役に立つのか得をするのかでは無く存在そのものを愛おしむ気持ちで向き合うことが大切かも!
あなたはコレまでの人生で、役立たずって罵られたことありますか?
こんな書き出しだと、まるで役立たずって罵られた腹いせを書いているように勘違いされそうだけど、いえいえ違いますよ。😅
人や物事を評価する癖って、だれにだってそういう癖というか習慣があるのじゃないかと思うけど、もっと大所高所から大らかな気持ちで、細かいことを言いなさんなって話なんですけどね。
よくありがちなのが、自分にとって得になるのか損になるのかという損得で判断したり、自分や家族や組織・会社などの存在や活動にとって、役に立つのか立たないのかという、有用性で判断してしまうことですよね。
そういう損得勘定や有用性で判断をしてしまうことって多くないですか?
まぁ、その答えがYesだとしても、だいじょうぶですよ。
これから変えていけばいいのですから。(^_^)b
そもそも損得勘定や有用性を判断基準にしてしまうのは、社会の中で生活していく上で当たり前の考え方や価値観として、身に染みついたものだと思いますがSDGsでも掲げられているように、多様性を受け入れることからすれば認識を改めなければいけない判断基準ですよね。😅
役に立つのかどうかを極めることの危うさ。
役に立たなくたって、いいじゃないか!
そうだ、そこにいてくれるだけで、じゅうぶんなんだ!
・・・・って思うこともあるんだもんね。(^_^)b
助け合いながら協力し合って生きていくときに、してやったのに、してあげたのにと、のにをつけて考えたり語ったりするからおかしくなるのです。
だって楽しいから、平気だから、好きだからの、からを使って生きていきたいもんですね。🤗
壊れてしまった道具であっても、ただのガラクタの役立たず、という見方しかしない人もあれば、オブジェとしてアートに変身させる人も存在します。
壊れた道具をガラクタとして、役立たずという判断しかできない人になるよりも、壊れてしまうまで役に立ってくれたと感謝しながら、アートや思い出のオブジェとして大切にする人に、なりたいものです。(^_^)b
人と向き合うときに、役に立つかの有用性や得をするかの損得勘定でしか向き合えないとしたら、あまりにも薄っぺらで悲しいと思う。
もし自分が気がつかずにそうであるのなら、そういう薄っぺらさを恥じることができる人間でありたいと、強く思いますね。😊
もし我が子が他の子に比べて発達が遅れているからと、役立たず呼ばわりする親がどこにいるだろうか。
私には我が子がいないので、親としての我が子に対する感情や愛情を味わったことがないので、憶測でしかありませんが、我が子の発育がどうであろうとその存在そのものが愛おしいと思うのですよ。(^_^)b
その親として我が子に注ぐ愛情を、注いだからと減るもんじゃないので誰に対しても注げるように意識したら、この世の中はいい人、優しい人だらけになると思うのです。
弱い人を強い人がささえる。
その弱さや強さは、時と場合と向き合う対象によって変わるけど、みんなで弱者と強者を入れ替わり立ち替わりしながら、得意なことで弱者を助けるという当たり前のことをできるようになりたいもんですね。🤗
私には大切な人がいますが、この人がどんなにガラクタになろうが、役立たずになろうが、生きて横にいてくれるだけでいいと思う。
そう言う人を愛おしむ気持ちを、誰に対してももてるように意識して暮らしたいと考える今日この頃です。(^^ゞ
今回の記事は、マッコレイさんのこちらの記事にインスパイアされたことがきっかけで、書いたものです。
マッコレイさん、ステキな記事をありがとうございます!🤗
ってことで、今回は
「役に立つのか得をするのかでは無く存在そのものを愛おしむ気持ちで向き合うことが大切かも!」という有用性や損得勘定より大切なものの話。😆
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
ふたりして ともに語らい のほほんと
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