見出し画像

【#Real Voice 2023】 「Good loser」 2年・濵田祐太郎

確か去年の明治戦直後の練習だったと思う。私はいつも通りコーチ室で練習メニューの確認をしていた。ハジくん(令和5年卒・島崎元)が俯いて座っている。コーチ室の扉の開く音が沈黙を破り陸人くん(令和5年卒・平田陸人)が入ってきた。席につくなり外池さん(前監督)に「もう無理です」と声を震わせて言った。

0-4の大敗。ア式を崩壊させた試合。負け続けた去年。試合に負けて悔しいのに次の分析をしなければならない。連敗で脳がバグって悔しさを感じなくなる。そして関東2部に降格。私はこの結果を他人事として捉えようとした。


シーズン終了後陸人くんのnoteを読んだ。


早稲田が負けるということはどういうことか。


それは一部の人が責任の全てを背負うということだ。


2024年に創部100周年を迎えるこの組織は社会やOBからの期待が大きい。それを背負ってア式を未来に託そうとする強い意思と覚悟ある人がいる。そんな彼らはどんなことをしてもまず結果で見られる。勝たなければア式に全てを捧げている人々が報われない。責任の分散はない。一部の人たち1人1人が結果を重く受け止める。代わりに私が責任を負うと言いたいのではない。ただその事実を頭に入れて2023年を学生コーチとして戦う覚悟を決めた。




それから8ヶ月。もう少しで2023年も終わる。私個人としてはア式での活動も終わる。今回はこの2年間私なりに考えた「ア式蹴球部の学生コーチ」について記す。




●1年目

2022年4月、私はア式蹴球部に入部した。ア式がどんな組織か調べず、ただサッカーコーチとして成長したいと考えて決断した。実際最高に恵まれた環境であった。そんな環境に乗り、私はやりたいことを必死にやった。そして日本トップレベルの選手たちと公式戦を戦えていい経験を積めた、


と思っていた。


マツくん(主将 4年・平松柚佑/山梨学院高校)のnoteにこう書いてあった。


「後期、4年生を中心に戦ったIリーグのカテゴリーとは、戦い方も考え方も違い、本当に同じ早稲田大学ア式蹴球部なのか」


胸に刺さった。後期のIリーグを担当していたのは私だ。それまで経験を積めたと思い上がっていた自分が恥ずかしくなった。ア式でのコーチとしての考え方を改めなければならなかった。


ア式蹴球部の一員として自分もチームも成長するにはどうしたらいいだろうか。その鍵は主体性と多様性にあるのではないか。



●主体性

主体性と多様性はア式の特徴であるが実態はどうなのだろうか。


主体性とは自らの意思や判断に基づき自分の責任で行動することである。ある程度決められたことを自ら率先して行う自主性とは異なる。


今シーズンを通してア式の主体性について私はこう思った。


ア式に主体性のある選手は少ない。


例えば、試合中にスタッフに戦い方を丸投げしてくる選手がいる。選手間で話がまとまらないから統一を求めるのならわかる。しかし会話もせず、なんとかしてくれというスタンスは主体性を放棄している。


また、ある状況の打開策について質問してもわからないと返ってくることもある。わからないなら考えなければならない。または味方と会話しなければならない。わからない現象を解決しようとする行動が大切である。できるだけオンタイムで。正解不正解はない。まず自分の考えを言語化することが大切だ。これでは主体性のかけらもない。


このように主体性を欠いた選手が多いのは育成年代の指導方法に問題があるのではないか。


近年サッカーは言語化され体系立てられてきた。学習意欲の高い今の指導者はこの体系的に作られた指導法をすぐ実践したはずだ。実際見違えるほど成長した。


しかし弊害もある。選手は考える必要がなくなった。コーチから言われたことを練習すれば最短ルートで成長して評価される。選手は俄然やる気が出る。こうして自主性の無限ループに陥る。幼い頃からこう育てば主体的に考える習慣がつくわけがない。


一方、根性先行の練習では答えが示されない。先が見えず無駄かもしれないが動かなけらばならない。その中で正解を見つける。理由はわからなくても自分で見つけた正解を感覚として残す。たとえ正解ではなくても正解までの過程が経験値となり臨機応変な対応ができるようになる。


根性論が大事と言いたいのではない。多少時間がかかっても選手が考えることが大事だ。コーチは答えを持っておく。しかしそれを選手が自分で見つけられるように、考えられるように環境を整えなければならない。


●多様性

多様性とはどういう意味か。1人1人がやりたいことをやる。これは多様性を履き違えた捉え方だが、私を含めこの考えを持っている部員は少なからずいるのではないか。


多様性について考える過程でイワシの大群の話を思い出した。


1匹だとひ弱なイワシが群れを成すことで生存できる。しかし何万ものイワシがなぜぶつからずに泳げるのか、なぜ分裂しても収束するのか、なぜ同じ方向を目指せるのか。


イワシの大群のルールは3つだけだという。


・周囲の仲間と適度な距離を保つ
・進む方向と速さを合わせる
・仲間がたくさんいる方向へ向かう


型にはめると柔軟性がなくなる。だが思うがままに泳げば群を作れない。このようなたった3つのルールでどんな障害が来ても大群を維持できる。


多様性のヒントはここにある気がする。


1人が引っ張るのではない。誰もが先頭になれる。先頭の個性を知っているから速さを合わせられる。


自分の意思を突き通すのではない。組織全体の流れに沿って自分の個性を発揮する。個性を発揮しやすいポジションを取る。


このようにメンバーの特徴に合わせて障害を解決したり避けたりしていく。すると単体では自分より強い相手にも組織で勝てるようになる。


このことから多様性とは互いの個性を認め合い同じ方向に向かうことだと考える。多様性ある組織を実現するには以下の3つが必要だ。


1. 自分の理解

自分の強みと弱みや人格形成における背景を理解する必要がある。


2. 他者の理解

会話したり観察したりして他者をよく知る必要がある。


3. 統合

集団を型にはめたり引っ張ったりする必要はない。互いの意思を尊重してその集団の総意を作る。


ア式では1と2の機会は多い。まさにReal voiceはそうだ。自分と他者の理解を同時に助ける。


難しいのは3だ。理由は2つある。1つ目は統合が危険と隣り合わせだからだ。独裁になる可能性もあれば崩壊する可能性もある。2つ目は他者への干渉を避ける傾向があるからだ。他者の内面に踏み込まなければ真の個性を見抜けない。それができなければ統合も難しくなる。


統合はミーティングで成しうる。統合を達成するには個性の発揮と全体の統一、自己主張と民主主義など相反するものを両立させるミーティングにする必要がある。これらを考慮してイワシの大群のような柔軟性のある多様な組織を作りたい。



●ア式のコーチ

ここまで長々と主体性と多様性について述べてきたが結局私が言いたいことは次のことだ。


ア式のコーチは自分を含め部員全員の主体性と多様性を実現しなければならない。


自分はコーチとしての立場を主体的に切り開く。
ア式では学生コーチの立場が確立していないから自分次第である。


他者に対しては主体性を促しつつ最大限の戦術的総和を図ることで多様性ある組織作りに貢献する。



監督が描くサッカーがある。しかし選手が描くサッカーもあり、私が描くサッカーもある。これらの融合がア式のサッカーである。


この融合を図るためにみんなの仲介役となるのがア式の学生コーチなのだ。


今シーズン終わりにはどう進化しているだろうか。
来シーズン以降はどう進化するだろうか。
結果はついてくるだろうか。


未来をイメージしてワクワクしながら、このワクワクに自分が関われる。
これはア式のコーチの醍醐味である。



●2年目

こんなことを考えながらア式の学生コーチとして覚悟を決めて挑んでいる2年目。これまで3つ悔しい出来事があった。


1つ目はFC(社会人リーグ)での開幕3戦未勝利。第3節に東京蹴球団に1-3で負けた時はスタッフの皆さんからボロカスに言われた。


「浜ちゃんはボール保持で満足してるよ。勝負の本質がわかってない。」


「視野が狭い。試合の流れや大局を見ないと。」


この試合の後Iリーグ担当になった。予定されていたとはいえ解任である。この3戦未勝利が今の順位に響いている。FCのみんなには本当に申し訳ない。



2つ目は前期の山梨学院大学戦。私が初めて関東のベンチに入った試合。結果は散々だった。効果的な解決策を見つけられなかった。3バックに変更し0-2で敗れた。


試合の結果は仕方がない。問題は試合後の私の振る舞いだ。


スタッフと話す時は戦術的判断を肯定したが、選手と話す時は彼らの戦術批判にスタッフ側の意図を説明しなかった。さらに戦術以外の選手の話には相槌を打つしかできなかった。全員にいい顔を向けようとしていた。


まさに意見をぶつけ合うチャンスだった。


しかし私は逃げた。


試合後監督は安斎(3年・安斎颯馬/青森山田高校)と会話をしていた。私にはそれができなかった。その行動が多様性ある組織を作るにもかかわらず逃げたのだ。


どんな時でも建設的な会話をするため自分を曝け出す勇気を持たなければならない。




3つ目は総理大臣杯2回戦敗退だ。関西学院大学は強いが早稲田の時間が来ることはわかっていた。その中で前半はミドルで構える戦術を選択した。


映像を何度見返しても状況を考慮してもベストな選択だった。しかしなぜか後悔が残る。


それは早稲田らしくないからなのかもしれない。「3点は取る」と監督が何度も言っていることに忠実になれなかった。リスクはある。結果論でもある。しかし後悔が残るということはそういうことなのだろう。


早稲田では「撃ち合い覚悟」を意思決定の根幹に据えるべきである。



今年の甲子園で準優勝した仙台育英高校の監督がこう言っていた。


「Good loserであれ」


関東リーグ第9節の関東学院大学戦。公式戦3連敗を喫した直後、その試合で出場できなかった陽琉君(4年・奥田陽琉/柏レイソルU-18)が選手に声をかけていった。自分も悔しいはずなのに。


悔しさ、怒り、失望などいろんな感情が渦めく敗北直後に相手や味方を称えることができるか。その感情を敬意だけでなくプラスの力に変えられるか。


負けた時に人間の価値が出る。


負けた時に一緒にいたいと思われるような人間になりたい。


●コーチとは


人の想いを引き継ぐ


これがコーチの仕事の本質だと思う。


選手1人1人にコーチがいて、彼らは教え子の将来をイメージしながら逆算して指導したに違いない。コーチ以外にも1人の選手には家族や友人、恋人など多くの人の想いが込められている。


私はこの想いを背負えるだけ背負って選手と向き合いたい。


私の想いも乗せて選手に伝えたい。


側から見れば勝手な思い込みであり自己満だろう。


しかしこの自己満が自己満の枠を超え、想いとしてみんなに届けばそれ以上に嬉しいことはない。


みんなの将来をイメージしながら後少しの間学生コーチを全うしたい。




最後に監督をはじめとするスタッフの方々、同期、家族、友人、大切な人、これまで関わってくれた全ての人達、これから関わるであろう全ての人達に大きな愛を込めて。


◇濵田祐太郎(はまだゆうたろう)◇
学年:2年
学部:商学部
出身校:市立浦和高校


【学生コーチ対談(早稲田スポーツ新聞会 企画・編集)はコチラ☟】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?