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【サピエンス全史】人類進化の真実と3つの革命!〜科学革命編〜

こんばんは。
りんです。

前回、前々回と『サピエンス全史』の認知革命、農業革命について紹介してきました。

今回は最後の革命である、「科学革命」について紹介します。
正直に言うと、本書を読んでいて最も難解だと感じた部分です。

もし私の解釈に誤謬があれば、是非ご指摘お願いします。

科学革命は文明レベルを格段に向上させた

科学革命は文字通りの意味で、目に見えて最も分かりやすい革命と言えます。
歴史的に見て、1500年頃までは科学的に大きな変化はありませんでしたが、それ以降、科学革命によって文明は飛躍的に発展してきました。

本書の一例を抜粋します

・世界の人口:約5億人→約70億人(15倍)
・人類が生み出した財とサービスの総額:約2500億ドル/年→約60兆ドル/年(240倍)
・エネルギーの消費量:約13兆カロリ/日ー→約1500兆カロリー/日(115倍)

『サピエンス全史 下』 著:ユヴァル・ノア・ハラリ

1500年の時点で、いったい誰が想像できたでしょうか?
人々が月面を歩いたり、水滴の中の微生物について調べたり、人類を滅ぼせる原発を発明したり、良し悪しは置いておいて科学の進歩は目を見張るものがあります。

これ等の期間の革命が科学革命と定義づけられるのは、人類が科学技術の発明に莫大な資金を投入してきたからだそうです。
それまでは新しい発見や技術への教育へは投資せずに、既存の知識を得る為の教育にしか投資しませんでした。

なぜ今まではこのような技術発展への関心や投資が、成されなかったのでしょうか?

無知の自認

科学革命に置いて重要なファクターだったのは「無知の自認」でした。
無知の自認によって、大きく以下の3つの変化が起きるようになりました。

①人類は「知らないものがある」ことと、「既に知っているが正しい知識ではない」ことを進んで認めるようになる。
如何なる概念や説でも、神聖不可侵なものはないと受け入れる。

②近代科学で新しい力を得る為に、数学的なツールを用いて多くの仮説を立てるようになる。

③新しい力の獲得の為に、立てた仮説を実際に検証するようになった。

昔認められた無知は二つで、一つは昔の人々は無知であっても、賢者や聖職者に尋ね聞くことで解決してきました。
何か知りたいことがあれば、彼等に質問さえすれば教えてくれると思っていたからです。

もう一つは、彼等が伝承しないことは「重要ではないこと」か「人類の反映に必要が無いこと」として何も疑問に思わないのです。
この時代の多くの人はなぜクモが巣を張るのか、どうやって糸を出しているのか疑問に思わなかったのです。

しかし、近代科学では、科学者たちが自信を何でも知ってるとは思わず、既知の事柄にも疑問を差し挟む余地や、理解できていないことがある事を認めていました。
どの時代にもこのような形で無知を認める人はいましたが、異端者として迫害されていたのが、実際のところのようです。

無知の自認は文面では表しきれない凄さがあると、私は考えています。
人は本来、理解できないものに対しては恐怖を抱き、それ以上は深く追求せず聖職者の教えで止まっていました。

ある意味、聖職者の考えがトップで、それ以外のものは認めない暗黙の了解が成り立っていたのです。
だからこそ昔は天動説が信じられて、地動説を唱えるガリレオは異端者として断罪されました。

多くの知識人や科学者たちが同じような目に遭ってきた中、無知の自認が起きたことは技術的な発展以上に大きな意味があったのではないでしょうか?

最終的に人類は神になる?

ハラリ氏はホモ・サピエンスが3つの革命を経て、最終的には「神」になるという考えを提示しています。
だんだんよくわからない方向に進んでいるように思いますが、とてもリアルな考察です。

というのも、7万年前までは狩猟採集民だった人々が、今や遺伝子にまで介入できる時代になりました。
より優秀な遺伝子をかけ合わせて新しい生物を生み出すことも、絶滅した生物の復活も可能な時代になってきました。

もし人の脳や記憶をハードディスクの保存することができるとしたら?
こういった技術はそう遠くない未来に、実現できる可能性は高いです。

それをコンピュータで起動させて、当人と全く同じように考え、記憶を持ったプログラムが出来上がるとそれは人になるでしょうか?
そのプログラムを消去すると殺人罪になるでしょうか?

まるで『攻殻機動隊』に登場する電脳化や義体化技術ですね。
このままテクノロジーが発展していくと、私たちがこれまで歩んできた進化とは全く異なる過程で別の生命が誕生する可能性があると、ハラリ氏は述べています。

新しい生命や異なる種を生み出す等、人の範疇を超えた神の所業だと言うことですね。
ネアンデルタール人が現代人の在り方や技術を理解できないように、私たちから見れば、未来の人類も理解できないかもしれません。

ハラリ氏は、そんな時代が訪れる時に、今のホモ・サピエンスができることは「私たちは何になりたいか?」ではなく「私たちは何を望むか?」に焦点を当てて科学の方向性に影響を当てること論じています。

いかがでしょうか?
認知・農業・科学のいずれの革命も、人類の発展という観点からは大きな役割を果たしてきました。

しかし、個々の視点に置き換えると、大きな迫害や、種の絶滅など、決して良い事ばかりではなかったことを、多角的に、冷静に、具体的に論じられています。
私がこれ等の革命を通じて思うことは、結局変化に対応できる自分であり続けるしかないということです。

時代の流れやテクノロジーがどの方向に進もうとも、私はそれ等を扱える自分である為に、情報をキャッチし、変化を乗り越えて人生を豊かにしてきた人の側で考え方を身につけていくことを徹底します。

3回に分けても具体的なお話や、細部の説明は省略せざる負えない程のボリュームでしたが、どこを読んでも学びしかない本でした。
そして、サピエンス全史が現在に至るまでの物語なら、これらの未来についてより掘り下げて描かれているのが『ホモ・デウス』です。

どちらも是非読んでみてください。

今日はここまで。
ありがとうございました。

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