プラスチック桶が所せましと並ぶ あの光景はなんだったのか?
ホームセンターに並ぶプラスチック桶
まだ多賀町に越してくる前のこと、今でも忘れられない光景があります。
ホームセンターの外壁天井まで何段も並んでいたのが、子ども一人が充分入れるサイズのプラスチック桶の数々。
何にそんなに需要があるのか??と衝撃を受けました。平成10年頃だったかと思います。
当時は、漬物を漬ける桶との認識はなく、雨水タンクかコンポストを推奨しているものかと勘違いしていました。
たくさん並んだプラスチック桶の数々が脳裏に焼き付いたまま数十年。最近になって聴き取り調査に行くたびに、当時の光景を思い出すことが度々。
令和の現在では、この桶を買いたくても(買っても使いこなせませんが・・・)、店頭に並ぶものから、選り取り見取りとはいかず、奥まったところにひっそりあります。
異様なプラスチック桶の数々はなんだったのか?その答えがなんとなくわかったような気がしたので書いてみます。
どぼづけたべやらへんか?
いつも、畑から土が付いたまま産直で野菜を分けくださるご近所さん。そのおばあちゃんが、スーパーのレジ袋の口をぎゅっと閉じたのを差し出し、
「どぼづけ食べやらへんか?」と
「おどぼやけど」と・・・???
え?何をですか??おどぼ?と、混乱したのを思い出していました。
「どぼ漬け」とはぬか漬けのこと。
16年前、滋賀県多賀町に引っ越してきて、混乱した方言のひとつです。
「ドブ」に近い言葉でなんだか怪しく聞こえてドキドキしました。
木の時計
平成20年頃、奈良市内に住んでいました。ちょうどドラマ「鹿男あおによし」が撮影されていた頃です。よく、ならまちを歩いて散歩していました。
たしか、元興寺より何本か西の通りに桶屋さんがありました。半開きのシャッターの店先には、サワラやヒノキの丸くくり抜いた板を腰の高さほど沢山積み上げて1枚300円とかで販売していました。
奥まで全部木材の山でした。木のいい香りがする店先におじいちゃんが座っていて、観光客相手に端材ではなく、桶の部品の一部を破格値で売りさばいていました。桶になるはずの白木の魅力にひかれて、店のおっちゃんと話し込んでしまいました。もう、わしの代で終わりやし、廃業するんや。桶の需要もないし。これだけの束やったら1000円でええで。と。木目の美しさに惹かれて、なぜか段ボール一箱分も買っていました。
当時は、トールペイントブームも過ぎ去り、ロハス思考がなんとなく浸透してきた頃だったでしょうか。なんとなく木を削ってバターナイフを作ってみたりにハマっていた時期でした。
桶やおひつの底になるはずだった部分、円形の木を磨いて時計のムーブメントを埋め込み、家中の各所で時間を刻んでいます。
かけ時計にならなかった桶の底は、今も倉庫の片隅にいつ来るかわからない出番を待っています・・・。
風呂桶
多賀町多賀にも桶屋さんがありました。昭和13年生まれのSさんのお父さんが、桶屋さんをしていたとききました。Sさんが中学生だったころ、多賀大社の潔斎(けっさい)用の風呂桶をヒノキで作っておやじと納品しに行って設置したんや。と聞きました。
4月22日古例大祭の時に馬頭人(ばとうにん)が参篭(さんろう)の時に使う風呂桶だそうです。残念ながら、当時納品された風呂桶はここ10年ほどの修理で取り換えられたとのことでした。Sさんは桶屋さんを継ぐことなく他の道に進まれました。
味噌桶
そして、味噌桶。
多賀町に来て、多賀の味噌のつくり方を教えてくださった多賀町月之木のKさんが仕込む味噌桶は、大豆4升分で作る味噌約20~30㎏が入るサイズ。おばあちゃんがお嫁に来る前から使っていた桶は、飴色を通り越して黒光りしていました。木製の味噌桶にあこがれ、酒樽に仕込んだ味噌(下写真)。表面にはカビ予防で板粕を敷き詰めています。この倍の高さがある味噌桶?樽?をK家では使っておられました。
樽が空になって、洗った後、しばらく置いておくと、木が痩せてタガが緩みバラバラになり壊れてしまいます。バラバラにならないように、水を一杯にはって水分を木に含ませたりと、器の管理も大変です。結局は琺瑯容器が扱いやすいのでそちらを使うようになりました。
ぬか漬け保存文化
以前書いたイタドリ保存もですが、冬季雪で畑が埋もれてしまう土地柄、家屋の横軒下に、様々な保存食が備蓄されていたようです。たくあん漬け、白菜漬け、カブラ漬け、鮒ずし、と・・・。軒下は桶で一杯になります。
下写真の、イタドリのぬか漬け保存に押し込んだ桶は、平成元年から使用しているもの。
そして、25年ほど前、大量のプラスチック桶を見た頃が、まちの桶屋さんが廃業してすこし経った頃と重なります。木製の桶の修理がかなわず、プラスチック桶にとってかわった頃だったのでは??とひとり結論を出してみましたが・・・。
プラスチック製どぼ漬け容器が、どれだけ需要があるのか、当時は、違和感と田舎臭さを感じ、よそ事のように見ていました。
しかし、このまちの食文化を深く知れば知るほど、桶は欠かせない道具だと気づきました。保存食を作る人が減り需要がどんどん少なくなりますが・・・。
プラスチック桶も、またこの地の特徴ある文化です。
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