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【#Real Voice 2022】 「スペインに行ってみた」 1年・濵田祐太郎

僕はア式蹴球部の学生コーチである。将来はサッカーコーチを職業にしたい。僕はかなり変則的なルートでア式蹴球部に入部しているため、学年は3年、年齢的には4年、だがア式蹴球部では1年とややこしくなっている。


 このブログでは「感謝」をテーマに書くことにした。僕には感謝しなければならない人が沢山いて、その人たちに触れずに自分のことを書くことはできなかったからだ。ア式蹴球部に入部する経緯に触れつつ僕が目指すコーチ像に関して、今までかき集めた断片を記していこうと思う。


コーチのスタート

 2019年、僕はコーチとしてのスタート地点に立った。というよりも立たせてもらった。埼玉県にある細田学園高校に外部コーチとして引き入れてもらったのだ。出身校ではないが、自分からコーチとして修行させてもらえるように頼み込んだ。僕が中学生の時に1度だけ受けた上田健爾監督の指導に魅了されたからだ。その練習から4年経っても当時の衝撃を覚えていた。


 細田学園のサッカー部に入って少し経つと、監督にチームを持ってみないかと言われた。しかも指導が難しい1番下のカテゴリーを指導していいと。1日の練習を全て考え運営するだけでなく、練習試合や公式戦ではそのチームの監督としてテクニカルエリアに出て指示を送ることができる。さらに細田学園高校のグラウンドで練習をしているFCソルース埼玉というjrユースのチームのコーチもやらせてもらった。 OBでもなければ選手としての実績もない僕に、考えられないほど貴重な経験の場を与えてくれた。


責任感と緊張感と少しの重圧。現場に立たないとわからないことばかりだった。


人を動かすこと

観客を魅了すること

チームをマネジメントすること


そういった今まで「される側」だったことに関して「する側」に立ったときの難しさを痛感した。


 選手たちにとっては人生に1度しかない学生時代のサッカーであり、その選手たちには大切な家族や友達がいる。コーチとは人生を背負う大きな仕事であるということを心に留めてピッチに出るようになった。


いいコーチとは

 高校生と中学生のどちらのチームであれ、大切なことはサッカー以外の面であった。


どれだけ選手一人一人を見ることができるか

どれだけ選手のつながりを見ることができるか

どれだけチームとして一体感を生むことができるか

そして自分がどれだけ信頼されているか


ソルースの監督から指導者に必要な要素として何度も言われたことは人を惹きつける力だった。その手段はなんでもいい。いい声だったり、いい姿勢だったり、スピーチがうまかったり、なんか楽しそうだったり、ビジョンや野心が魅力的だったり…。仮にサッカーについての知識が少なくても選手たちとのつながりが強ければそれはいいコーチだと言われた。


ア式蹴球部入部の決断

 細田学園とソルースで過ごした期間、実力と経験のある先輩コーチたちがとてつもない重圧と緊張感のある修羅場を冷静かつ大胆な決断でチームの舵を取っていく姿を目の前で見てきた。この人たちと同じ経験を積んでいては追いつくことはできない。急激に成長している細田学園にとって今後僕が足手纏いになる。恩返ししないといけないのに迷惑をかけてしまう。

選手権などの大舞台で指揮を取る姿に圧倒された


環境を変えなければならないと思った。そして、自分が飛び込むことができる1番厳しい環境がア式蹴球部だった。大学1年の頃に1度見学して手が出ないほどレベルの差があると感じたア式蹴球部に挑戦しようと決めた。


 細田学園でのシーズンが終わった後の打ち上げで、酔っ払った監督が僕に「おまえ、必死にやってこいよ。こなしてその場を乗り切る奴はいくらでもおんねん。無茶苦茶でもいいから必死にやってこい」と言ってきた。


「必死さ」


これはア式蹴球部に来てから常に意識している言葉である。この言葉をどんな時でも立ち返るべき原点にしている。必死に物事に取り組めているかどうか、その姿勢は他人から見てもわかるかどうか、今の状態をお世話になった2人の監督に見せることができるかどうか。


上田監督からはコーチとして学ばなければならないことはもちろん山ほどあるが、人として、男として見習わなければならないこともそれ以上にあると思った。


スペイン留学

 もうひとつ、異なる環境に飛び込もうと決意したことがある。それはスペインでサッカーを学ぶことだ。国外の指導者について調べていくうちに日本のC級に相当するスペイン指導者ライセンスレベル1を短期で取れる留学プログラムを見つけた。すぐに飛び込んでみようと決めた。


 スペインでは自分の中で革命が起きるようなことも、こんなもんかと思うことも、多面的に学ぶことができた。スペインに行ってよかったことの1つは人とのつながりを実感できたことだ。ア式蹴球部の社会人コーチだった鈴木隆二さんのおかげで、スペインで活躍する日本人指導者の方によくしてもらったり、現地のプロクラブのコーチと仲良くなったりした。その中でもアルコルコンというスペインリーグのセグンダBに属するチームのU-14トップコーチのパブロとは実家に呼んでもらえるほど仲良くなった。

帰りの空港でのパブロとの写真


コーチは発明家

 パブロにはつきっきりで現地のチームの練習や試合を案内してもらった。僕はスペイン語を全く話せないが、パブロがわかる日本語、少しの英語、ジェスチャー、Google翻訳、ノリでコミュニケーションを取っていった。


スペイン留学最終日、僕はパブロにいいコーチとはどういう人か質問した。彼はグラウンドのナイターを指差して「エジソン、genius」と言った。次にペップが選手の特徴、チームの文化に合わせてゲームプランを作っていく例を引き合いに出して「ペップ、genius」と言った。そして、「geniusでなければコーチじゃない」と言ってきた。そのgeniusは発明という意味で使ったのだろう。


「発明できなければコーチではない」


言葉の壁を超えて、パブロはそう僕に伝えてくれたのだ。

最終日に見学をしたグラウンド

選手たち一人一人の能力を把握して、ゲームモデルを考えて、映像を分析して、練習のテーマを決めて、練習中に使う言葉を整理して、練習メニューを書き出して、ピッチにグリッドを作って、選手たちにそれらを伝えて、実際の練習での現象を確認する。言葉が機能しているかどうか、メニューのオーガナイズやルールが機能しているかどうか、どのように変更すればうまく機能しそうか…。そして試合に挑む。どれだけ準備やシミュレーションをしても、この構築が崩れ去るときは一瞬である。些細なことで破綻することなんてしょっちゅうある。


0から1を作り出す


それは相当な体力を要する作業である。自信を持てないことがある。不安になることがある。行き詰まることがある。失敗することしかない。だけど次に進まないといけない。


サッカーが好きだから、自分の周りに感謝すべき人がたくさんいるから、僕は次も頑張ろうって思うことができる。


情熱と愛

 僕が接してきたいいコーチだと思う人に共通していることがある。それは、サッカーに対する情熱と愛が計り知れないほど大きく深いことだ。細田学園とソルースの監督もそうだし、パブロもそう。知識では彼らに勝てないけど、誰でも同じ土俵に立てるはずの情熱と愛に関しても圧倒的に彼らが僕を上回っている。


普段はふざけているけどピッチに立つと目の色が変わる、声が変わる、オーラが変わる。そしてサッカーに対して自分が持てる最大限の体力と時間を注いでチームのために活動する。サッカーの発展のために活動する。なによりも、楽しそうにキラキラした目で仕事をしている。


決して自分のためではない。選手のため、スタッフのため、チームのため、サッカーのために身を粉にして働く。その大きな覚悟が結果的に自分の能力を向上させることにつながる。コーチという仕事はサッカーを愛していなければ成立し得ない仕事なのだ。


僕は駆け出しのコーチだが、接してくれる人に恵まれたおかげでこの仕事の本質に辿り着いた気がする。サッカーに対する情熱と愛、これが薄れたと自分で感じたときはこの仕事をやめなければならない時であろう。


将来の夢

 ア式蹴球部に入部してから多くの指導者やサッカー関係者と話しをさせていただく機会を得た。スペインではプロから小学生まで幅広いカテゴリーの練習を見学することができた。さらに、ありがたいことに僕は小学生、中学生、高校生、大学生を指導することができた。これらの経験から僕は育成年代の指導に携わりたいと思うようになった。特に、中学年代の指導をしたい。


中学年代はサッカー面、人間面の両方において過渡期となる。中学生のサッカーはただ楽しむだけではなく、試合や練習に戦術的要素も含まれる。また、中学生は心身ともに成長する時期であり、その成長具合は人それぞれであるため不安になる人もいるだろう。学業との両立もしていかなければならない。選手だけでなく保護者にとっても重要な時期であるため中学生を指導するにあたっての責任感はいっそう強くなる。他にも様々な事情があり、中学年代の指導が1番難しいと言われている。


 だからこそ僕は中学年代の指導をしたい。このような難しさがあるからこそ、中学年代は人間面でも競技面でも今後に飛躍するための基礎となる。人間として大きな変化を遂げるための重要なこの期間に僕が選手たちにサッカーを通じて何を与えることができるのかを常に考えている。


僕が指導した選手たちにはプロ選手になってほしい。代表選手になってほしい。

僕が指導した選手たちには社会人として堂々と活躍できる人間になってほしい。

僕が指導した選手たちが日本サッカーを変えてほしい。日本の社会を変えてほしい。

そして僕が指導した選手たちを見てサッカーを好きになる人が増えてほしい。明日への活力をもらう人が増えてほしい。


僕に多くの宝物を与えてくれたサッカーを通して日本全体を巻き込む大きな循環を作りたい。サッカーにはそれだけの力がある。僕の活動が人々の活動や社会の動きと共鳴して、時と場所を超えた刺激を日本に与えることができればいい。


幸せ者

僕には感謝しなければならない人が沢山いる。


僕を指導者のスタート地点に立たせてくれた上田監督をはじめとする細田学園のスタッフ

身近で支えてくれる家族や友人

よくわからないタイミングで入ってきた僕の言うことを寛大な心で聞いてくれるア式の選手たち

難しい状況でも支えてくれる同期

優しく楽しく接してくれる学生スタッフ

僕の横暴なわがままをいい影響になるように誘導してくださる外池監督をはじめとする社会人スタッフの方々


いつかのアイリーグ


いつかのFC


つくづく運がいいと思う。このような環境に身を置けるのは奇跡的な幸福である。これからの人生でそういう人たちに自分が1番好きなサッカーで恩返ししていきたい。


 そして僕が中学生の時に上田監督から食らった衝撃を選手に、観客に与えられるようなコーチになりたい。そういう循環を生み出すことができればサッカーに対しても恩返しできる気がする。

読んでいただきありがとうございました。

濵田祐太郎
学年:1年
学部:商学部
出身校:さいたま市立浦和高校

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