【掌編小説】埋める/耳と猫 (1337文字)
耳が痛いから病院に行ってきたが生憎休診でね。
そう言う土岐に茶を出すと、茶柱が立つぞ縁起がいい、などとはしゃぐ。勿論そんなものは立っていない、出枯らしの茶だ。
「耳がどうしたって」
土岐は大きすぎる鹿撃ち帽を被り、耳当てを降ろして耳を隠していた。いつまでも脱がないところを見ると、どうしても隠したいのか勿体ぶっているだけなのか、きっと十中八九後者である。
今朝方までちらついていた雪も疾うに止み、書斎に続く縁側は硝子越しの陽射しで充分に温い。里見は傍らの火鉢から炭を抜くと、火箸の先で灰に絵を描きながら土岐に促す。まぁ帽子を脱げよ。
渋々といった面持ちで湯呑を置き、帽子を脱いだ土岐の耳には、小枝が生えていた。
「痛いんだよ」
両耳から生えている。
細く短く尖った柔らかい葉が、マッチ棒よりも細い枝を挟むように交互につき、密集している。そういった小枝が束になって、大人の手のひらほどの長さになり、両耳から生えていた。
土岐の動きに合わせ細やかにゆれる様が余りに滑稽であったが、ああこれは前者だったなと気付き里見は咄嗟に謝った。土岐が不思議そうな面持ちで頷く。枝が揺れる。
耳に入った種子が発芽した話をきいたことがある。
髄分珍妙な出来事だが、本人にとってみれば地獄の様相であろう。耳内から頭の奥にかけて細く絡みながら伸びゆく根を想像するだけで、己の耳奥まで痛痒くなるというものだ。
しかし、土岐と最後に顔を合わせたのは、つい昨日のことである。
一晩で発芽し、ここまで長く伸びる植物の話はきいたことがない。
「最近うちに出入りしている野良猫がいるんだが、そいつがこれを喰っている感触が、今日の目覚めだ」
なるほど、猫草である。
「申し訳ないが頗る面白い」
土岐の手元から茶菓子が飛んできた。
眠る前に異常はなかった。一晩で耳の外まで繁ってしまった。何もしていなくてもじんわりと痛みがあるが、猫につつかれると耳が千切れるかのように痛い。顔の中身を引きずり出されるかのように痛い。何より葉や枝が擦れ合う音が耳から頭に直接響いてくる。幸い聴覚に異常はなく、それ故にとても辛い。衝撃すぎて鏡も見れない。
里見は話を聞きながら火鉢の灰に猫の絵を描く。
土岐がそれを苦虫を噛み潰し飲み込んだ顔をして消していく。
里見は再び猫を描き始める。
「化け猫退治の話があるが、」
「俺は殺してもいないし埋めてもいないぞ」
「残念だな」
災難だ。土岐は家中に響く大声で嘆き、耳朶を摘んで捏ね繰り回す。動きに合わせて枝がかさかさと揺れる。余計に痛むだろうに、顔を顰めながら耳朶を弄る。揺れる艷やかな緑が日差しを受けて、春の木立のようだ。里見は笑う。難治の病も憂鬱も呑気に受け流す男が、耳になにか生えただけでこの様だ。それが何よりも滑稽だった。
「生えるといえば、」
土岐が唐突に表情を変え目を大きくして言う。
「南瓜か」
「ちがう、」
土岐が強く反論する。枝が揺れる。
「夏に退院してきたら、庭に伽羅木が生えていたんだ。以前はなかった気もするが、これは幸運だった。実が良いんだ。溶けるように光るあの赤い色も好いし、なにより旨い。酒に漬けるのが一番だ」
「そうか」
「今度振る舞ってやろう」
里見は笑う。遠慮しておくよ。
【了】
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