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富野由悠季って女の描き方エグいよな・・「Zガンダム」

今回は、「Zガンダム」について書いてみたい。
これ、「ガンダム」シリーズにおいて、めっちゃ重要な位置づけである。
これがあったからこそ「逆襲のシャア」ができたんだろうし、シリーズ化は全てここからである。
何より富野由悠季さん自身がこれを「思い入れのある作品」と言っており、2005年には「新約」として劇場版「Zガンダム」を制作してるほど。
多分、「ガンダム」の定義は「ファースト」と「Z」で固まったんじゃないかな?
改めて、今回は「Z」を再評価したいと思う。

「Zガンダム」(1985年)

これは「機動戦士ガンダム」の続編といいつつも、主人公がアムロでなく、カミーユという全く別の少年というのがキモである。
やはり、「ガンダム」の主人公は思春期の少年であるべきということだろう。
でもって、このカミーユがアムロ以上に情緒不安定な奴なんだ・・。
両親の夫婦仲が冷え切ってることもあり、元々ちょっとやさぐれた子である。
それに加え、

・父・母ともに彼の目の前で死亡
・好きになった女子が、敵軍の兵士だったことが発覚
・やがて、その子も死亡
・慕っていた女性の上官が裏切り、敵軍に寝返った
・やがて、その人も死亡

という悲しい目に遭い続けるカミーユ。
テレビシリーズの最終回では、遂に彼は心身喪失状態となってしまう・・。
こういう流れもあり、「Z」は鬱アニメだとして敬遠する人も多いかと。
うん、鬱展開が苦手な人は無理して見なくていいと思う。
だけど個人的には、これぞ冨野由悠季の真骨頂という気もするんだけど。

主人公・カミーユ

冨野由悠季は極めて作家性の強い人であり、特に脚本家・小説家の色が濃い人でもある。
どちらかという「私小説」っぽい作風を得意とするようで、「ガンダム」もまた彼の青春時代の投影なのでは?と昔からよく指摘されてるんだ。
いや、もちろん、彼が青春時代にモビルスーツ乗ってたわけじゃないよ。
ただ「ガンダム」で描かれてる闘いは、彼が学生時代に経験した全共闘運動の投影なんじゃないか、という話。
全共闘、その国家権力(右)vs反国家権力(左)という闘争の構図を投影したのが「ファーストガンダム」。
じゃ、続く「Z」は何なのかというと、これは全共闘運動の顛末というべき史実だが、実は同じ運動家の中でもセクト間の内部抗争が激化していくことになったのよ。
つまり「Z」のプロット、そのまんまである。
「Z」はこういうややこしい構造ゆえ、一体誰と誰が何を目的に戦ってるのか、油断してると全然話についていけなくなる。
だって、最初は地球連邦軍同士で戦ってるし、一方でアムロとシャアが共闘してるし、やがて旧ジオンの残党勢力もそこに絡んでくるし、最後はもはや完全にカオス状態。
これを見てると、まだ「ファースト」の構造はシンプルだったんだな~、と痛感するよ。

前作の敵キャラ・シャアは、今回地球連邦内「エウーゴ」に所属し、カミーユらと共闘

いや、私はこういうややこしさこそ「Z」の魅力だと思うけどね。
たとえ話が分からなくなったとして、「多分全共闘も、最後はこんな感じでぐちゃぐちゃだったんだろうな~」と解釈すればOK。
いやホント、ここで描かれてる戦争って、ほとんど無意味。
「ファースト」の頃はまだ「コロニーの自主独立」みたく大義名分があったのに、「Z」ではその大義名分がよく分からんのだから。
それゆえ、昨日まで同僚だった奴が、今日は敵として襲ってきたりして。
特に冨野由悠季は、この作品で「女は信用できない」というのをやたら強調してる気がする。
昔から思うが、この人って何でこんなにも悪意をもって女性を描くの?
それこそ全共闘時代、女性に手痛い仕打ちでも受けたんだろうか?
一説には、アフレコの収録現場でも女性声優ばかりを狙い打ちで罵倒する、という話を聞いたことがある。
あの優秀な新井里美さんですら、罵倒されまくって泣いた、みたいなことを言ってたし・・。

エマ(左)とレコア(右)

私が「Z」の中で特に印象に残ってるのは、上の画のエマとレコアである。
地球連邦では「ティターンズ」と「エゥーゴ」という2派閥が争ってるんだが、

・エマは、ティターンズを裏切ってエゥーゴへ
・レコアは、エゥーゴを裏切ってティターンズへ

という、どっちも裏切者なんだわ。
まだエマの裏切りは、ティターンズの非人道的な方針に嫌気がさしてということで理解できるけど、レコアの方は全くもって裏切りの意味が分からん。
ざくっといえば、エゥーゴにはロクな男がおらん、一方ティターンズは私のことを理解してくれそう、だから裏切る、といったニュアンスである。
「はぁ?」だよね。
この人、どんだけ自由やねん(笑)。
で、最後はこのふたりが敵味方となって闘うという展開に・・。

エマ「でもね、レコアさん。
あなたが死んでも、誰も泣いてくれないんじゃないの?」

レコア「誰もいなくていい。
それが私の選んだ道よ」

エマ「強がらないで、レコアさん。
あなたは女でありすぎたわ」

レコア「そうよ、私は女よ。
だから今ここにいる。あなたの敵になった」

エマ「レコア!」

レコア「だから戦うのよ。
人の生き方はそれぞれ。
他人の干渉など・・。
エマ中尉、分かってよ。
男達は戦いばかりで、女を道具に使うことしか思いつかない。
もしくは、女を辱めることしか知らないのよ」

こんな感じで2人は女子トークしながら闘い、レコアはエマに敗れ、死亡。
とにかく、このレコアさんの超絶なコジらせっぷりを見るだけでも「Z」は楽しめると思う。
いいよなぁ、レコアさん。
冨野さんが描くクソ女は、理解不能で逆に好き。

冨野由悠季

富野さんって「Z」あたりから、少しずつ鬱病に苦しむようになっていったらしいのね。
その鬱傾向が、作品にも表れてるような気がする。
この「Z」の後、「次こそ楽しい作品に」と断言した上で「ZZ」をスタートさせ、確かに序盤は明るかったのに、それが後半にいくにつれて重くなっていき、最後はもう「Z」と大して変わりませんでしたよ。
これ、もう完全に病気だね。
こういう作家性の強い人って、割と躁鬱があるんだ。
私が知ってるだけでも

・富野由悠季
・押井守
・庵野秀明

この3名は鬱に悩まされた作家である。
確か押井さんと庵野さんは「自殺を考えていた」と言ってた気がする。
まぁ、確かに彼らは作風が重いが、そういう作家さんほど要注意、ってことだね。

「新約Zガンダム」ラストシーン

しかし、3人とも今ではすっかり明るくなって、作風もやや明るくなったと思うよ。
富野さんは「Gのレコンギスタ」はとても明るかったし、いや、明るいから逆に私はあれをあまり好きじゃないんだが、好きという人は一定数いるだろう。
あと鬱だった「Z」も05年に作り直した「新約」を見ると、エンディングが信じられないほど爽やかに改変されてるんだわ。
もはやハッピーエンドに近い。
多分これって、今になり冷静に見て、「Z」はちょっとやりすぎたな~、という思いが冨野さんの中で湧いていたんじゃないだろうか。
そういや、「エヴァンゲリオン」も「シン」のエンディングは爽やかに改変されてたよね。
案外、そういうもんである。
・・でも、私は昔の作品も否定してほしくはない。
あれはあれで、ちゃんと良い作品なんだから。

「ファースト」⇒「Z」⇒「逆襲のシャア」

この3つは、冨野さんにとって一番大事なんじゃないかな?
「ZZ」「F91」「V」「∀」「Gのレコンギスタ」あたりと比較しても、圧倒的に思い入れが強いかと。
多分これって、「富野由悠季全共闘の青春3部作」なんだよ。
宮崎駿でいうところの、「君たちはどう生きるか」みたいなもの。

やっぱその作家の人生を乗せられた作品って、我々としても見るとズシンとくるよね。

結局、「Z」の女子キャラでは、ハマーンカーンが最もまともな部類だった気も・・


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