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【掌編小説集】土岐と里見の話

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日常以上・怪談未満の掌編小説集。土岐という男と里見という男の日常奇譚。そこに少しちがう何かがある。お好きなものからお読みください。
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【掌編小説】きつね火ともし (1627文字)

【掌編小説】きつね火ともし (1627文字)

二つ足音が山野をめぐる。

ひとつ、ふたつと数えて歩かねばならない、見える数、聞こえる数は変化する、しかし常に、ひとつ、ふたつ、それだけを数えなければならない。まやかされてはならない。

そうして里見と土岐は野を歩き、気付けば山の端を辿っていた。

霧雨が肌を覆う。虫よけに藍の風呂敷を被ってきたが、それもすっかり濡れていた。

薄の草むらを辿り、笹藪に入る。
笹藪の獣道はわかりやすい。僅かな陽に照

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【掌編小説】箱

【掌編小説】箱

随分と遅くなった。
車窓の外は等間隔に外灯が行き過ぎるだけで、夜の中でも特に深い色をしている。その色に目を凝らすと己の顔があった。俄かに波を打つ硝子には己の白い顔と夢うつつの土岐、揺れるつり革が投影されている。車体が大きく揺れ、身体が傾く。土岐が目を覚ます。河川を渡る直前の切り替え地点で必ず大きく揺れるのが、この路線の特徴だ。

作家仲間との宴会帰りだった。仲間内の愚痴に浸した刺身を食らい、噂話を

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【掌編小説】夢           (2019発行「剥離と骨」収録)

【掌編小説】夢           (2019発行「剥離と骨」収録)

 里見は夢を見ていた。

 どこにもいけないなあと土岐が嘯く。
 夜の空気をしんしんと溶かすように霧雨が舞い、夏と秋の間を装う風が川辺を過ぎる。
 群れる薄は一斉に靡き、足元に枯れ葉が落ちる。
 静かに濡れゆく肌が冷え、里見は蹲る。薄の根本に転がっている土岐がまた呟く。どこにもいけないなあ。

 土岐は微笑むような声で諦念を唱える癖がある。それは自嘲でも恨み言でもなく、誰かの詩編を読むような、他人

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【掌編小説】食事 (1131文字)

【掌編小説】食事 (1131文字)

 釘は流水で洗い短冊切りにした人参と和え、中火でじっくりと炒める。人参に火が通ったところにごま油を少々垂らし、短冊切りにした玉ねぎを加える。生姜を大匙半分、醤油と味醂と酒を各大匙一を混ぜたものを投入し、とろみがつくまで炒める。青磁の皿に盛り付け、七味唐辛子をふりかけてから食卓へ出す。
 そこにはすでに、冷奴、隠元の胡麻和え、味噌汁などが並んでいる。夕餉は、赤い食卓燈に照らされ艶めき、食欲を唆った。

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【掌編小説】埋める/耳と猫  (1337文字)

【掌編小説】埋める/耳と猫  (1337文字)

 耳が痛いから病院に行ってきたが生憎休診でね。
 そう言う土岐に茶を出すと、茶柱が立つぞ縁起がいい、などとはしゃぐ。勿論そんなものは立っていない、出枯らしの茶だ。

 「耳がどうしたって」

 土岐は大きすぎる鹿撃ち帽を被り、耳当てを降ろして耳を隠していた。いつまでも脱がないところを見ると、どうしても隠したいのか勿体ぶっているだけなのか、きっと十中八九後者である。

 今朝方までちらついていた雪も

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【掌編小説】本物

【掌編小説】本物

 朝方、原稿用紙に朱を入れる作業に取り掛かっていると、なんとなく額がかゆい。最初は虫がついたかと、頭を振ってやり過ごしていたが、むずり、むずり、と疼くような痛痒さにかわった。

 さては寝ている間にぶつけたか。ずぼらをして、書斎に布団を敷いて眠るものだから、しょっちゅう足や腕をどこかに打っては目を覚ます。やはり寝室は別にしないと。この一連の仕事が終わったらそうしよう。里見は心に決め立ち上がり、茶箪

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【掌編小説】白樺の

【掌編小説】白樺の

 木が人の形をしている、と土岐が騒ぐから仕事を中断してまでついてきてやったのに、肝心の木が見つからないまま、もう日が暮れ始めている。
「嘘ではないぞ」
 嘘をついたわけではないことくらい、里見はわかっている。そうではなく、仕事を中断してまで見たかったものに辿り着けないで一日が終わることへの気落ちが、おそらく眉間の皺に現れてしまっている。そろそろ引き返さないと、ふたりして今夜の会合に遅れてしまうのも

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【掌編小説】彼岸前に

【掌編小説】彼岸前に

 土岐の死体が上がったというので見に行った。
 訊けば、彼の自宅近くの川を二、三十分程下った先で浮かんでいたという。
 古典的かつ入門的、回り回って基本に立ち返った、というところだろうか。さて本人に聞いてみないとその辺りは推測の域を出ない。
 幸い、発見場所は里見の家からも徒歩二十分程であったので、丁度良い、散歩がてら、と襟巻き一つでぶらぶらと向かった。確かに、死にたくもなるような冬と春の間だ。沿

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