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小説書くの、めんどい。

小説とエッセイの、どちらを書きたいかと聞かれれば、同じくらい、と答える。

エッセイの方が書きやすいのだけれど、小説の方が書いていて楽しい。
理由は、書ける範囲が広いから。
フィクションの方が現実にないことを書けるから、ということではない。
そういう意味でもフィクションは自由だけれど、それとは別に、自分の考えや気持ちを必ずしも書かなくて良いからだと思う。
あらゆる表現物には否応なく自分が反映されてしまうし、されていないものがあったとしたら、それはそれで味気ない。
それでも、自分とは関係のないことを書いている、と書いている自分自身をも騙せてしまうので、ブレーキがかからなくてすむ。

言いたいこともあるし、ネガティブな感情を吐き出したい時もあるし、承認欲求もある。
それらを自然に出せる人を羨ましいと思うが、性格的に無理なものは無理だ。
だから、小説を書いている時の方がいくらかマシな気分になれる。
ただし同じ文字数を書くのならエッセイの方が速い。
小説を書こうとしても時間ばかりかかる。
書くまでに考えなければならないことが多くて時間がかかるし、書き始めてからもシーンやセリフが頭に浮かばなかったりして手間取るし、思い浮かんでもそれを表すに適当な語彙を持ち合わせていなくて止まってしまったりする。

速く書けるといっても、そもそも自分はエッセイが書けると思っていない。
研究報告書を書くように、論文のdiscussionを書くように、考えたことをできるだけ筋道を立てて文章にしているだけだ。
締め切り間近に学会の抄録を書いたり、研究予算の申請書を書いたりしているうちに、研究者なら誰しもある程度、身につけている能力だと思う。
大学が発行する学内報には、教授陣が持ち回りでコラムやエッセイを担当されていて、面白い面白くないの差はあれど、文章が破綻している人はいなかったし、どの先生方も論理性と視点といくばくかの抒情性を含んだ文章を書かれていた。
自分の書く文章はそういった、研究者が書くものの流れの上にあり、それ以上ではない。
小説だって、頭に思い浮かんだことをできるだけ破綻のないように言語化しているだけだから、それ以上の技巧も表現力も含まれておらず、要は、妄想の報告書のようなものだ。

創元社のSF短編賞の募集があるから出してみようかな。

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