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「86‐エイティシックス-」続きを見たいような、見たくないような・・

今回は、「86-エイティシックス-」について書いてみたい。
まぁ、賛否両論ある作品だとは思う。
ディスってる人たちの意見の多くは、

「『亡国のアキト』のパクリやん!」


というものである。
確かに一部設定は似てるし、一種のオマージュともいえるだろう。
だけどひとつのアニメ作品として見た時、私は「86」の方が完成度は遥かに高いと思ったけどなぁ・・。
演出、音楽、作画、あらゆる部分でクオリティが高い。
ラノベ原作としては、ちょっと異質なほどである。

「86‐エイティシックス-」(2020年)

これ、A-1Picturesの制作なんだよね。
この「86」のラスト2話が放送延期になった時、例の

「A-1Picturesブラック企業大賞受賞」


の件を思い出したのは私だけじゃないはず。
いや、逆にいうとあの汚名というべき受賞があったからこそ、
「露骨に残業できない」⇒「間に合わない」⇒「遅れていい?」⇒「OK」
という流れで本作は放送延期になったのかもね。
思えば2018年、A-1Picturesから分離独立する形でCloverWorksが発足したんだよね?
これもまた、おそらくブラック企業大賞受賞の余波だろう。
これでごっそり人材を持ってかれ、普通に考えればA-1Picturesの勢いはそこで衰えるはずなのよ。
ところが、そうはならなかった。
というか、むしろその逆?
作品本数こそ以前ほどに至らなくなったものの、個々の作品のクオリティはむしろ以前より上がってるといっていいんじゃない?
オリジナル作品の「リコリスリコイル」なんて、明らかにA-1Picturesの底力を示してたと思う。

そして今季にしても「NieR:Automata」と「負けヒロインが多すぎる!」の2本を手掛けてるんだが、どちらも驚くほど作画のクオリティが高い。
特に「負けヒロイン」なんて、明らかにラノベ系ラブコメの水準を超えてるよね?
いやホント、侮れんわ。
で、私が個人的にA-1Picturesの覚醒を確信したのは、やはり2020年、この「86」からである。
なんつーか、ここでA-1Picturesの本気度が伝わってきたというか、それこそ「CloverWorksに負けてたまるか!」みたいな・・(笑)。
うん、多分「86」って、そういうデリケートな時期に作られた力作なんですよ。

「86」主人公・シン(右)、ヒロイン・レーナ(左)

さて、作品の内容について触れていこう。
この作品の最大の売りは、何より「不快感」だと思う。
見てて、イラっとするのよ。
でもこれこそが、この作品の武器だと思う。

①人種差別という不快感


この物語に出てくるサンマグノリア共和国というのは、ホント酷い。
上の画のヒロイン・レーナは銀髪だが、この銀髪の民族が国の中枢を握ってて、彼ら以外の有色人種を収容所に隔離し、「86」と称する「人間ではない存在」とし、戦争の消耗品として死に追いやっていく政策を国としてとっている。
共和国民の戦死者はゼロというのを維持しつつ、一方で「86」は日々死んでいってるわけだ。
「86」の戦死は報道もされないので、国民はその事実を知らない。
仮に知っていたとしても、「死んだのは人間じゃないやつでしょ?」ということになるので、特に誰もそれを問題としない。
・・いや、こういうのが何百年も続いた歴史というならまだ理解できなくもないんだが、この隔離政策が始まったのは僅か9年前のことらしく、つまり10年前の段階では有色人種も普通に共和国民だったということだよね?
それをある日突然「彼らは人間じゃない」と通達され、またそれを受け入れた国民たちって何なの?

で、ヒロイン・レーナは銀髪の貴族令嬢でありつつ、この国の歪んだ体制に憤りを感じている少数派である。
軍の少佐である彼女は戦場の最前線「86」部隊の管理者であり、主人公シンら兵士たちのあまりにも過酷な境遇に同情し、何とか彼らの力になりたいと思うようになる。
というのが物語のイントロ。
ただ、そんなレーナの想いは空回りし、「86」に肩入れする彼女に軍は不快感を示すし、また「86」側も戦地から離れた安全な位置で綺麗ごとばかりをいうレーナに対しては不快感を示す。
もうね、この序盤のレーナがホント不憫で不憫で・・(涙)。

レーナの親友・アンリエッタ

で、レーナの親友アンリエッタ(軍の研究部門勤務)は、最近軍で浮いてるレーナを見かねて、これ以上変に正義感を振りかざすのはやめるように忠告するわけよ。
彼女は理想主義のレーナとは対照的に、なかなか現実的なキャラのようだ。

私たちは、私たちの世界で生きていくものなの。
今のあなたにできることは、自分を甘やかすことよ。
この世界はね、昼間にこっそりプリンを食べられる、素晴らしい世界なのよ。
ここにはプリンがあって、向こうにはない。
私たちは彼らと違うの。何もかも

このアンリエッタはバカではなく、ちゃんとこの国の歪みに気付いてる人である。
その上で、自身がその歪みによる恩恵を被ってる立場である以上、その歪みに同調せざるを得ないじゃないか、という考え方なんだ。
つまり、
今のレーナもまた自分同様歪みの恩恵を被ってる立場のくせに、それでいて「この歪みはおかしい!」と主張するのは明らかに偽善でしょ
ということ。
このアンリエッタの主張、イラっとはするけど、実は正しい。
正しいんだが、その一方でとても哀しい・・。

②蟲のようなレギオンという不快感

レギオン

そしてシンやレーナたちが闘う相手、レギオン。
これは「自律型無人兵器」で、当初はギアーデ帝国が開発したものらしいんだが、その帝国もこれの制御が不可能だったらしく、いまや全人類共通の敵ということになっている。
一定の意思をもち、自己増殖が可能ゆえ、日々機体数は増えてるのかも。
この機の頭脳部分は有機体らしく、機体増産には人間の首を切り落として脳を奪い、それをスキャンしてコアに利用してるっぽい。

レギオンの最大の強みは何かというと、その圧倒的な物量である。
自己増殖できる機体ゆえ、とにかく数が多い。
なんせ、戦場には人間の兵士がゴロゴロいて、新機体のコアの素材となる脳の入手にはまるで困らないだろうからね。
なんていうか、レギオンは湧いてくる蟲のようである。
私は思うんだが、戦争において蟲ほど最強の生物っていないんじゃない?
だって、死を全く怖れないし、群れの意思統制はとれてるし、たとえ個の力で劣ろうとも物量で敵を圧倒できれば最後は押し切れるでしょ。
個々を消耗品と割り切れる分、その群れの圧力は強いんですよ。

こういうのに包囲されたら、たとえ地上最強のライオンやトラでも太刀打ちできないのでは?

もうね、まさにレギオンはこんな感じで、ホント不快なんですよ。
戦争というよりは駆除に近いものあるが、駆除しても駆除しても湧いてくるのならホント手に負えない・・。

で、このふたつの不快感
①人種差別という不快感
②蟲のようなレギオンの不快感

この醜さを、視聴における必要最低限の負荷と捉えてください。

一方「86」は、その不快感と並行して爽快感をきっちり用意してくれてるのよ。
まずは

①音楽の良さ

あと、澤野弘之さんの劇伴も素晴らしい。

②部隊メンバーの戦地における日常の尊さ

作中、彼らを「可哀相な子たち」と憐れむオトナは多くいたが、彼らはその同情を一貫して拒んでいた。
その意味するところは、やはりこういうシーンの中にも多分あると思う。

③自然の美しさ

基本的に、景観の作画はホント綺麗でしたね。

④女性キャラの可愛らしさ

特に、レーナのキャラは秀逸だったと思う。

なんていうかな、不快感⇔爽快感、醜さ⇔美しさの落差がスゴイのよ。
あの不快感や醜さがあるからこそ、爽快感や美しさが際立つというか、これ結構クセになるんだよね。
そういうストレスという意味では、主人公のシンとレーナがずっと会わないままの状態をラストまで引っ張ったのは結構しんどかったんだが、その分、最後の最後はマジでスッキリしました!

ようやく、肩を並べたふたり

なんか聞いたところでは、原作はこの後もまだまだ続くらしいじゃん。
だけどさ、アニメとしてはめっちゃキリのいいところで締められたわけだし、う~ん、どうなんだろう?
これ以上、いる?
続きを見たいっちゃ見たいが、ここで終わった方が名作として語り継がれる気もするし、難しいところである。

というより、この続編をやるかやらないかで、A-1Picturesの今後のスタンスが見えてくるね。


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