牧野 曜
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科学コミュニケーションと「いんよう!」の紹介
科学コミュニケーターになるべく活動しています。
元生物系の研究者です。
2021年3月まで東京大学で働いていました。
世間にはすでに多くの方が、科学や科学技術について広める役割をはたしています。
新聞社やジャーナリストには科学やテクノロジーを専門にされている方もいますし、大学や研究所には現役で研究をされながら、本や講演、SNSなどで最新の科学について発表されている方もいます。
とくに最近は医療関
話すほうが楽な分、聞くほうが頑張ってるのでは
千葉雅也さんや読書猿さんが参加した書籍『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』では、もっと思うままに文章を書いてみたほうが、書けない症状に悩まされなくてすむのではないか、と言っていた。
ちゃんと書こうとしすぎると出てこなくなる、みたいな話だったと思う。
そもそも私は、話すのと書くのとどっちが楽からと聞かれたら、話す方と即答する。
あくまで楽かどうかの問題であって、どちらがうまいかではな
合理的な生物と非合理的な自分
ごく一部をのぞいて、研究者はみな限られた研究予算の中で節約しながら実験をする。
苦労話をしたいわけではなく、低コストで優れたアウトプットを出そうとする点では営利組織と同じだ。
コストだけではなく、できるだけ効率よく仕事をしようとするのも同じだと思う。
ただし、大学院生や研究生といった立場、予算の配分の仕方など、企業とはちがう仕組みがあるので、コストを削る方法自体はしばしば同じではない。
企業では購
何もかも正確にやればいいわけではない。
生物物理という分野がある。
生物をとくに物理学的に扱う領域で、医学方面から生物に入っていった自分からすると対極に位置するように見えた。
物理学は、ニュートンが近代物理学を成立させてから常に自然科学の真ん中に聳え立っている。
究極的にいえば、生物も含め、物質世界のすべての現象は物理学で扱えばいいはずなのだ。
生物学も物理学の一分野、つまり、生きているものを扱う物理学を生物学と呼ぶと考えればいい。
け
論理的な科学が、経験派の機械を生み出す
技量の言語化について最近考えが変わってきた。
ここでは、スポーツや、料理、外国語、ゲームなど、練習してうまくなるタイプの能力を漠然と技量と呼ぶ。
加えて、言語化という言葉は色々な意味に取れる。
言葉にするという単純な定義もあれば、理屈立てて説明することも指す。
ロゴスが、言葉という意味以外に、論理(ロジック)を表す単語であるように。
今までは、言語化とは何らかのセオリーを説明するものだと考えて
生存可能性は選択圧にならないので
3000年くらい前に人間の脳の重さが減ったらしい。
考古学的な研究のニュース記事にそう書いてあった。
農業の普及とともに大きな社会が成立し分業が行われるようになった結果、何でもかんでも一人の人間がやらなくても良くなったから、知的(認知)能力が高くなくても生き残れるようになったのではないかと理由を考察していた。
ちなみに、個々人の知的能力は脳の重量に依存しないと言われているので、そことどう辻褄を合
別に調子に乗ってるわけじゃないからね。
一昨日、サンキュータツオさんと一緒に、「アフリカの言語で科学用語を作成する」というNatureの記事について話し合った。
せっかくなので、今日は自分が研究時代に使っていた科学用語について書く。
生物系の研究室では大体どこでも、週一回くらいのペースで論文紹介をやっている。
「ジャーナルクラブ」とか「輪読」とか、名称は様々だ。
毎週持ち回りで、最新の論文や自分たちの研究にとって重要な論文を紹介する