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恩は着るもの着せぬもの情けは人の為ならずタライの水の処世訓で生きること!

今回は人生哲学・処世術の話題をと、この記事のタイトルにもてんこ盛りで私の人生訓3ヶ条を詰め込んでみました。🤗

恩は着るもの着せぬもの、情けは人の為ならず、たらいの水、という3つの処世訓を心がけて生きているのですが、今日の記事はその処世訓の中の「盥の水」についての話をしようと思います。

気がつけば9月も半ば、今年も残すところあと3ヶ月半になってしまいましたが、毎年暑い夏がやって来て終戦の日(8月15日)の話題が報道番組などで取り沙汰されるようになると、必ず思い出すエピソードがあるのです。

それは傷痍軍人のエピソードなんですが、そのことをnoteの記事にしたことがあるんですよね。

私の記事の中でも多くのスキをいただいたんですが、それが、この記事。


上記のエピソードでも触れたんですが、私が父親から受け継いだ人生訓の「盥の水」について、共感する思いを綴っていただき、ありがたいコメントをフォロワーさんに書き込んでもらいました。🤗

それもお一人だけでなく、複数の方に同じような思いをコメント欄に書き込んでいただいただけでなく、サポートまでしてくださった方が複数おられました。

これは記事を書いた者としては本当に嬉しい出来事でした。
こうやってサポートしていただけることは、note冥利に尽きると受け止めています。

この記事だけでなく、他の記事へのサポートをいただいた方々へ、感謝の気持ちを込めてあらためてお礼を申し上げたいと思います。

本当にサポートとオススメをいただき、ありがとうございます!<(_ _)>


終戦記念日で思い出すエピソードは、傷痍軍人との短い出会いと別れを綴ったもので、私が傷痍軍人に対して行なった行動に対して、その夜に父親が私に教えてくれたのが「盥の水」の話でした。(^_^)b

そう言う経緯で胸に刻み込んだ処世訓なんですが、この「盥の水」の話と共に父から受け継いだのが、タイトルに書いた私の人生訓3箇条なんですよ。

その中で思い出深いのが「盥の水」になるわけですが、読み方はそのままでタライのミズと読みます。

あくまでも私個人の解釈ですが、盥の水の解釈は前述の記事に書いてあるのでそこから引用しますね。

父親が食卓にご飯を並べながら、ボソッとつぶやいたんですよ。
「おまえが傷痍軍人に冷やご飯の握り飯をやったから、褒美で炊きたてご飯が戻ってきたがよ・・・・・・盥の水やったね・・・。」

「タライのミズって、なんね?」

「盥の水は、欲張ってコッチにかき寄せると、手元の脇からアッチさえに流れて行っどが・・・。逆にどうぞどうぞっちゅうて、アッチに押っしゃるとグルリからコッチに流れこんで来っじゃろが・・・。」

「そいは、何のことね?」

欲をかくなっちゅうことよ、欲しがらんでも先にどうぞっちゅうて差し上げれば、回り回って我がところにちゃんと戻ってくるっちゅうことよ、そいが盥の水っちゅうもんよ、覚えとけね」

終戦記念日が傷痍軍人の追っかけをした幼い少年の頃の思い出を蘇らせるという話。
https://note.com/yarapon/n/nc0f4f47df412

ここで書かれている通りで、洗面器や盥の水は、奥から手前に引き寄せようと両手で水をかき込んでも、手前のフチにぶつかった流れはそのまま両脇から向こう側へ流れていくのです。

それを一生懸命にかき寄せても、水の流れは手前にやって来ても手元で両脇に分かれて、結局向こうの側へ逃げていくわけですよ。😓

この水の流れのように水をかき集めようとする行為が、我欲を出して自分の得になりそうなことを必死でかき集める姿、そのものなんですね。

お金や物だけでなく周囲からの評価とか、信用までもかき集めようとする姿が重なります・・・。😥

ところが、同じ盥の水の流れでも、手前のほうから両手で向こう側に水を押しやると、向こうのフチにぶつかった水の流れは両側に分かれて、両脇から自分の手元に流れ込んでくるのです。🤗

そうやって自分の手元に集まった水の流れを向こう側に押しやると、また同じような流れで手元に戻ってくるわけですね。(^^ゞ

これが、我欲を捨てて相手のことを先に思い、お先にどうぞと、相手に差し出せば、いつかは必ず自分のもとに戻ってくるよ、という姿なんですよね。

人ってつい目先の損得で判断しがちだけど、目先の損得に目を奪われてはいけませんよっていう教えでもあるわけです。(^_^)b

同じ水の流れを盥の中で起こすのなら、どちらのほうが良いですかってことなんですよ。

どちらであっても盥の水は流れるけど、欲をかいて手前にかき寄せる流れを生み出すのか、それとも相手にどうぞと押し出す流れをつくるのかでまったく逆になり、その判断は流れをつくり出す自分に委ねられているわけです。

どうせ同じ流れをつくるのなら、相手が喜んでくれて、自分の心も満たされるような流れをつくったほうが、良くないですかってことですね。(^_^)b

欲をかいて必死で自分の得になるようにと、かき集めている姿はなんだか醜いと思うのですよ。

それより、どうせならにっこり笑ってどうぞどうぞのほうが、端で見ている立場でも、ずっと和やかな気分になれると思うのです。🤗

盥の水の流れを、どの向きにするのかで、品性に差が付くと思うわけです。
これが私の人生訓・処世訓になっている「盥の水」の話なんですよね。


自分の行動基準になるモノサシ・基準を、しっかり持っていることで、何かを判断したり行動するときの迷いが消え去ります。

それなりの年齢になってきたら、自分なりの行動基準や規範になるような処世訓や人生訓、座右の銘といったものを持っておきたいものですね。(^_^)b

残りの処世訓・人生訓についても、折を見て続編の記事にしようかと考えていますので、投稿の際にはぜひお読みくだされば嬉しいです。🤗


ってことで 今回は
恩は着るもの着せぬもの情けは人の為ならずタライの水の処世訓で生きること!」という私の処世訓の一つを紹介してみました。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

恩に着て  盥の水で  のほほんと

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