高校受験に失敗。高校生活を成功させる3つの方法

高校生のみなさん、高校生活、楽しんでいますか?
彼女はできましたか?
もう1度聞きます、彼女はできましたか??

・・・さて、冗談はさて置き。
(あながち冗談でもありませんが)
みなさんの中には、高校受験に失敗してしまい、落ち込んでいる方もいらっしゃるかと思います。

確かに、受験失敗のショックは、15~16歳の皆さんには大きすぎます。

いつまでも落ち込んでいるわけにもいきません。
引きずる時間が長引くほど、高校生活は台無しになり、次の受験や就職などでも失敗します。
高校受験の失敗がマシと感じるくらいの失敗をしてしまいます。

これから解説する3つの方法を行えば、高校生活は楽しいものになります。受験に失敗したことなど、良い思い出となるでしょう。

結論から言うと

  1. 親友を作ろう

  2. 目標を決めて追いかける

  3. 彼女(彼氏)を作ろう

です。

この記事を読み終えたときには、皆さんに「頑張ればお前みたいに活躍できるんだ!」と希望を持って貰えたら嬉しいです。


JOYの高校時代

帰宅部でも楽しかった

中学校卒業式の日に東日本大震災で被災し、高校受験も失敗です。例年よりも厳しい状況のなかで立ち上がり、高校生活をスタートさせました。

俺は高校時代は、帰宅部でした。
つまり、どこの部活にも入らず、寄り道したり、家に帰ったり、自由に過ごしていました。

震災直後で部活再開の目処が立っておらず、部活どころではなかったというのもありますが、特に惹かれる部活がなかったんですよね。

中学の頃は軟式テニス部でしたが、内申書対策のためで部活は大嫌いでした。次の大学受験では挽回したい片道10kmの通学路をチャリで通うのでそれだけで充分運動になる、という理由もあります。

土日や放課後には、後述する親友や彼女と遊びたいと思っていました。
体育会系とか精神論とかもってのほか、スポーツマンシップのカケラもない、そんな性格は既にこの頃からできあがっていたんですね笑

99度の勝利より、たった1度の敗北が語り継がれる高校生活

高校生活での挑戦・目標は、ほとんど全部達成しました。

大学受験は、入学当初には到底無理だった大学の法学部に手が届きました。

体育祭やマラソン大会では大暴れ。優勝こそ逃したものの「帰宅部の総大将」として立ちはだかる運動部ほとんど全員を押さえつけました。

巨大ゴキブリにも冷静に対処しました。
委員長「怖くないのか?」
俺「告白した時はこんなもんじゃないぞ」

文化祭では実行委員会本部長になり、生徒会役員のみなさんと一緒に仕事をしたのはいい思い出です。

こういった成績から帰宅部ながら特待生に推薦され、現在でも珍しい「給付型の奨学金(返済不要)」を貰っていました。

生徒会長には「俺より有名人だな」と言われ、学校中に友達ができました。俺は知らないけど、相手は俺を知っているので接点など気にせず、誰にでも気軽に声を掛けては仲良くなることができました。

震災直後で暗い雰囲気だった高校生活を駆け抜け、全校生徒と夢や希望、立ち上がる勇気を分かち合ったのです。

そんな俺も、たった1つだけ「敗北」したまま、卒業してしまいました。

①親友を作ろう

まずは同じクラスや委員会、部活なんかで知り合った人と、友達になりましょう。

みんな、自分から声を掛けるのが苦手、どう立ち振る舞えばいいか分からないで恥ずかしいと思っているだけです。

話しかけられても、ほとんどは悪い気をされません。
むしろ一生忘れられないくらいの嬉しいことなので、積極的に声をかけていきましょう。

具体的には、同じ小学校・中学校の同級生と合流し、2~3人がかりで1人に話しかけていく方法がやりやすいかもしれません。

学校中に友達ができれば、学校に行くのも楽しくなります。勉強が楽しいと感じて成績が良くなったり、学校行事で活躍して思い出を作ったり、メリットだらけです。

1人でも「親友」を見つけられたら・・・もう充分です。

JOYの場合 マイスターからの逆指名

高校入学2週間前のことです。
絶望的なスタートとなる高校生活をどうするか、迷っていたとき

「なぁ、俺と高校生活頑張っていかないか」

幼稚園から中学校まで同じ幼なじみの「ケン」から電話がありました。

同じ高校に落ち、同じ高校に滑り止まったことをお互いに初めて知ったのです。中学の頃は付き合う友達や部活、習い事などが別々になり、疎遠でした。

ケンは誰にでも付き合えるタイプの人物ではありません。一言で言うと職人気質、マイスターで、優秀ではあるのですが、そう簡単に人に心を許さないのです。

そんな彼とは仲が良く、昔からずっと一緒で、なぜか気が合います。
「JOYから誘ったんだろ?」と言われることもありますが、です。
ケンが、俺を高校時代の相棒に指名したのです。

高校時代以降は常に彼と共にありました。彼も帰宅部を選び、毎日学校に通い、放課後にドラッグストアのベンチでアイスとか買ってました。

「コイツと一緒なら、絶対に乗り越えられる」という自信がありました。

一緒にいると、長年培った友情とライバル意識から、いくらでも力が湧いてきます。

そういう意味では一番の「相棒」と言えるかもしれませんね。あの日の「逆指名」を受けなかったら、今の俺はなかったと思います。

ただの幼なじみが親友、相棒になった日でした。

②目標を決めて、追いかけよう

多くの人にとって「大学受験」が一番大きい目標になると思います。 進路を考えるのは高校2年生の2学期~3年生の1学期くらいでしょうか。

しかし、大学受験は高校入学からスタートしていると考えるべきです。選ぶ時期そのものはずっと先でも、日々の勉強を頑張って成績や評定を上げたり、推薦を得られるような状態にしておくのは、高2~3からでは間に合いません。

そもそも大学に行く必要があるのか。
行くとしたらどこがいいか。
推薦を受けるなら、どういった条件なのか。
卒業後はどんな仕事に就きたいか。
必要な資格、スキルはあるか。
どんな人生にしたいか。


こういうのは入学した時から考えていて、選ぶ時に多くの選択肢のなかから好きなものを選べるよう、日々努力しておくことをオススメします。

JOYの場合 入学当初から法学部志望だった

俺は小学生高学年の頃から、士業や法律家と呼ばれる職業に憧れています。

中学入学の時点で既に、
なるべく偏差値の高い進学校

大学の法学部

事務所や企業の法務部に就職

30歳くらいで独立開業したい

このように、ざっくり考えていました。
自分の夢をある程度計画し、情熱や憧れを持っていただけに、高校受験という序盤の関門でさっそく失敗したことで、絶望していました。

大学受験では挽回しようと躍起になって、とりあえず定期試験や評定を意識してきました。

本来行きたかった高校よりも偏差値・レベルを落としたことで、授業についていきやすく、成績が上位になりやすくなっていました。

勉強が楽しい、勉強した分だけ結果がついてくるというのが分かり、学業に自信がつくようになりました。

結果論ではありますが、もし本来行きたかった高校に進んでいたら・・・。
受かったことで油断していたかもしれません。若いうちに「失敗」として経験して、悔しさや悲しさを噛みしめたことが大きいと感じています。

そして俺もケンも、無理だと言われていた大学の法学部・建築科に合格しました。

③彼女(彼氏)を作ろう

高い点数や評定を得るより
部活で大会に出て成績を残すより
難関の国家試験に合格するより
自分でお金を稼いでみるより
もっと、もっと大事で、幸せなことがあります。

それは
彼女(彼氏)に恵まれ幸せに付き合うこと。

自分の好きな異性に認められ、
共に精神面で成長していくこと。
です。

最優先事項と言ってもいいです。

恋愛の場で培った経験、知識、自信、勇気、気遣い、性格、頭脳、そしてコミュニケーション能力・・・これらは何よりも強い武器です。

上記に挙げた勉強、スポーツ、資格試験などの多くは、極論ですが「ひたすら努力すれば掴める栄光で、方法や答えが確立されたもの」です。

しかし、彼女作りは違います。

容姿や性格など改善はできるものの、先天的な要素の強いものが問われます。また才能や努力のみならず、恋敵や既に彼氏がいるなどの運だって必要かもしれません。
どんなに頑張ってもできないときはできないのです。

どうやったら、自分の好きな人に恋人になってもらえるのだろうか。その答えはあったとしても自分と相手の組み合わせ次第によって、千差万別です。

有料noteやブログ、恋愛マニュアル本、誕生日占いの本などをいくら読みあさっても、なかなか方法も答えも確立されていません。そしてそれを、自分が実践できるかどうかは別問題です。

また、高校生とは、自分が高校生のうちまでしか事実上付き合えません。卒業してから手を伸ばすと、その手には手錠が掛けられてしまいます。たとえ自分がアイドル級の容姿であったとしても・・・です。

一生のうち3年間しか挑めない挑戦です。
その機会を逃すなんて、もったいないと思いません?

JOYの場合 たった1つの「敗北」

薄々気づいていると思いますが、俺は高校時代、まったく彼女ができませんでした。本記事の序盤のほうで書いた、「勝利より、たった1つの敗北を語りたくなる」という「悩み」は、このことです。

何よりも叶えたかった夢にもかかわらず・・・手を焼かされました。

コレ以外の挑戦・目標には全勝・無敗と感じています。しかし、コレだけはどうやっても、まったくさっぱり勝てませんでした。

恋愛系の本も受験勉強そっちのけで80冊くらい読みあさって研究したし、ドトールやスタバが好きと知ったらメニューを一通り食べて、コーヒーを飲めるようにしました。カラオケもビリヤードもボウリングも練習して、料理も研究してました。
ファッションを研究してリーバイスのジーンズやエアマックスにハマり、毎日豆乳飲んで乳液やワックスも使うようになったり、クレイジーに追いかけました。(たぶんこういうクレイジーなところか?きっとそうだな、うん。)

何度か遊びに誘い、デートしたあと、面と向かって告白もしました。
もちろん、ダメでした!

俺が多方面で頑張ってきたのも
「彼女ができない代わりにせめて、他の分野で頑張りたい、負けたり泣いたり、苦労しないようにしたい。色々頑張っている奴は自然とモテるし、今は自分磨きが大事だわな。」
というモチベーションがありました。

現在でも正直、ほとんど成果がありません。
一応19歳のクリスマスにデートできましたし、21歳の時にかなりの成果を出すことができましたが・・・ごらんの有様です。

勉強と恋愛は別物ですが、少なくとも俺にとっては、彼女作りは、行政書士に受かるより難しいです。

それどころか、良くも悪くも年齢的に落ち着いてきてしまい、仕事の方でいっぱいいっぱいで、24歳からは恋愛・結婚は諦めています。
というか、できなさすぎて性格歪みましたかね。

高校生のうちまでにまともに恋愛経験が積めない、と人生の難易度が跳ね上がります。高校でモテなかったら、ずっとモテないです。

人としてヤバいと思われたり、そもそも向き合い方や常識が分からなくて、相手にされないまま、ドンドン年齢だけ重ねてしまいます。たまたま相手が見つかっても、上手に付き合えず、非常識なデートプランになったりします。

18〜20歳になっても恋愛経験のない、いわゆる「アレ」のままだと同性の友達からも異性を紹介されることも減っていきます。

肉食系女子にも「えっ、まだ『アレ』なの!?君の初めてになるのはちょっとなぁ。ほら、男の子って初めて触った体の女をずっと覚えてるし、怖いよ。」と委縮させてしまうこともありました。

そしてそんなコミュニケーション能力では就活でも上手くいかず・・・こう(今の俺)なります。

無事に順調・幸せに彼女ができていれば、俺はもっと明るい人生を歩んでいたかもしれませんね。
恋愛の遅れが、人生全体の遅れに繋がっています。

最後にもう1度聞きます。
彼女はできましたか???(はよ作れ)

まとめ 人生を諦めるには早すぎる

いかがだったでしょうか。
最後だけ熱の入れ方が狂っていて申し訳ないです。

高校生活以降も色々な挑戦・目標、そして楽しいことはたくさんあります。
高校受験というひとつの壁の前に敗れただけです。
まだ若いです、圧倒的に。
人生を投げ捨てるには早すぎますし、挽回もいくらでもできます。

今は辛いだけの失敗も、成長した後の自分に比べればなんてことありません。

高校受験の失敗も、今となっては記事にするくらいのいい思い出、笑い話です。まぁなかなか彼女できなかったことが大学時代以降に尾を引いて、笑えない現在の状況になっているのですが。

15歳の若さで、重い敗北や失敗を経験できたと思えば、儲けものです。
かつての俺とケンのように、逆境の中から親友と立ち上がり、切磋琢磨を繰り返して、目標を叶えていければ、相当な自信になります。

彼女はできなかったけど、せめてケンが一緒でよかったと感謝していますし、告白ができる勇気は一生の財産です。

今でも辛いとき「高校受験の失敗したばかりの頃に比べたら、今なんて全然マシだ」と思いますし、「彼女を作るよりはきっと簡単だ、頑張るぞ!」と闘志が出てきます。

本記事が全国の高校生の皆さん、高校生のお子さんを持つ方、教職員の方の参考になれれば幸いです。

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