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「偉大なる背中を追いかけて」 2年・平田陸人

皆さんには尊敬する人物がいるだろうか。

私はこう答える。曽祖父だと。

でも実際、曽祖父と話したことはないし、勿論会ったこともない。では、何故そんな曽祖父を尊敬する人物として挙げるのか。

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私の曽祖父。

小さい頃、母に「あなたの大パパ(曽祖父:理由は知らないが、大パパと呼ばれている)は第一次南極大陸越冬隊員なんだよ」と言われた。
南極大陸に行ったことがどれほど凄いことか分からなかったし、その時は興味すら湧いてこなかった。

それから少し時が経ち、小学5年生ぐらいの時であっただろうか。TBSの開局60周年記念として、「南極大陸」というドラマが始まった。

かいつまんでドラマの説明をすると、第二次世界大戦後、国際社会復帰を目指していた日本が、敗戦で失いかけた自信を取り戻すべく、戦後始めて国際共同観測の大事業に参加した。その第一次南極大陸越冬隊員に焦点を当てたのがこのドラマだ。
かの有名なタローとジローの物語もドラマの話に出てくる。

自分の曽祖父がモチーフになっていることは知りつつも、日々サッカーに明け暮れていたため、最初はそのドラマを見る気なんてさらさらなかったが、私の中でキムタクブームが到来し、そのドラマの主役がそのキムタクだったという理由だけで、そのドラマを見始めた。
ましてやドラマの概要を知った時、無知であった私は「南極に犬を置いていくなんてひどい奴らがいたものだ」と、憤怒の念に駆られたものだ。

しかし、見進める中で接近不可能とされてきた前人未踏の地での観測に志願する越冬隊員の姿、そして、日本の戦後復興の力になるために、人間モルモットと言われても臆することなく命懸けの挑戦をした日本人がいたことに率直に胸を震わせた。

そして、そんなかっこいい越冬隊員の一人である大パパの血が自分にも流れていると思うと、少し自尊心が満たされた。

早稲田大学のア式蹴球部を志すようになった要因として、大パパが早稲田大学のラグビー部であったことを知り、その跡を追いかけたいと思ったことも理由のひとつとしてある。

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尊敬する人物は、自分の価値観や将来の理想像を表してくれる。

現在の自分。

ア式蹴球部に入って、早2年。ア式に初めて来た時のカルチャーショック状態に比べたら、だいぶ組織に順応した。1年生の頃から同期の仲間が組織に違和感を覚える中、周りと比べて早くア式に馴染めたし、2年になって仕事というしがらみから解放され、ア式の生活にも慣れ、余裕さえ生まれるようになった。

元々、些細なことに気付く力はあると思っていたし、人の顔色を伺いながら周囲の人と足並みを揃えるように行動し、その組織に溶け込むのは人より早い方だった。

それこそこの2年。自分の存在意義を自問自答し続ける組織の中で、自分の人生と向き合うことの意義を切実に感じた。
"自分に何ができるか" そう考えた時に、サッカーに軸を置きつつも、プロモーションの活動にも意欲的に参加してきた。

でも最近感じる。自分は漠然と組織の流れに身を任せていただけだなと。
ある部員に言われたことがある。「陸人ってア式っぽい考えをしているよね」と。
何気ない会話だったが、少し違和感を覚えた言葉だった。"ア式っぽい"って何だ? ア式っぽいってことは、自分の自我がないってことか?
ア式にいるんだし、その人の言う「ア式っぽい」考え方になるのは当たり前だろう。いや違う。
たぶんその人から見たら、"平田陸人"っていう1人の人物よりも、"ア式の中の平田陸人"という視点の方が強いんだなと。俺から発せられる言葉は全てア式という組織の引用リツイートのように感じられているのかもしれない。心のどこかで遠慮して、自分の考えに妥協し、組織に合わせてきた自分がいるのも確かだった。

この2年間。多くの先輩から多くのアドバイスをもらい、自分の中に落とし込み、消化してきたつもりだった。2年にもなれば1年の時と比べ、先輩にも何でも話せるようになり、違和感を覚えたことは先輩にぶつけたりもしてきた。でも、それはただぶつけているだけ。その先のことを考えず、目先のことだけを見て、不平や不満を言っていただけだった。まだ相対的に下級生なこともあってなのか、ア式という組織の重みを感じることもないからなのか、じゃあ自分は何をしなければいけないのか、そんな風に考えたことはなかったし、良い方向に進めようと行動しようともしてこなかった。

適応とは、組織にただ自分というものを落とし込むことだと思っていた。でも、それではダメだと感じる。それは、自分の考えを妥協していることに繋がるから。妥協した状態では、「主体性」なんてものは出てくるはずがない。
だからこそ、真の適応力とは、思考から始まり、意識的な行動に帰結することだと思う。これまでの自分はただア式という枠に囚われ、その中で無意識的に行動に移していた。それこそ、集団の中で、多数派から少数派になることを恐れていたのかもしれない。少数派とは、ただ我が道を行くことではない。ア式という組織の土台がある中で、どれだけ組織に自分の考えを肉付けできるかだと思う。

社会から"人間モルモット"と揶揄されながら、南極で越冬することを志願した大パパ。その背中はまだ遠い。でもいつか、自分も臆せずに強い決断や行動ができるようになりたい。
自分はまだ学生だ。自分の意思を尊重してくれる環境があって、その自分の意思に本気でぶつかってきてくれる仲間、そして自分の意思をサポートしてくれる監督、コーチがいる。それこそ、学生の特権なのかもしれない。社会に出れば、そんな簡単に自分の意思を受け入れてくれることもなくなるだろう。だからこそ、あと2年間、そして1日24時間という時間、この環境を最大限に活かしていきたい。



平田陸人(ひらたりくと)
学年:2年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田大学本庄高等学院


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