改めて、新海誠作品の意味を読み解こう
今回は、新海誠監督作品について書いてみたい。
いまやアニメ界で唯一宮崎駿と互角に渡り合えるヒットメーカーの新海さんだが、実は売れるようになったのは割と最近になってからのことである。
じゃ、彼の全作品の興行収入を見てみよう。
<新海誠作品興行収入>
【1作目】
「ほしのこえ」(2002年)
興行記録なし
【2作目】
「雲のむこう、約束の場所」(2004年)※商業デビュー作
興行収入⇒5000万円
【3作目】
「秒速5センチメートル」(2007年)
興行収入⇒1億円
【4作目】
「星を追う子ども」(2011年)
興行収入⇒2000万円
【5作目】
「言の葉の庭」(2013年)
興行収入⇒1億5000万円
【6作目】
「君の名は。」(2016年)
興行収入⇒251億7000万円
【7作目】
「天気の子」(2019年)
興行収入⇒142億3000万円
【8作目】
「すずめの戸締まり」(2022年)
興行収入⇒149億4000万円
見ての通り、「君の名は。」より前の作品は全然ヒットしてないのよ。
だけど今回は敢えて、この1作目~5作目に着目してみたいと思う。
彼の作家性を伺う上で大事なものは、この5作品にこそ詰まってるからね。
この5作品における主人公には、ある共通した特徴が全員にある。
それは何かというと、皆「ここではない、遠いところに想いを馳せている」
ということなんだ。
多分、新海さん自身が若い頃はそういう感じだったんだろうね。
何か、今自分がいるところが本来の自分の場所じゃないような気がする・・という思春期特有のやつで、これは普遍性のある感覚ゆえ、見てる人たちは「分かる分かる~」と共感できるものだと思う。
そして、この5作品の中で特に重要なのが、商業デビュー作「雲のむこう、約束の場所」だと私は思っていて、この作品で新海さんは
【ここではない、遠いところ=分岐世界】
だと定義付けてるのよ。
この分岐世界という考え方は、実をいうと今なお新海作品の中で生きてて、たとえば「君の名は。」の中に「言の葉の庭」のヒロイン・ユキちゃん先生が出てくるでしょ?
これ、単なるサービスかと思いきや、そうではなく、実はこの登場シーンは2013年9月、「言の葉の庭」の時系列と完全にカブってて、つまりこの時期にユキちゃん先生が飛騨にいることは絶対あり得ないことなのよ。
じゃ、これって新海さんのうっかりミス?
いや、そうじゃない。
わざわざパンフレットに、このことについて「観る人の想像次第」と記載があることからして、これは普通に「分岐世界」と捉えるのが正解のはず。
あと、この考え方を応用すると、「秒速5センチメートル」ラストの解釈も分かりやすくなってくるんだわ。
そもそも、「秒速」の主人公・貴樹は、なぜあんなにも虚ろな人間になってしまったのか?
ポイントは、例の手紙だよね。
貴樹は、この手紙を風で飛ばされて紛失し、結局、ヒロイン・明里には渡せなかったんだ。
この時点で、きっと
①手紙を渡す世界
②手紙を渡せなかった世界
が分岐したんだと思う。
現実は②となってしまったんだが、でもその世界にそのまま①の貴樹が残留してしまったことで、彼が「ここは自分の世界じゃない」という妙な感覚を抱えながら生きていくことになったのね。
でもラストの貴樹は、ひょっとして幻だったかもしれないけど明里と桜舞うところで邂逅し(一緒に桜を見る約束をしてたっけ・・)、そこでようやく①手紙を渡す世界と②手紙を渡せなかった世界が融合したわけよ。
だから、最後に一歩踏み出す時の貴樹は、割といい表情だったでしょ?
きっと今後の彼は、もう大丈夫だと思う。
思えば「君の名は。」なんて、まさに分岐世界ありきの物語だったよね。
①彗星落下によって、ヒロインたちがみんな死亡した世界
②避難したことにより、ヒロインたちが死ななかった世界
この②の世界の人々が次作「天気の子」にも多数出てるわけで、このふたつの世界線は繋がってるという解釈でいいと思う。
じゃ、そもそも「分岐世界」って何なの?
「雲のむこう、約束の場所」の中で、それは
宇宙が見る、夢のようなもの
という抽象的な解説をしてくれている。
正直、言ってることの意味分からんけど・・。
でもまぁ、この作品のヒロイン・佐由理は「宇宙が見る夢」を制御する能力があるらしく、つまり自身の夢の中で分岐世界を俯瞰してるんだろうね。
その影響で、彼女は数年間眠り続けて目が覚めないという、悲劇のヒロインである(上の画の状態)。
ひょっとしたら、彼女がその気になれば世界の書き換えをできてしまうかもしれん。
セカイ系ですな・・。
新たに分岐した世界では前世界の記憶を失うという「君の名は。」の設定は、この「雲のむこう、約束の場所」由来のパターンだね。
この作品のラスト、ヒロインが記憶を失う瞬間が哀しい・・。
いや、逆に言えば、「君の名は。」で主人公たちが記憶の消失を乗り越えて再び邂逅したことを思えば、ひょっとしたら佐由理にも何らかの希望があるのかもしれん。
何にせよ、この両作品はセットで視聴してこそ面白さ倍増だわ。
じゃ、最新作「すずめの戸締まり」はどういう世界線なんだろうか?
「君の名は。」と「天気の子」と「言の葉の庭」が繋がってるのは分かったが、そっちのメンバーが「戸締まり」に出てこなかったのは気になる・・。
そういや、「星を追う子ども」が設定的には「戸締まり」とカブってるんだよ。
どっちもネコが重要キャラとして出てくること、どっちも古事記・日本書紀がモチーフになってること、どっちも黄泉の世界を描いてること。
このふたつの世界線が繋がってるとは思えんが、でも少なくとも新海さんのアイデアの核は同一だと思う。
私は新海さんのお人柄までは知らないけど、多分、めっちゃ真面目な人なんじゃない?
これまでの作品が、これほどまで核になってるものが共通してるっていうのは、簡単にテーマを使い捨てにしない生真面目さからきてるようにも思えるんだわ。
前作はここがうまくいかなかったから今作はこう改善しよう、今作はここがうまくいかなかったから次作はこう改善しよう、という感じで常に切り口を変え、でも伝えたいものは全てにおいて同じ、というイメージかな。
なんか、めっちゃ誠実。
映像表現としては、5作目の段階でもうMAX値まで到達したかと。
あれ以上のレベルはもはや難しいし、6作目からはむしろ「売れること」にテーマを切り替えた感じ?
とにかく、作品を作るごとに課題を見つけてはそれをクリアし、回を重ねるごとに着実に何らかの進化を遂げている。
この勤勉さ、大したもんだよ。
この調子でいけば、新海さんが興行面で宮崎駿に追い付くのも時間の問題にせよ、じゃ、彼の会社コミックスウェーブフィルムがジブリに追い付けるのかというと、さすがにそれはちょっと甘いんだよね・・。
ぶっちゃけていうと現時点、コミックスウェーブはジブリほどのブランドには全くなっていない。
なぜって、この会社、新海作品以外がほとんどクオリティ低いんだよ。
こういった作品がコミックスウェーブの名を冠して出てるんだけど、どれも大体が評判はよくない(これらに新海さんは全く関与してない)。
それもそのはず、コミックスウェーブフィルムの会社方針に
・正社員をとる
・若手に経験を積ませる
というのがあるらしく、赤字になることも前提で低予算作品の生産ラインを一定に動かしてるんだという。
真摯な会社やなぁ・・。
まぁ、新海さんが「ほしのこえ」を作った時の環境を提供しようということだね。
そのせいでコミックスウェーブの作品はジブリみたいな「品質保証」っぽいブランド性を犠牲にしてるわけだが、まぁ、これは会社哲学の領域なんだししようがないさ。
新海さんが興行的に収益を出し、その利益を先行投資として若手が食い潰すという一定のサイクル。
そういや、ジブリだって「宮崎駿が収益を出し、高畑勲をそれを食い潰す」という一定のサイクルがあったっけ・・。
じゃ、ジブリにとって高畑さんがガンだったかというと、断じてそんなことはないわけよ。
それはコミックスウェーブにしても全く同じことで、そこから得られるものがあるんだと思う。
新海さんの「言の葉の庭」など、もはや史上最高水準の領域に到達した作品なんだけど、こういうのはどう考えてもコミックスウェーブの「先行投資」が効いてると思うんだよね。
まだ先のこととはいえ、そのうちにコミックスウェーブって、天下を取るんじゃないかな?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?