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【#Real Voice 2023】 「心のままに」 4年・藤間英吉

こんにちは
本日部員ブログを担当する藤間英吉です。

自分は素直になることが苦手です。

たとえ家族や親しい人であっても、心のままに何かを伝えることができません。

​プライドなのか、性格なのかは分かりませんが、素直になれてないなって思う時が、人より少し多い気がします。

このブログを書くことですら、素直になれるのかは不安ではありますが、

マネージャーとして過ごした4年間を、頑張って心のままに綴ります。


中々恥ずかしいことではあったが、この4年間を過去3回書いてきたブログとともに振り返ってみた。

1年時
タイトルは
「『マネージャー藤間英吉』全部話します」

タイトルの通り、本当に全部話していた。

ブログでは「マリノスで働きたい」と書いた。

自分の素直な想いが詰まったこのブログは、想像以上の反響があった。

見学に来た後輩マネージャーが、藤間さんのブログを読んでここに来ましたと言ってくれたことが嬉しかった。


ア式でマネージャーを始めた理由

受験期間に、HPに書かれたア式のマネージャー業務に憧れた。

ア式で経験を積めば、マリノスで働けると思った。

「練習サポート」「チームの組織運営」「早慶戦の企画運営」

高校同期の山田怜於(4年・山田怜於 / 鎌倉高校)の存在もあり、ア式蹴球部のマネージャーとして4年間を捧げることを決めた。

だが、現実は理想と程遠い

仮入部を始めて数週間、選手との壁を感じてしまう。

マネージャーの業務内容がつまらないとかではなく、選手との圧倒的な熱量の差に意気消沈、ただのマネージャーが同じ土俵で活動していいのかと。

自分の覚悟はこんなもんだったのかと、本気で辞めることを考えていた期間が続くが、

そんな自分に遠慮無く、「お前にしかできないことはなんだ」と言ってくれた小松(4年・小松寛太 / 早稲田実業学校高等部)の言葉に助けられ、

気づいたときには審判を始め、形は違うけれども選手と同じピッチに立てるようになったことで、遠いと感じていた選手との距離が一気に近くなった。

短かったが、恵太君(当時4年・渡邊恵太/レフェリー)と過ごした期間は、毎日が楽しかった。

その年の終わりには、マリノスで働きたいという想いは薄くなっていたけれど、

それは、ピッチ上でサッカーをすることの楽しさに改めて気づくことができたからかもしれない。

・・・

夢を持ちア式のマネージャーに挑戦
壁にぶつかりながらも、自分なりに考えて乗り越えていた。

一足先に仮入部を始めていた自分が、見学に来た平山(4年・平山怜央 / マネージャー) に、

「もうすぐマネージャー辞めるかも」と伝えたのが懐かしい

恥ずかしくて読み返すこともできないと思っていたブログだが、素直な当時の自分の姿に、感動して涙が出そうになる。


2年時
「 『想い』19歳の嘆き 」 をタイトルに書いたブログ

とてつもなく病んでいる、現実に行き詰まっている。

病みすぎて、故郷について嘆いてしまっている。

新しい環境にワクワクしていた1年時とは打って代わり、ただひたすら時間が過ぎるのを待っていた。

マリノスで働きたいという夢は頭の片隅にすら無くなり、身体が動くうちはサッカーがしたいし色んなスポーツをやりたいと思い始めていたと思う。

そして、
この問いに永遠に悩まされる。
「マネージャーを4年間続けて得られるものは」「ここで何がしたいのか」

1年生の頃に何回も考えたはずなのに、何回も悩まされたはずなのに、
この年のこの問いは、答えが見つからなかった。

最初は難しいと思っていた環境でも、慣れてしまえば居心地は良くなる。

ただ、慣れすぎてしまうと飽きがくる。

そうしてまた、難しい状態に陥る。

大学2年生はそれを痛感した1年間だった。

そんな1年間だったけれども、

璃太(4年・森璃太 / アルビレックス新潟 加入内定)のトレーニングパートナーとして、何十本もL字走をしてグラウンドを走りまくったこと。共有グラウンドで筋トレをしたこと。
このスプリントトレーニングがあったから、今の璃太のスピードがあるのかな(笑)

今でもメンバー発表の時には必ずグータッチをしてくれる直哉(3年・駒沢直哉 / ツエーゲン金沢U-18)が、1年生ながら早慶戦で大活躍したこと。

楽しい嬉しい思い出も沢山あった。


今更ながら、2年のブログを書いた後に拓矢さん(当時4年・羽田拓矢 / マネージャー)からいただいた言葉を思い出した。

今に全力を尽くせるようになったら本当に強いと思う。
後2年間、英吉がブログに書いていたように悩み、考えながら成長をできるのは英吉の良さだし素晴らしい所。ただ、その過程の中でもフルパワーを出せるようになってほしい。
悩んでいても、苦しくてもその中でも自分の為に、チームの為に、1日1日フルパワーを発揮する。勿論毎日そんな事するのは無理だし、ああ今は無理だなと気持ち的になる日があるのはあって然るべき。ただ、最後後悔をしてほしくないし、残りの2年間でア式蹴球部の主役の1人として是非英吉のもがき苦しみながらもフルパワーを発揮する姿になっていく姿を応援したいです!

核心であり、1番大事なこと。
常に頭の中にいれておくべきだったと思う。


3年時
ブログのタイトルは、「2022-2023シーズン マネージャー日記」

ポジティブな内容でまとめられた通り、この年は充実していたシーズンだった。

早慶戦にOBインタビュー、審判合宿、それから早稲田カップ。

早稲田に来て良かった、マネージャーをやっていて良かったなと思う瞬間に多く立ち会う。

サッカーが下手だから、限界を感じたからプレイヤーをやめたけれど、
サッカーが大好きで、ボールを蹴りたくてたまらない時がある自分を受入れることができるようになって、

ア式でマネージャーとして活動する自分に誇りがもてるようになった。

コバタクさん(当時大学院2年・小林拓矢 / レフェリー)がいたから、嫌になっていた審判も続けることができた。

3年生になって、大きく変わったことは、

上級生になり、仕事により大きな責任を持てて取り組めたこと。
チームを引っ張れる存在になろうと思えたこと。

自分の存在意義なんて考える暇はなく、やらなければという覚悟があった。

そして何よりも、怠惰な自分を常に叱ってくれる陸人さん(当時4年・平田陸人 / 主務)の存在が大きかった。組織と向き合うことはどういうことなのか、背中で示してくださった。


ただ、チームの降格は、個人の充実さを上回る悔しさがあった。

だから、

マネージャーがチームの結果を変えられると信じて、ブログの最後には、

マネージャーの存在が、チームの運営が必ず勝利に繋がると、そう信じて後1年間やっていきます。
マネージャーがいたから優勝できた、そう言われるくらい強いマネージャーを作ります。3人の同期と頼もしい後輩がいるので必ず成し遂げられると思います。

と書いた。

そして、山田怜於を
2023年は必ず、早慶戦と関東リーグのピッチに送り出します。

と書いた。


そして今、4年生
最終学年として臨んだラストシーズン

喜怒哀楽の毎日だった。

アミノバイタルカップ、勝ち続けることがどれだけ嬉しかったか。
中1日の連戦は、髙見ホペイロ(2年・髙見真史 / マネージャー)が寝る間を惜しんで磨き上げたスパイクのおかげで勝ち上がることができたといっても過言ではない。

今年で7年目を迎える山田怜於の早慶戦の活躍に、心を打たれる。
関東リーグ、アミノバイタルカップ、総理大臣杯にも出場した。
送り出したと言っていいのか分からないけれど、ずっと見たかった景色が4年目にしてやっと見られた。山田が試合に出るとなれば、いろんな人が連絡をくれた。高校の同級生も、サッカー部の顧問の先生も試合に来てくださった。その光景がたまらなく嬉しかった。

総理大臣杯の夜、貸し切ったホテルの廊下は寮のようにスパイクで溢れていた。一足一足丁寧に手入れをする髙見ホペイロ。休憩時間にエレベーター前でカップラーメンを食べている姿が可愛かった。別の部屋では、濵ちゃん(2年・濵田祐太郎 / 学生コーチ)がその日の試合の分析をノートにびっしり書いていた。
こんなに頑張れる学生スタッフがいるのは、イイチームだなって思った。

学連と広報の仕事を器用にこなす夏妃(3年・中山夏妃)
素直で正義感と責任感の強い朋恵(2年・渡邊朋恵)
どのカテゴリーの試合も、メガホンを持って全力応援する伊藤(2年・伊藤未羽)
強い軸があり、逆算力が高い永戸(2年・永戸彩花)
髙見ホペイロ

後輩に感心してばかりで、自分の弱さに虚しくなる。

ヘルニアの悪化で、身体が思うように動かずグラウンドにいるのが辛かった時。
「動けるマネージャー」ではなくなった自分に、どれくらい価値があっただろうか。

4年生としての役割を全うできず、苛立つ時。
3年時のブログで書いた、強いマネージャーを作るって何だったんだろう。
後輩に何を残すことができただろうか。

ホーム最終節、関東学院戦
ロスタイムに同点ゴールを決められ、近づくはずだった昇格が遠のいた瞬間。
試合後のグラウンドで意味も無く平山とボールを蹴り続けた。
どうにもできないこの悔しさを、残り2試合で晴らすことができるだろうか。



あっという間に感じた4年間も、こうして振り返れば感情とモチベーションの変化が恐ろしい濃密な4年間だった。

不器用な自分にとってマネージャーは不向きだと分かり、早く引退したいなと思っていたこともあったが、

マネージャーとしてこの組織にいることの居心地の良さに気づいたときには引退が怖くなっていた。

この組織のためにできることは何か、自分にしかできないことは何か、自分の成長のためには何ができるか。

考え続けた4年間、この先の人生でも糧になる。


「あなたにとって理想のマネージャー像は」

選手との距離感が抜群のマネージャー

近すぎず、遠すぎず

支えながらも、甘やかさず

選手が何かマネージャーに頼りたいときは、1番目が自分であってほしい。

そんな関係性を築くことを目標にやってきた。


ア式には

将来の夢とか関係無く、

誰かのために頑張りたいと思える環境があった。

本気で支えたい、一緒に日本一をとりたいと思える人たちがいた。

サッカーを「する」ことから離れ、

見る、支える、審判として参戦した4年間。

好きなサッカーが大好きなサッカーに変わった。

マネージャーとしてア式に来て良かったと思える瞬間、この組織に自分が必要とされている瞬間、ア式のマネージャーだからこそ見えた景色

これがあるから辞められなかった


強がりだけど、本当は弱い自分

マネージャーとして過ごした4年間を、頑張って心のままに綴りました。

◇藤間英吉(とうまえいきち)◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部 
出身校:鎌倉高校

【過去の対談記事(早稲田スポーツ新聞会 企画・編集)はコチラ☟】


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