人間社会と細胞社会

細胞同士がうまく連携して初めて自分は生きていられる。
という事実はよく考えてみると空恐ろしい。

元々は数十億年前に生まれた単細胞生物から進化してできたはずで、単細胞生物は細胞それ一つで生きていられた。
それに引き換え、人間の細胞を取り出しても、よほど条件を整えないかぎりあっという間に死んでしまう。
まず真水に入れるとパンパンに膨らみ機能しなくなる。
そこに洗剤を一滴でも垂らせば溶けて死んでしまう。
とても繊細で脆弱だ。
しかし、それらが寄せ集まって体を構成すると、それぞれの役割をきちんと果たす。
神経細胞の集まりは、ずっと遠くの細胞とも連絡を取り合ったりして、高度な情報処理ができるし、肝細胞は様々な化学反応を効率的にこなして、体内の代謝を司っている。
人間の体は完全に専門化しきった細胞集団で、まるで一つの巨大文明のようだ。

しかし多細胞生物が最初からそうだったわけではない。
誕生したばかりの頃はもっとずっと単純だった。
海綿動物は多細胞化した初期の生物で、しかも、今なお存在している。

ここからは、少し先に配信する『いんよう!』の内容と重複してしまうがご容赦いただきたい。
先日収録した回で、海綿動物の研究成果を紹介した。
補足も兼ねて、海綿動物のことと、研究成果を知って思ったことを書いておきたい。
本来、こちらを先に出すのは本末転倒もはなはだしいのだけれど、Podcastが配信される頃には収録時の感情を忘れてしまっているに違いないので。

海綿動物の構造は単純だ。
その単純なものから、少しずつ、数億年かけて哺乳類などの複雑な生物が出現した。
進化論的に考えれば当然のこの事実を今回の研究を読んでいて今一度、再認識した。
昔から、どうやって人間の体はこんなに複雑に進化したのか、頭の片隅で疑問に思っていた。
しかし、研究をしていた頃は目の前の実験に必死で、疑問を言語化することすらできていなかった。
自分の仕事に関係のない研究は、面白そうだと思っても真面目に記事や論文を読んだりしなかった。
だから、今そういう記事や論文を読むのが楽しい。
収録では紹介にいたった動機をうまく話せていなかったのだけれど、言語化するとこんな感じだと思う。

一つの仮説として、海綿動物は鞭毛虫という単細胞生物が集まってできたのではないかと言われている。
壁細胞という、海綿動物において中心的な役割を果たしている細胞が鞭毛虫に似ている。
栄養と酸素を取り込むし、生殖細胞にもなるし、スーパースターだと思う。
哺乳類の細胞ではここまで用途の広い細胞は見当たらない。
しかし、そもそも単細胞生物は、細胞一つで生きていけるわけだから、原始的な多細胞生物は、細胞一つ一つが多機能だったとしても不思議はない。

話が少しずれるが、一説には、人間の脳は新石器時代にもっとも大きかったと言われている。
当時の人間社会は文明化されておらず、少数の集団で採集・狩猟生活をしていた。
一人一人に求められる仕事の幅が広く、何でもできなければいけなかったから、いちばん脳のスペックが高かったという話だ。
海綿動物の壁細胞はそれを彷彿とさせる。
その後、人間は社会を巨大化させ、海綿動物は進化してより複雑な構造の体を持つ生物が生まれた。
個人は特定の役割を担うようになり、細胞は特化した機能を持つよう分化した。
人間社会と体をアナロジー的に表現したせいで混乱させてしまったら申し訳ない。
部分と全体の関係を抽象化し、似たような性質を抜き出すのが好き、というか、ほぼ癖になってしまっている。

何にせよ、こうして、多機能な細胞からなる単純な構造から、特定の機能に特化した多くの細胞からなる複雑な構造へと進化したと考えれば、ようやく人間の体の精緻さに納得がいった心持ちになった。

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