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アムロの恋人殺したこと、反省してないよね?「閃光のハサウェイ」

今回は、「閃光のハサウェイ」について書いてみたい。
これは映画としての興行収入が22億以上だったらしく、「ガンダム」劇場版としては歴代でもかなりの上位(3位?)に食い込んだらしいね。
なぜ、そんなにもヒットしたのか?

「閃光のハサウェイ」(2021年)

ひとついえるのは、監督・村瀬修功、キャラデザ・恩田尚之、このふたりがめちゃくちゃ効いてたということ。
「ガンダム」史上NO1といっていいクールな質感の画。
村瀬&恩田コンビって、「Ergo Proxy」のコンビだよな?
なるほど、納得。
あとは、この映画の原作が富野由悠季著の小説の中でも特に名作とされてる、というのがあるだろう。
1989年に発表された小説だから、かなり古いといえば古い。
富野さん的には、映画「逆襲のシャア」が公開された翌年である。
そう、「ハサウェイ」は「逆襲のシャア」の続編なんだよ。
あの映画でアムロの恋人チェーンを殺してしまったハサウェイ(当時中学生ぐらい?)がその後どうなったのか、という後日譚。
・・ええ、しっかりトラウマが刻まれたようだし、いい感じに歪んでくれてますよ(笑)。

アムロの恋人だったチェーン

ハサウェイがなぜチェーンを殺したのかというと、そのチェーンがクェスを殺したからだよね。
クェスはシャア陣営で、明確に連邦の敵だったからチェーンの攻撃は正当な軍事行動だったといえるんだけど、まだ子供のハサウェイにはそのへん理解できず、ただ好意を寄せてたクェスを目の前で殺されたことで逆上し、その勢いでチェーンを殺してしまった、というのが真相。
ただし、ハサウェイのトラウマはあくまでクェスを目の前で殺されたことであって、決して自分がチェーンを殺したことじゃないと思う。

はい、これが問題の女性、クェス。
ハサウェイが思いを寄せてる娘なんだけど、悲しいかな、彼女はハサウェイを全く相手にしてない。
多分同年代の男子には興味なく、年上好き、尚且つ有名人好きのミーハーで、まず最初はアムロに積極的に言い寄っていく。
でもアムロには恋人チェーンもいるから当然相手にされず、今度はシャアに少し優しくされると、あっさりそっちに行っちゃうんだよね。
で、クェス的には自分の意思でシャアのところに行ったんだが、ハサウェイは「シャアに騙されてる」と思い、彼女を連れ戻しにMSに乗って戦場へ出ていくわけだ。
そこで例の悲劇が起きるんだが、とにかくクェスがイタいし、そのクェスの尻を追いかける(でも相手にされてない)ハサウェイはさらにイタい・・。

成人したハサウェイ

で、そんなハサウェイも20代半ばになったわけだが、その後チェーン殺しの罪がどうなったのかは、よく分からない。
多分、うやむやになったんだろう。
とはいえ、一応彼自身もその罪は自覚してるはずさ。
でも、その殺害は正当な行為だったと自分を肯定したい思いもあるはずで、つまり「チェーン殺し=クェスの仇を討った」ということにしたいんだよ。

「クェスの仇を討った」⇒「自分はクェスの遺志を継ぐ」⇒「連邦を倒す」

というロジックから、今の彼は反政府テロリストになってるわけね。
全て「クェスありき」である。
結果的に「シャアの遺志を継ぐ者」みたいになってるけど、そうじゃなく、あくまでも彼の本質は「クェスの遺志を継ぐ者」である。
・・ん?
クェスって、そんな明確な政治理念ある子だっけ?
いや、「逆襲のシャア」見る限り、ただ情弱な子供がカリスマの理念に感化されただけのことだよ・・。

<シャアの遺志>

じゃ、ちょっと基本に立ち返ろう。
そもそも、シャアの遺志って何なの?
というか、皆さんは「逆襲のシャア」を見て、疑問に思わなかったか?

なぜシャアは、小惑星アクシズ落としを仕掛けたんだろう?と。


シャアほどの高潔な人物が、ああいう大量虐殺を企むというのはどうも腑に落ちないよね。
でも、そこをクリアにしてくれたのが「閃光のハサウェイ」なんだよ。
この作品で解釈されているシャアの本来の意図は、「地球を人間が住めない環境にしてしまうこと」。
今は、
・特権階級(政府高官等、及びその家族)のみが地球に居住
・それ以外はコロニー(植民地)に「棄民」
という形になっていて、この構造は特権階級による民からの搾取を助長するシステムなのよ。
これを抜本的に解消するには、
地球をまるごと人が暮らせない環境にしてしまえばいい
そうすりゃ、特権階級だろうが庶民だろうが皆一律に「スペースノイド」。
つまり、これは階級による格差を根っこからぶっ潰そうという、明確な左翼革命なんだよね。
いや、もちろん他にも「地球環境保全の為」という本来の大義名分もあり、元々コロニー建設は「このままの人口増加でいくと地球環境がもたない」という問題の打開策だったらしい。
だけど、シャアは別にエコロジストじゃないんだし、どっちかというと左翼革命の方が主眼。

小惑星アクシズ、ここまでデカいものが地球に落下したことは過去にないだろう

もちろん、こんな大質量のものを地球に落とせば、その影響は計り知れない。
おそらく、これは地球の寒冷化、さらに氷河期化までを引き起こすんだろうよ。
その結果として多くの人が死ぬことになるだろうが、その罪は私がひとりで背負いましょう、と。
そういう覚悟の上なんですわ。
シャアは一年戦争を経験し、あのジオンの大戦力をもってしても地球連邦に勝てなかった現実を知ってるわけで、今後もコロニー側が地球連邦と戦争をしても勝てない現実をちゃんと理解してるわけさ。

ならば「戦争に勝つこと」を目標とせず、ただ「地球の居住不能化」という結果だけを勝ち取ればいい

という戦略のマイナーチェンジをしたんだね。
その方法論が、たった一度の「アクシズ落とし」。
確かに、これが最も即効性のあるテロである。
こうして考えると、シャアはやはりホント頭がいい。

まぁ、オチをいえばアムロらの活躍により「アクシズ落とし」は阻止されたんだが、じゃ、その後の地球が果たしてどうなったのか、それを描いてるのが「閃光のハサウェイ」ってことね。
これは3部作だから完結はまだこれから先のこととして、じゃ、TVアニメの既存作品における「その後の地球」を検証してみようか。
あくまで「冨野由悠季監督作品」限定でね。
まずは、これから。

「Vガンダム」

これは宇宙世紀153年の「Vガンダム」。
つまり、「閃光のハサウェイ」から半世紀後の地球の様子である。
上の画は「バイク戦艦」というやつで、ひとつのコロニー国家が地球を襲撃し、「地ならし」をしてる光景なんだよね。
この宇宙世紀153年時点では連邦軍がほぼ機能しておらず、地球がコロニー勢力に蹂躙されるという逆転現象が起きちゃってる。
もはや地球は、「特権階級の居住区」ではなくなってる感じ。

∀ガンダム

そして、これは「∀ガンダム」。
この頃になると、もう宇宙世紀という呼称は消えており、正確な時代はいつなのかもよく分からない。
古代遺跡としてガンダムが発掘されたぐらいだから、それこそ気の遠くなるほどの歳月が経ったんだろうな、と。
あと、地球の住民たちはスペースノイドの存在も知らなかったので、もはやこの時代の地球は「過去に見捨てられた地」という位置づけなんだろう。
ぶっちゃけ、この時代の地球文明は19世紀レベルぐらいにまで落ちてる。
ただそのせいか、自然環境は宇宙世紀の時代と比べても非常に綺麗なんだよね。
かつては「地球環境がもたない」と危惧されてたのに、皮肉なことに地球が見捨てられたことによって環境が浄化され、また復活したということ。
なんというか、こうして改めて見ると、実は「シャアの遺志」がうまいこと実現してるんだよなぁ・・。
かつて「アクシズ落とし」は失敗し、強制的な地球退去はならなかったものの、しかしその後何らかの事情で地球退去が加速し、結果地球は浄化され、少なくとも「地球の特権階級がコロニー(植民地)から搾取をし続ける」という旧時代の悪習はなくなったようだ。

「Gのレコンギスタ」

そしてこれは、富野さんいわく「∀の時代から500年後の地球」を描いたという「Gのレコンギスタ」である(サンライズは富野さんの主張に異を唱えているが)。
「∀」とは打って変わり、地球の文明はまた復興している。
ただ、クリーンエネルギーの効果か、地球環境は意外と綺麗なんだよね。
なんと、最後の最後で富野さんは「救いのある未来の姿」を描いてくれてるんだよ。

「Gのレコンギスタ」主人公ベルリ

この作品は、主人公も今までになく明るいキャラクターで、好感がもてる。
富野さんの「未来の子供ならばこういう感じであってほしい」という想いを投影したキャラともいえるんです。
私、個人的にはこの作品をあまり面白いとは思わないんだが、でも富野さんの珍しくポジティブな物語の描き方、そして希望のある締め方ということでとても重要な意味をもつ作品だと思う。
皆さんも十分に分かってると思うけど、「ガンダム」とは、富野さん自身の物語なんだよ

富野由悠季=シャア


アニメーターになる以前の富野さんは革命家だったわけで、国家権力を打倒しようと夢想し、その夢破れたホロ苦い前歴のある人なのね。
その投影が「宇宙世紀」シリーズであり、必ず革命勢力は散っていく運命として描くのが富野さんのクセなんだが、その一方で
シャアの遺志は必ずや誰かに受け継がれる
というニュアンスもあるのさ。
そして、富野さん的に最終着地点の「Gのレコンギスタ」。
そこに描かれてるのは、「かつてシャアが望んだ世界」なんだわ。
つまり暴力革命は失敗したけど、未来は落ち着くべきところに落ち着いた、というオチにしたかったじゃないの?
だから、「宇宙世紀」シリーズの完結編は「Gのレコンギスタ」という富野さんの主張は認めるべきだし、

この最後の「救い」があって、「宇宙世紀」が初めてひとつの完成されたカタチになるんだと思う。


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