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【掌編小説】本物

 朝方、原稿用紙に朱を入れる作業に取り掛かっていると、なんとなく額がかゆい。最初は虫がついたかと、頭を振ってやり過ごしていたが、むずり、むずり、と疼くような痛痒さにかわった。

 さては寝ている間にぶつけたか。ずぼらをして、書斎に布団を敷いて眠るものだから、しょっちゅう足や腕をどこかに打っては目を覚ます。やはり寝室は別にしないと。この一連の仕事が終わったらそうしよう。里見は心に決め立ち上がり、茶箪笥の上の鏡に顔を寄せた。

 まいったな。

 また角が生えてきてしまった。
 どうも仕事で根を詰めると生えやすいようで、暫し療養すればまた治まるのだが、それまでが厄介だ。
 まるでその形の骨を埋め込んだかのように皮膚が盛り上がり引攣れるので、痛痒さが続く。ある野草を煎じて塗り込み、布巾で覆っておけば痛痒さは抑えられるが、まあ一日ともたない。常から備えて、野草は自宅で育てているが、生憎育ちが悪い時季である。三日もあれば使い切ってしまう。薬売りは当分来ないし、間が悪い。

 里見は未だ小さい角を撫で、溜息をついた。とりあえず、仕事を一つ進める他ない。指先に染みた朱色を睨む。

 まいったな。
 これでは本物のようではないか。

 

【了】

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