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シュレーディンガーとテッド・チャン

*小説の盛大なネタバレが含まれます。

少し前に『生命とは何か』(エルヴィン・シュレーディンガー著)を読んだ。
生命を物理学的に定義しようと試みた古典で、1944年に刊行された本であるにもかかわらず、今もよく話題に挙がる。
科学やSFに詳しい人だったら必ず知っているし、たとえ読んだことがなくても、「生物は負のエントロピーを食べて生きている」という有名な一文は聞いたことがあるはずだ。
あまりにも有名すぎて中二病的な雰囲気すら漂う。
それほど有名な本を今さら読んだという、自慢できる要素のまったくない、ややもすれば恥ずかしい話をしたい。

「負のエントロピーを食べる」とはどういう意味かは、物理学に詳しくない自分が説明すると不正確になりそうなので、代わりにテッド・チャンの『息吹』を紹介する。
短編集の表題にもなっている『息吹』は、我々人類とはまったく異なる仕組みの体をもつ人間たちがいる世界の話だ。
彼らの体はいってみれば「機械式」で、それにもかかわらず、彼らは呼吸をしないと生きていけない。
人間を始め、現実の地球にいる生物は、酸素を取り入れて二酸化炭素を吐き出すために、欠かすことなく息を吸ったり吐いたりしている。
しかし、作中の機械式人間の行う呼吸は目的がまったくちがう。

彼らの脳の中には、小さくて薄い金箔が整然と並んでいる。
金箔のかけらは蝶番式に取り付けられていて、空気を吹き付けると金箔がパタパタと動く。
金箔の隙間には細い管が通っていて、そこから出る空気の圧力を細かく整えると、それぞれの金箔が特定の位置を取る仕組みになっている。
原理としては、そろばんと一緒だ。
それぞれの玉が置かれた位置によって数字を表すことができるように、金箔の位置によって情報を保存する仕組みになっている。
現実世界の人間やコンピューターも、何らかの組み合わせで情報を記憶するという意味ではおおよそ同じようなものだ。
人間の脳は、ニューロン同士のつながり方とニューロン内部の状態によって記憶を保存しているし、コンピューターは電気や磁気のパターンで情報を記録する。
それに対して彼らは、金箔の位置によってモノを覚えている。

ここまでの設定でも自分には十分に面白く、ベッドに寝転がりながら楽しく読んでいた。
しかし、これから説明する、この作品の肝となる設定が出てきた時、思わず声が出て意味もなく起き上がってしまった。

金箔の位置、つまり、彼らの記憶は、管から出る精巧に整えられた空気の流れがなくなると、ばらばらになってしまう。
空気が流れ続けているから金箔の位置を保っていられるのを主人公が発見して驚いていたが、読んでいる自分の方がきっと驚いていたと思う。
空気の流れがなくなる、つまり、呼吸が止まると、金箔は意味のある位置を保てず、彼らは記憶を失い脳が働かなくなり死んでしまう。
現実世界の人間とはまったく目的はちがうが、彼らはまさに生きていくために呼吸をしている、というのがこの作品の肝というかオチだ。

シュレンディンガーが著作の中で言いたかったことは、生命は、どのような物質でできているかより、秩序が保たれていることのほうが本質的だ、と噛み砕くことができる。
そういう意味で、テッド・チャンが『息吹』の中で描く機械式人間は、まさに生命そのものだ。
彼らは、蝶番式の金属片と、アコーディオンのように空気を送り込む装置からなる脳を持っている。
しかし、秩序が維持され続けることが生きていることだという点において、まったく我々と同じだ。


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