校では文化祭前に、
「俺はへビメタルバンドを結成して仰げば尊しへビメタバージョンをやる、お前がギターを弾くんだ」
と突然言われ、私はすぐさま断ったが、
猛は本当にそれをやってのけ、これが好評で、自主制作のCDを1000枚売るという快挙を成し遂げた。

高校卒業後、彼は東京の大学に通う為引っ越してしまい、次第に連絡も取らなくなっていった。

そして社会人になってから8年の月日が経った。
私は相変わらずで、地元で就職をして、実家の近くにアパートを借りて暮らしている。

猛はというと、東京で会社を起業して活躍しているという噂であった。

そんなある夏の日。

仕事が休みで、日課にしているランニングをしていたのだが、ふと、辻堂で唯一残っている駄菓子屋の事を思い出し、大通りから裏道へ入り、先にみえる木々の緑が生い茂ったところに社がある。駄菓子屋はその向かい、どうやら営業している様だ。

久しぶりにふらりと中へ入って、お菓子を一つ、そしてラムネを買って、店頭に置いてあるベンチに腰掛けた。

すると隣にすっと座る者が現れた。

ふと顔をみると、それは猛であった。

「よう。久しぶりだな」

蝉の声が降りしきる様に響いている。
二人は足をぶらぶらさせながらラムネを飲んだ。

猛は買ってきた酢イカをやたらとしつこく私にすすめながら、こんな話しを始めた。

「俺はもうやりたい事はあらかたやったんだ。そして今は一つどうしてもやってみたい事があってここに戻ってきた。そしたらお前がこんなノスタルジックな雰囲気でラムネなんか飲んでやがって、これは何かあるんだろうな。内緒の話しを聞かせるよ。絶対に内緒だぞ。俺がこれからやる事は、死ぬ事なんだ」

私は思わず口に含んだラムネを少し出してしまった。
猛は大笑いをして、

「おいおい、死ぬったって本当に死ぬんじゃないんだ。認定死亡って知ってるかい?」

こんこんと説明を受ける。

「段取りはこうだ。まず遺書を書くんだ。そして夜中に海に行く。靴を脱いで揃えて、着ている洋服をいくつか海に流す。それだけさ」

私はそんな簡単に死んだ事になるのかと尋ねた。

「なるさ、保険に入っていたらやっかいなんだ。しかし、全く何一つ保険に入っていない、用意周到に準備をしてきたんだ。俺は先月で会社を畳んだんだ。しかも絶妙に業績を悪化させてな、だがな、借金も作っていないんだ。そして少しずつ浮かした金をこっそり貯めて、今ここに2000万ゲンナマで持っている」

とバッグの中にある札束をちらりとみせる。

私は思わず目を丸くしてしまう。

「なかなかやるだろう。これで俺は本当の自由を手にいれるんだ。いいか、誰にも言うなよ」

私はわかったと約束した。

猛はラムネの空き瓶を、脇に置いてあるケースに捨て、立ち上がり。

「今こそわかれめ、いざ去らば」
そう言って歩いていった。

最後にみえた横顔、猛は泣いている様にみえたが、まさか、気のせいだったと思い直した。

それからひとつき後。

新聞の隅のほうにこんな記事が出ていた。

30歳元会社経営者 菅野猛さん
遺体は見つからずも入水自殺と認定。
仕事上の悩みによるものか。
精神科への通院歴も。

私にとってはとても不可思議で、
迷惑で、そして忘れ難い出来事であった。

それから20年の年月が経ち、私も50歳となった。結婚もして大学生と高校生の子供がいる。
母がうちにやってきた時に、私宛てに一通の封筒が来ていたと渡された。

それには、端に小さく「猛」と書かれていた。

私は庭に出て。
震える手で、そっと封を開けて、中を覗いてみる。
中身はたった一枚の写真のみであった。
派手な赤いアロハシャツを着て、両側の外国人の肩に手を回している男。

歳は重ねているが、それは間違いなく、

満面の笑みを浮かべた猛の写真であった。

私も思わず微笑みを湛えて、

そして空を仰いだ。

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