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モヤモヤ感染症

こんばんは。

最近は中国語の勉強を頑張っているのだが、
図書館の返却日に借りていた一冊が終わらず、
再度延長し借りた。
プラスで新しい中国語の本も借り、
着々と勉強を進めている。

中国語は発音も難しく、
音声を繰り返し聞いているのだが、
自分の発音が合っているかわからないため、
iPhoneの翻訳アプリに話しかけ発音を練習している。

ちゃんと翻訳された嬉しさで思わずスクショした

いや〜、嬉しいね。
こう言った嬉しさがあるから、
勉強と言えども楽しく進められている。

しかし、ふとしたときに考える。
わたしはなんのためにやっているのか?

元はと言えば、好きな中華料理屋さんで、
中国語で予約を取りたいというところから
まだモチベーションが続いているのだが、
社会人の皆皆様が、社会に貢献している間、
わたしは一銭にもならない勉強をのうのうと楽しんでいるわけだ。

引きこもりニートのわたしに、現段階で、
将来の自分の行く末以外の不安や悩みは一切ない。

…はずだった。

今日の食卓で、父親の様子が変だった。
なんだか元気がなさそうで、
しかしながら、わたしはどうしたの?とは聞けず、
チラチラと様子を伺っていたのだが、
その原因であろう悩みをぽろっと漏らしたのだ。
仕事関係の悩み。
嫌なことがあったという。
それを考えすぎて昨夜から全然寝れていないらしい。
たびたびこう言った悩みは父親の口から聞くのだが、回数も増えてきており、そろそろ、本当に仕事を辞めた方がいいのではないか?と思い始めてきた。

悩みには自分にしかわからない「重さ」がある。
わたしだって、学生時代にはひたすら悩み、
今考えてみると、そんなことで緊張しなくても、
クビにならないし、お金にもならないので、
緊張する必要はなかったなと思うのだが、
あくまでそれは時が去ってから思うこと。
当時のわたしには目の前に広がっている日々が世界で、自分の頭を支配している悩みに、かなりの「重さ」があったのだ。


仕事辞めたら?と父親に言ってみた。
そうすると、働いてない子どもがいるのに、
自分が辞めたらどうするの?と返答が来た。

ごもっともだ。

後先考えずに嫌なら辞めてしまえばいい。
と思うのは、ゆとり世代ならではのものか、
さしては、わたし個人の考え方なのだろう。
親という立場から子を思い、自らを犠牲にしている父の姿をみると、なんだかわたしまで落ち込んできてしまったのだ。

以前投稿でも書いたように、人の悩みを自分の悩みとして受け取りすぎないように、と小学生時代の担任から通知表に書かれたことを再度思い出す。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、
わたしのマインドは何にも変わっていない。
落ち込む〜〜〜。

父親が辛いと言っているのに、
わたしは大人になっても親に甘えてばかりで
脛をかじりまくって穀潰しのように生きているのだと考え始めると、もうどうしようもなくなり、
今日は一切中国語の勉強も読書もしていない。
つまりは、何をしたらいいのかわからなくなってしまったのだ。

今焦るだけで、何をしても日々はグンっと数年先まで進むわけではないし、未来がわかるわけでもないが、
わたしは何者かになりたいのだ。
小さい頃から、何かになりたかったのだ。
一般人という括りをあえて使うとするならば、
わたしは一般人の中でも、世に名前を残せる人になりたかった。
もちろん今からでも遅くはないのだが、
この考えのループにはまると、
毎回毎回現実と妄想がバチバチと戦っている。
妄想は膨らむばかりで、自分は何か大きなものになれると信じている自分を、現実のわたしが見下ろし攻撃してくる。
一体、現在家にいるだけで何者でもない人間が、
今後世に名を馳せる人物になれるとは到底思えないのだけれど。

そんな戦いは無視して争わせておけばいい。
というわたしも存在し、
日々脳みそは自分の三つ巴状態。
戦うなら脳みその外でやってくれよ…。

わたしという人間が、
死に至るその時までにどんな人生を送るのか、
その日々が俯瞰的に見て楽しみなのだが、
実際、わたしの中身は焦りと楽観的が支配しており、
それを隠すように、なんてことではないという表情になる。

家にいるわたしを見て、
人生楽勝だねという父親の口癖も、
嫌味ったらしいなと思いつつも、
父親の気持ちも内情も分かっているから、
怒りよりも謝罪が膨らみ、
おかげさまで、と返せない自分がいる。

一体わたしは何をしたらいいのだろうか。

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