記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「響け!ユーフォニアム」を見て、夫婦喧嘩するのはやめて!

今回は「響け!ユーフォニアム3」について書こうと思う。
第12話、神回でしたね。
久しぶりに震えました。

そもそもこの物語、皆さんはアニメで表現しなければならない類いのものだと思うかい?
私は、思わないんだ。
作中、「アニメでなければできない表現」がほとんど皆無だから。
だから実写化も十分できると思う。
というか、アニメ化においては「手や指の動きを音に合わせる」という繊細な作業を要されており、パッと見よりも遥かにエネルギー消費の激しい作品だよね。
ある意味、コスパが悪いというか・・。
とは言いつつも、私は「これをアニメで見られてよかった」と思ってるんだ。
なぜって、それはこの作品が「声優による会話劇の最高峰」として成立してるからだよ。
特に、黒沢ともよは神懸かっている。

2024年上半期のMVPは、黒沢ともよでいいんじゃないか?

黒沢ともよ

基本、この人はうまいよね。
それも技術的にうまいとかそういう類いのものではなく、いわゆる「憑依型」というやつで、役とシンクロして完全に一体化しちゃうタイプの人だと思う。
もはや黄前久美子=黒沢ともよだし、黒沢ともよ=黄前久美子ともいえる。
正直、彼女が「ユーフォニアム」の主演に選ばれた時は「こいつ誰やねん」と思ったもんだが(逆に有名声優が脇に回ってたし)、今となっては彼女を選んだ制作スタッフは慧眼としか言いようがない。
いやホント、この人にしかできない芝居の領域があるから。
これは、ちょっと他の人にはマネできない領域かも・・。

黄前久美子

いや、もちろん凄いのは声優だけではない。
演出もまた凄くて、ひとつひとつ画に込められた情報密度がやたらと濃い。
「言葉で説明せずに、画で説明する」というやつで、お前は宮崎駿かよ?とツッコみたくなるような作りになっている。
たとえば、黄前vs黒江のオーディション採決のシーン、画で「麗奈と奏はどちらの音が黄前かをもう分かってた」と、きちんと表現してるよね。
そこを表現できてたからこそ、あのシーンは泣けるんだよな~。
これまで色々たくさんあった伏線を、この12話でまるごと、ごっそりと回収してくれた感じだ。
なんか、目の前が晴れてスッキリとした。

黒江真由

そして、3期における台風の目・黒江真由という女。
非常にミステリアスな存在で、多分作者側も意図的にミスリードを誘ってたと思うんだけど、私も正直、cv戸松遥というのがポイントだと思ってたんだよね。
戸松さんというのはめっちゃ芸達者な声優さんで、それこそ「ソードアートオンライン」アスナみたいな聖女っぽい声を出す一方、実は最も得意とするのが逆に俗っぽい声、やさぐれた声だったりするわけよ。
そいう芸域の幅が売りの声優ゆえ、私としては
黒江真由=ホワイト戸松orブラック戸松?
として、ずっと疑いの目を向けていたんだ。
あるいは二面性あるキャラなんじゃないか、と。
ところが、そのへんも12話できっちりと回収してくれました。
まさか、黄前が「音」で彼女の実体を把握していたとは・・。
この物語はあくまで黄前主観で綴られていくから我々もついつい騙されがちだけど、話が進むにつれて、だんだん黄前ちゃんの凄みが見えてくるよね。
この子、ダテに部長じゃないな・・、と。
少なくとも、先代や先々代より遥かに優れた部長だと思うよ。

高坂麗奈

そして、この3期で最も心が痛かったのが麗奈と黄前の対立。
これさ、めっちゃ難しい問題を扱ってるよね。
はっきりいうけど、高校生ごときがこれにきっちりした正解を出すのはマジでハードル高すぎますよ。

だって、我々オトナの世界ですら、この問題はいまだ解決を見てないからね。


正直いうと、麗奈の言い分も黄前の言い分も、ともに間違ってはいないのさ。
だからこそ、どうしても最後はコジれてしまう。
ふたりの主張を分かりやすくまとめると

麗奈=オトコの理論(アソシエーションとしての組織論)
黄前=オンナの理論(コミュニティとしての組織論)

ということになると思う。
いや、厳密にいうと黄前自身はオンナの理論に立脚してるわけじゃなく、下の子たちから不満が出てるからそれを代弁してるだけなんだけど。
多分、ふたりの言い争いを聞いてて、これは視聴者側も男女によって捉え方が異なったんじゃないかな?

旦那「うん、麗奈ちゃん言うとること正しいわ」
嫁「何言うとんの?あんなやり方で皆がついていけるわけないやん?」

多分、日本中でこれをキッカケに夫婦喧嘩になった家庭は1万戸を下らないだろう・・。
日本のカイシャはいまだオトコ社会ゆえ、マッチョな麗奈理論はむしろ聞き慣れたものである。
ただ、このへんを究極まで突き詰めていくと、最後は「軍隊」に行き着くんですよ。
軍隊は効率を優先した組織論の究極形であるがゆえ、「上官の命令は絶対」というロジックで成立している。
しかしこれの最大の問題点は、

「もし上官が間違ってたら、どうすんの?」


ということだ。

皆さんは、こういう上官に最後まで従いますか?

幸い、「ユーフォニアム」の上官・滝は意外とリベラルな人だったようで、最後は「みんなで決めよう」という例の切り札を持ち出してきたね。
オトコもオンナも、最終的に納得せざるを得ない形さ。
言っとくけど、現実の世の中にこんな助け舟を準備してくれる、良い上官は存在しないよ?
普通、「文句あるなら辞めれば?」といって切り捨てるのが組織というものである。
部活にしても、体育会系か文科系サークルかによって空気に差があるものだろう。
困ったことに、吹奏楽部というのはその中間に位置するものなんですよ。
だからこそ、考え方が割れやすい。

「滝先生は絶対じゃ、ボケ!」(麗奈)

「みんなで楽しく演奏~♡」(黒江)


オトコの組織論(アソシエーション)
オンナの組織論(コミュニティ)

このオトコ理論とオンナ理論の埋められないギャップは、紐解けば我々人類がまだ原始人だった頃まで遡る。
有史以前、我々人類は「オトコが狩りに行き、オンナが留守を守って、子を育てる」という生活を何万年も続けてきたという。
何万年、つまり有史以降の何千年程度とは比較にならんほど長い期間、これをずっと続けてきたわけよ。
そりゃ、DNA(記憶)にも消せないレベルで刻まれるよね。
すると、必然としてオトコとオンナにはその資質にも差異が生じてくるわけです。

オトコ⇒アソシエーション型のメンタリティ(目標優先、身近な細々したことには鈍感)

オンナ⇒コミュニティ型のメンタリティ  (身近な細々したことに対して異様に敏感)


そう、これは鈍感vs敏感の構図でもあり、よく「オトコの浮気はすぐ嫁にバレる」というけど、これはオンナが原始時代に何万年もかけて会得した、「気づきのスキル」なのよ。
一方、オトコの方は原始時代に何万年もかけて「鈍感のスキル」を会得している。
というのも、ハンターがあまり細かいことに気をとられていては大きな獲物を仕留めることは逆に無理なわけで、これはこれで必要なスキルである。

でさ、「ユーフォニアム」はオンナ中心の物語であるがゆえ、皆「気づきのスキル」発動がやたら凄いのよ。
それぞれが空気を読みあい、ちょっとしたことで敏感に違和感を感じ取っていく。
そこがヒリヒリするんだよなぁ・・。
ただ秀一なんかは少し鈍感っぽくて、逆に癒されたけど(笑)。

多分、この作品は男女によって見方が色々異なってくると思う。
特に女性視聴者など、おそらく鈍感な私には気づけないような細かい描写をいっぱい見つけてるに違いないさ。
基本、オトコよりオンナが楽しめるアニメだと思う。
・・さぁ、ラストどうなるんだろ?
ここまでして「北宇治最強」をお膳立てした以上、もはや金賞を獲らないと納得できないんですけど?
楽しみにしましょう。

それにしても、京アニ、またこれでひとつ伝説を作ったといえるね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?