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【#Real Voice 2022】 「重荷を背負って」 4年・平田陸人

ア式蹴球部がない生活。
めちゃくちゃ望んだ生活。
喉から手が出るほど欲しかった生活。

それなのに、引退したはずなのに、嫌でもア式での生活を振り返ってしまう。

ここ1年間。
24時間、ア式に囚われ、いつも逃げ出したかった。
本来は、楽しいサッカーもどこかストレスを感じていた。
3年目で1年間怪我をして、4年目になって復帰したものの、膝がずっと痛いし、身体動いたなと思ったことはない。

それでも主務だから、楽しそうにサッカーをやろうと、気丈に振る舞おうと、そんなことしか考えてなかった。
髙見(1年・髙見真史)が部員ブログに、陸人君がサッカーをしてるのは楽しそうに見えるって書いてくれたな。
本当は、直接「ありがとう。」って言いたかったけど、言えなかった。
だって、それ偽りの俺だし。心の底から楽しめてないのに、ありがとうって言うのも何か嫌で、ずっと言ってなかった。ごめんな。

そんな、ア式生活からやっと解放されたのに。
いつになったら、ア式のことを考えずに済むのだろう。

時間が解決してくれる。
おいおい。時間追うごとに、思い出すんだが。

答えは明確だった。
降格した代の主務。
一生、忘れることのできない呼称。

チームの結果は主務の力量。本気でそう思ってきた。
だから、降格したことを自分のせいだったと受け入れることが嫌だった。

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10月1日、大敗した土曜日の明治戦。
試合の内容は殆ど覚えていない。
失点していく度に、何かチームを変えないといけないと焦燥感に駆られ、試合後すぐアクションを起こすために、思考を巡らせていた。

そして、試合後監督に言った。
「下級生に、自分たち(4年生)に対して思っていること、感じていることをぶつけてもらう機会を作ります。」

残留するために、チーム全員の力が必要だと思った。
そう感じた。そう思いたかった。

違う。

俺が同期と真正面から向き合うことから逃げた。
3年、4年と2年間で痛感したあの辛さをもう味わいたくなかった。
本当は何もしたくなかった。でも、いずれ4年生として何か求められ、行動を起こさないといけない。
行動を起こす上で、下級生というフィルターをかけないと、その上で自分の想いを話さないと、心が持たないと思った。

日曜日、下級生からここまでもかという内容を言われ、それと同時に同期に対して自分が感じてきた不満をぶつけた。

そして、予想していた通り、同期にミーティングで言われた。
「お前の選択は大間違いだと。」

予想していたのに、今回は耐えられなかった。
自分が批判されたからか。
そうではない。
自分の無力さに打ちひしがれたからだ。

下級生にも辛い思いさせてるし、何人か涙流してるし、言い争いしてるし、チームが同期がバラバラになりかけそうだし。
その決定打を自分が下してしまった。

同期もまとめられず、主務としてチームをまとめられず。
恥ずかしかった。
仲間の顔を見るのが嫌だった。
後ろめたかった。

でも、そんなことがあった週明けの練習から本当にみんな頑張ってくれた。同期の皆んなも目の色を変えて、踏ん張ってくれた。

一方で俺は、頑張ろうとしても何も力が湧いてこない。
みんな辛いんだろうな。ごめん。俺のせいだわ。
部員を見る度に、自責の念に駆られる。

そして、チームとしてまた問題が起こる。
4年生で持ち帰って、決めた内容を共有してくれ。
自主性を重んじるこのチームで、いつもの如く、監督に言われた。

ずっと、チームに仲間に自分に向き合うことの大切さを説いてくれた監督。
何回か、自分の心が持たないですって伝えても、同期との関係性が壊れそうですって伝えても、
いずれ、社会人になって、良かったと思える日が来る。笑い話になる。
そう言って、なんだかんだ説得され、思考することが大事と言われてきた。

「もう限界です。チームがバラバラになりかけてるし、このまま向き合っても本当に修復不可能になります。
みんなに考えてもらう機会を作っても、それでア式辞めたいと鬱になりかけてる人もいます。それでも、学生だけで話し合い、向き合う意味はありますか。」
ざっくり、かいつまむとこんな感じだっただろうか。

それでも返ってくる言葉は、いつも通り学生でまず向き合うことが大事だということだった。
明治戦以降、自分に向き合うこと、考えることは放棄した。
ただ、外池さんに学生としてまとめた意見を言う作業だけを行った。
それが自分の本心だと思って。

監督に最後言われた。
「自分の心を偽ってまで、押さえつけてまで、陸人が皆の前で自分の意見として俺に向かって発言するほど、陸人を追い込んでしまっているとは思わなかった。ごめん。」

そして、引退を迎えた。

部員ブログを通して、しっかりと結果を受け入れる機会をもらった。

最後、俺は一歩を踏み出せなかった。
踏み出す勇気を持てなかった。
明治戦以降のア式での生活、ただ仲間の想いを代弁することはメンタル的に楽だった。

でも、後悔だけが残った。あの期間は楽でも、ここから一生後悔するんだな。
引退して、気づいた。
俺、やりきれなかったんだな。
その想いがずっと引退しても拭えない。
だから、ア式のことを嫌でも考えてしまう。

ア式蹴球部で得たものはなんだろう。
自分の弱さに気づけた。
意外と難しいよな。
一人だったら間違いなく目を向けることはなかった。

ア式だからこそ、弱さを自覚できた。仲間のおかげだ。
なんだかんだ、背中を押してもらい、支えてもらった。
ア式でしか経験することはできなかった。

自分の弱さ。
仲間との関係の質を高めることができなかった。虚勢を張り、仲間に弱さを曝け出せなかった。
仲間の弱さに寄り添うことができなかった。
自分の力だけで全て乗り越えると信じた。

だから、結果が出ないたびに、なんでこんなこともできないんだと、勝つために考えてるのかと、思考してるのかと仲間を責めた。

俺がずっと仲間にしてきたのは、自分の都合から生まれるものだった。
仲間が問題を起こし、その度に監督に呼び出され、自分の時間が取られる。

監督と当事者の間で解決してくれ。
俺を挟まないでくれ。
負の感情で仲間にぶつかり、対立した。

目標が、志が高ければ高いほど、目標を見失う。
そして欠いた。
仲間への敬意を。傾聴することを怠った。
わかっていた。間違ってるって。
でも、今更そこに労力をかけるのがめんどくさかった。

社会人手前で大人になったと背伸びし、自分の気持ちに蓋をし、他人の想いを勝手に理解した気になる。

互いの意見を尊重し弱さを自覚し、曝け出し、弱さを困難を一緒に乗り越える。それが、一生仲間として信頼できる。

これが、外池さんが求めたかったことなのだろう。

俺はそこまでの関係性を築くことができたのだろうか。

4年目、結果が出なかったとき、まず行動に目をやり、思考を続けた。とりあえず、行動を起こし続けることを意識した。
でも、それでは良質な思考や行動は生まれなかった。

成すべきことは、仲間との関係の質を高めることだった。
仲間との関係の質を高めるからこそ、よい思考が生まれる。そして、チームを好転する行動が生まれる、
全部反対になっていたな。
引退して気づいた。

考え続けることは大切だ。
ずっと考えてきた。この4年間。
でも、履き違えていた。

結果が出ないとき、うまくいかないとき、必ず疑うべきは関係の質であった。
自分を弱さを曝け出し、仲間の状態を知り、そしてぶつかるからこそ、乗り越えられる。

サッカーってやっぱりチームスポーツなんだな。結局、主務として俺がチームに必要なことをできなかった。
だから、降格した。

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4年間、本当に多くのことを学んだ。成長したと胸を張って言うことはできないが、自分の人生の糧になる4年間だった。

いつになったら、ア式のことを考えずに済むのだろう。
たぶん一生付き纏うんだろうな。
死ぬまで、思い出すんだろうな。
そう思う。

でも、人生を後悔しないために。
この4年間で得たこと、そして自分の弱さを自覚し、社会人として活かすしかない。
今はそう思う。

19年間歩んできたサッカー人生。
ずっと兄貴の背中を追ってきた。
こんな素晴らしいスポーツに出会い、仲間と出会い、ア式蹴球部という組織に入ることができたのは、間違いなく兄貴のおかげだ。
俺にサッカーを教えてくれて、ありがとう。

ずっと先をいく人。
男二人兄弟で、いつも比べられ、俺はなにか勝っているものがあるのかと苦しめられてきた。

サッカーだけは。
兄貴に負けたくなくて、
「お前すごいな」
そう言わせたくて、頑張ってきた気がする。

結局、サッカー人生であっと言わせる結果を出すことはできなかったな。
でも俺、少しは追いつくことできたのかな。

社会人、同じ業種に進む。
それだけは嫌だったけど、なぜかそうなった。自分でもわからない。
まだ心のどこかで意識してるんかな。

でも、思う。
兄貴に勝つことはできない。
この先も、俺の先を走り続ける。

だから、無理して、兄に勝とうとは思わない。
俺は俺の歩幅で歩みを進める。
兄貴の背中を見失わないように、力強く一歩を踏み続ける。

両親へ
山あり谷ありのサッカー人生だったけど、2人がいたから、ここまで来れました。
最後は、ピッチ上でかっこいい姿を見せたかったけど、結局愚痴ばっかりこぼして終わってしまった4年間。
社会人になり、かっこよく独り立ちしたいと言いたいけど、なんだかんだこれからも迷惑をかけてしまうと思います。
それでも、貰ってきたものを少しずつ返せるように、これからも頑張ります。

◇平田陸人◇
学年:4年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田大学本庄高等学院


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