Yasutark

100年を超える老舗醤油屋の代表をしております。 地元の学校のPTA会長や保護者融資会…

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100年を超える老舗醤油屋の代表をしております。 地元の学校のPTA会長や保護者融資会などを立ち上げ、地元で子ども達のために記憶に残るイベント作りなども行なっています。 noteではそんな日々の思ったことなども書き綴っていこうと思います。

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「100年企業を潰しかけた経験」それが今の僕のアイデンティティです

Yasutarkです。 最初に伝えておきたいことがあります。 「どん底の経験自慢」をしたいわけじゃないんです。 今やっているYouTubeを始めるに至った経緯をお伝えしておきた…

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3年前
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カリスマ美容師のこれまでの経験物語

今回の主人公はカリスマ美容師とも呼び声が高い那須洋一さん。 幼い頃を田舎で過ごした那須さんは、学校の決まりで高校に入るまで丸坊主で過ごさなければならなかった。 …

Yasutark
3年前
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美を通じて健康に寄与するパーソナルトレーニングジム パザパ「pas à pas」の航海日誌

幼い頃、サッカーをしていた時に手で触れて患部を治療する姿に憧れを抱き、理学療法士の道を目指して走り続けてきた。 努力は身を結び、理学療法士になることができ、人の…

Yasutark
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椎葉村の過疎化に立ち向かう!よこい処椎葉屋オーナー椎葉昌史の航海日誌

日本三大秘境のひとつ。 宮崎県は椎葉村。 その椎葉村の一角でそば屋とお菓子屋を経営する1人の男がいる。 東京の飲食店に勤めていたが、幼い頃から大好きだった祖母が他…

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チョウザメの大量死。買取価格も大暴落。苦難・災難・困難の連続を乗り越えて商品化が実現した平家キャビアが生まれるまでの航海…

世界三大珍味でもあるキャビア。 数あるキャビアの中でも、特にフレッシュでクリーミーな味わいが特徴の『平家キャビア』。 今では世間にも受け入れられて、お取り寄せで…

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ゴールデンボンバーと同じ舞台にたったこ とも!?異色の経歴の経営者。ディスカバーバルーン友田敏之オーナーの航海日誌

音楽の道での成功を夢見て上京。 1週間のほとんどをライブハウスや音楽に費やす毎日。 『必ずその中から1組は売れる!』と言われている「神宮外苑花火大会でのライブ」に…

Yasutark
3年前
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勇気の決断。コロナ禍で前に進むために大きな経営判断を迫られたREDLINE(レッドライン)の航海日誌。

「コロナを甘く見ていた。。」 そう話すのはFood & Bar & Club LED LINE(レッドライン)のオーナー清田千可志(きよたちかし)さん。 お店は大人数も収容可能なパーテ…

Yasutark
3年前
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住職でもありパン職人。二足のわらじを履く男の日常に迫ります。

生まれて間もなく、死の直前を体験。 祖母に助けられ、「人助けの人生」を歩むことを決意する。 大人になりスーパーの精肉に就職をしたが、数年後パン屋を営む父が作るパ…

Yasutark
3年前
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クライミングで子供たちの未来を変える!新たなチャレンジに踏み出した金子浩之輔の航海日誌

看護師をやめて一念発起。 新たなチャレンジでクライミングジムをオープン予定が、オープン直前に前払いしていた内装屋さんが失踪。 色々な人の助けを得て、オープンして…

Yasutark
3年前
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過去は気にしない。見ているのは未来だけ!男らしく荒波を乗り越えていくアウトライン河部典敏の航海日誌。

看板屋に勤めていた河部に職人が声をかける。 「いつまで雇われているんだ。そろそろ独立したらどうだ?」 その言葉ではじめて、そんな選択肢があることを知った。 事業…

Yasutark
3年前
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数千万円の売掛金が回収不可に。しかし、SNSの力で事態は一気に好転する。波乱万丈酪農家による奇跡の航海日誌。

(前編) 酪農に専念していた頃に経験した生産調整。 牛乳が水よりも安くなり、酪農仲間からも死者が出るほどに。 https://youtu.be/4u9EWMg974Q (後編) いよいよ、自…

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3年前
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生産調整によって仲間が自殺。両親もこのままでは。。酪農家のビジネスモデルを疑い、ミルクを売らず、全て加工品にして全国へ販…

家業である酪農家になり、しばらくの期間は真剣に酪農と向き合うこともなく、家業をなんとなく手伝っていた。 ある日牛乳の生産調整があり、牛乳の価格が暴落。 水よりも…

Yasutark
3年前
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◆ 37歳 / クリエイター
◆ 醤油屋のだいひょー
◆ YouTubeもやってます
 『職の航海日誌』
◆ GIVE & GIVE &GIVE
◆ 「優しすぎる」って言う理由で4回フラれたことがあります。#いまだに納得がいかない

Yasutark
3年前
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創業日の翌日に震度7の地震に襲われるも、決して後ろ向きにならず前に進み続ける婚礼プロデューサーの航海日誌。

創業日の翌日に震度7の地震。 「なんて日に創業してしまったんだろう」率直にそう思った。 それでも大変な事態も素直に受け入れ、少しずつではあるが前に進み続けている…

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父親の一言が全てを好転させた。なかなかうまくいかなかった事業を好転させた背景にはどのようなことがあったのか。時代と懸命に…

若くして、プライベート空間のネイルサロンを開業。 最初はお客さんも少なく、様々な副業をしながら生計を立てていた。 しかし、そんな時に父親から言われた一言で、自分の…

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カスタムスクーターで全国にその名を轟かせるも、スクーターの事業を辞める決断。その後廃業寸前まで追い込まれるも、その時救っ…

若い時に勢いに任せてバイクショップを創業。 仲間たちといつか「鈴鹿8時間耐久レース」に出ることだけを夢見て、必死に夢を追いかけていた。 しかし、ある時カスタムショ…

Yasutark
3年前
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「100年企業を潰しかけた経験」それが今の僕のアイデンティティです

「100年企業を潰しかけた経験」それが今の僕のアイデンティティです

Yasutarkです。

最初に伝えておきたいことがあります。
「どん底の経験自慢」をしたいわけじゃないんです。

今やっているYouTubeを始めるに至った経緯をお伝えしておきたいので、ここでお話しします。

▼ 100年続く会社を潰しかけました。僕は100年続く会社の代表をしております。

昨年の5月に代表を任され、会社を潰しかけました。

理由は色々ありますが、共通していたことは自分の力不足

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カリスマ美容師のこれまでの経験物語

今回の主人公はカリスマ美容師とも呼び声が高い那須洋一さん。

幼い頃を田舎で過ごした那須さんは、学校の決まりで高校に入るまで丸坊主で過ごさなければならなかった。

高校に入りヘアースタイルを楽しめるようになり、それからの高校生活は様々な髪型で過ごした。

ヘアアレンジの楽しさに魅了され、高校3年の時に進路を決める時に「美容師になりたい!」と親に相談するも猛反対をくらい、公務員になるよう強く言われ、
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美を通じて健康に寄与するパーソナルトレーニングジム パザパ「pas à pas」の航海日誌

幼い頃、サッカーをしていた時に手で触れて患部を治療する姿に憧れを抱き、理学療法士の道を目指して走り続けてきた。

努力は身を結び、理学療法士になることができ、人のためになれる仕事でもあることに誇りを持って向き合っていた。

しかし、理学療法士は科学的根拠に基づいたものしか認めてもらえない世界。
ほとんどの患者さんのためになることはできるものの、僅かな数の患者さんのためになることはできなかった。

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椎葉村の過疎化に立ち向かう!よこい処椎葉屋オーナー椎葉昌史の航海日誌

日本三大秘境のひとつ。
宮崎県は椎葉村。

その椎葉村の一角でそば屋とお菓子屋を経営する1人の男がいる。

東京の飲食店に勤めていたが、幼い頃から大好きだった祖母が他界した際に、仕事もあって「帰る」という判断が出来なかった。

薬や化粧品の販売をしていた実家が、飲食事業を始めるということもあり、椎葉村への帰郷を決意した。

しかし、帰京してからの3年間はカラ回りの3年間だった。

何をやっても上手
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チョウザメの大量死。買取価格も大暴落。苦難・災難・困難の連続を乗り越えて商品化が実現した平家キャビアが生まれるまでの航海日誌

世界三大珍味でもあるキャビア。

数あるキャビアの中でも、特にフレッシュでクリーミーな味わいが特徴の『平家キャビア』。

今では世間にも受け入れられて、お取り寄せでも大人気の『平家キャビア』。

しかし、ここに至るまでには、時には養殖事業をやめようと思う瞬間もあったり、キャビアの買取価格が大暴落したりした時もあった。

次々に襲いかかる荒波を乗り越えてきた「軌跡」の物語を鈴木宏明代表に聞いてみた。

ゴールデンボンバーと同じ舞台にたったこ とも!?異色の経歴の経営者。ディスカバーバルーン友田敏之オーナーの航海日誌

音楽の道での成功を夢見て上京。
1週間のほとんどをライブハウスや音楽に費やす毎日。
『必ずその中から1組は売れる!』と言われている「神宮外苑花火大会でのライブ」にも出場したが、同じ楽屋だったゴールデンボンバーとの実力の差を目の当たりにした。


追い続けた夢は思ったよりもずっとずっと遠く、夢を諦め地元熊本に帰郷。


とあることがきっかけでバルーンショップの立ち上げに携わり、周りがHAPPYに囲ま
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勇気の決断。コロナ禍で前に進むために大きな経営判断を迫られたREDLINE(レッドライン)の航海日誌。

「コロナを甘く見ていた。。」

そう話すのはFood & Bar & Club LED LINE(レッドライン)のオーナー清田千可志(きよたちかし)さん。


お店は大人数も収容可能なパーティ・イベント会場系の飲食店。



これまで、東北震災後の自粛ムード、熊本震災など予約が大きく落ちることもあったが、どうにか乗り越えてきた。


しかし今回のコロナは、これまでに経験したことのない大きな打撃を与
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住職でもありパン職人。二足のわらじを履く男の日常に迫ります。

生まれて間もなく、死の直前を体験。
祖母に助けられ、「人助けの人生」を歩むことを決意する。


大人になりスーパーの精肉に就職をしたが、数年後パン屋を営む父が作るパンを食べて、その美味しさに感動。


「こんなパンを自分も作れるようになりたい」と言う思いから、スーパーをやめて父のお店でバイトを始める。


日中は住職の業務をこなし、夜中から早朝はパン屋のバイトの毎日。


あるとき父が他界し、パン
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クライミングで子供たちの未来を変える!新たなチャレンジに踏み出した金子浩之輔の航海日誌

看護師をやめて一念発起。
新たなチャレンジでクライミングジムをオープン予定が、オープン直前に前払いしていた内装屋さんが失踪。

色々な人の助けを得て、オープンして順調に進むはずだった。

しかし、コロナの影響でクライミングジムでの収入はゼロに。。

別でやっていたアパレル事業でどうにか食いつなぎながらも、男の目は輝いていた!


そして、次なるステージを目指す!


誰よりも優しく、子供たちの未来
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過去は気にしない。見ているのは未来だけ!男らしく荒波を乗り越えていくアウトライン河部典敏の航海日誌。

看板屋に勤めていた河部に職人が声をかける。
「いつまで雇われているんだ。そろそろ独立したらどうだ?」

その言葉ではじめて、そんな選択肢があることを知った。

事業計画書を片手に、創業資金の融資の相談に国金を訪れるも、門前払いにあい、急遽銀行から融資を受けることに。

「せめてお金を借りに行って、断られないくらいにはなりたい」

そんなことを最初は夢見ていた。

そんなある日、事件は突然起こった。
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数千万円の売掛金が回収不可に。しかし、SNSの力で事態は一気に好転する。波乱万丈酪農家による奇跡の航海日誌。

(前編)
酪農に専念していた頃に経験した生産調整。
牛乳が水よりも安くなり、酪農仲間からも死者が出るほどに。
https://youtu.be/4u9EWMg974Q


(後編)
いよいよ、自社でヨーグルトの製造許可を取り、本格的な製造を開始する。
ヨーグルトが様々な出会いを生み、初めての経験をたくさんさせてくれる。
より独自性を高めるために、絞った瞬間のミルクの質に徹底的にこだわり、ようやく完
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生産調整によって仲間が自殺。両親もこのままでは。。酪農家のビジネスモデルを疑い、ミルクを売らず、全て加工品にして全国へ販路を広げていく革命酪農家の航海日誌。

家業である酪農家になり、しばらくの期間は真剣に酪農と向き合うこともなく、家業をなんとなく手伝っていた。

ある日牛乳の生産調整があり、牛乳の価格が暴落。

水よりも牛乳が安くなってしまい、とうとう酪農家仲間の中から自殺者が出るほどに。。

そんな時に出会った、ある方からの一言が今後の酪農人生を大きく変える。

酪農家でありながら、ミルクを売ることを諦めて、新たな道へと突き進む、男の物語。

革命酪
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◆ 37歳 / クリエイター
◆ 醤油屋のだいひょー
◆ YouTubeもやってます
 『職の航海日誌』
◆ GIVE & GIVE &GIVE
◆ 「優しすぎる」って言う理由で4回フラれたことがあります。#いまだに納得がいかない

創業日の翌日に震度7の地震に襲われるも、決して後ろ向きにならず前に進み続ける婚礼プロデューサーの航海日誌。

創業日の翌日に震度7の地震。

「なんて日に創業してしまったんだろう」率直にそう思った。

それでも大変な事態も素直に受け入れ、少しずつではあるが前に進み続けている。

誰よりもツライ想いを経験した分、誰よりも優しく、誰よりもクライアントの幸せを願うようになった。

「熊本の離婚率をゼロにしたい」そんな壮大な夢を追う男の物語。
#職の航海日誌 #経営者 #インタビュー #経営 #企業の物語

父親の一言が全てを好転させた。なかなかうまくいかなかった事業を好転させた背景にはどのようなことがあったのか。時代と懸命に戦う女性ネイルサロンオーナーの航海日誌

若くして、プライベート空間のネイルサロンを開業。
最初はお客さんも少なく、様々な副業をしながら生計を立てていた。
しかし、そんな時に父親から言われた一言で、自分の現状をもう一度見直すことに。

それから副業を全て辞めて、ネイルサロンだけに集中。

それから少しずつサロンの売り上げも伸びていくが、その後地震やコロナなどの影響も受けながらも前に進む、女性オーナーにインタビューしてみた!
#職の航海日
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カスタムスクーターで全国にその名を轟かせるも、スクーターの事業を辞める決断。その後廃業寸前まで追い込まれるも、その時救ってくれたのは同業者の仲間たちだった。バイクの道をただひたすらに突き進む熱い男の航海日誌。

若い時に勢いに任せてバイクショップを創業。
仲間たちといつか「鈴鹿8時間耐久レース」に出ることだけを夢見て、必死に夢を追いかけていた。

しかし、ある時カスタムショーカーのイベントに誘われて、カスタムスクーターに力を入れ始める。

その腕とセンスは全国でも高い評価を得て、雑誌の表紙を飾るほどであったが、その一方で「バイク職人」と言うイメージを失っていった。

自分が本来やりたかった「バイク職人」と
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