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政治的な「活動」が中毒化した人はモノゴトを「つくる」のがオススメ、という話(庭の話 #17-3)

昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第17回です。過去の連載分は購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。(今回、長いので3分割しました。これが2回目です。今月の購読すると全部読めます。)

5.歴史と共同体

 今日のプラットフォーム下の共同体(テーマコミュニティ)はアテンション・エコノミーに対しての最適化を余儀なくされる。そのためにタイムラインの潮目を読み、常に多くの人々が既に話題にしていることに言及し、その話題に対する主流派の意見をなるべく強く肯定か、否定することが求められる。それが、もっとも効率よく動員するための手法だからだ。
 しかしこうして、動員し続けられた共同体が残せるものはなにもない。そこには教祖へ帰依した人々の愚かさと弱さが、無責任なかたちで放置されてしまうだけになる。
 SNSのプラットフォームはアテンション・エコノミーに最適化し、この瞬間の動員を最適化するための発信をプレイヤーに要求する。しかし、そこで集められた人間の関心は持続することはない。対して、制作された事物は異なる。それは確率的に、未来に残り、未来の人々に影響を与える。プラットフォームに「庭」的な場所を対置すること─それは、プラットフォームが閉ざす歴史への視線を開くことにもなる。
 浄土真宗本願寺派の僧侶松本紹圭は、イギリスの文化思想家ローマン・クルツナリックの提唱する「グッド・アンセスター」という概念を同名の著書の翻訳を通じて紹介している。松本によれば、これは「地質学的な時間軸「Deep Time(ディープタイム)」の視点をもち、長期思考によって未来世代を含めて社会をつくる必要性を説」くものだ。そのために、私たちは未来世代を考えた社会創生に取りくむ「よき祖先=グッド・アンセスター」として振る舞う必要性がある─これが同書の主張だ。
 クルツナリック、松本の議論は気候変動の問題を背景とした、近年のSDGs的な運動に近しいものだが、ここでは、この概念をむしろアテンション・エコノミーへの抵抗の根拠として読み替えたい。そしてこのとき私たちがグッド・アンセスターとして残せるのは承認の交換の場とその持続を「目的」とした共同体ではない。それは、存続のためにアテンション・エコノミー的に「敵」を再設定し続けるシステムだからだ。むしろ、承認の交換のための枠組み以外、何も残さないことこそがこの種の共同体(たとえば日本的な「イエ」)の条件だからだ。だからこそ、私たちは共同体=家ではなく、事物=庭を残す必要があるのだ。

6.制作と戦争

 私たちは共同体ではなく社会に、人間間の承認の交換ではなく事物の制作にアプローチするべきだ。
 ハンナ・アレントはかつて『人間の条件』で人々がその生活のために行う「労働」と、世界の環境を整えるため事物を生産する「仕事」、そして社会的な行動としての「活動」とを区分し、20世紀により進行した工業化と大衆社会化が「活動」の領域を社会から減少させていることに警鐘を鳴らした。しかし、ここで私が述べているのは逆のことだ。今日においては「活動」が人間に与える快楽が、政治的、経済的な動員に用いられ、むしろ「人間の条件」を損なっているのだ。だからこそ今日においては「活動」ではなく「仕事」で、「家」ではなく「庭」から公共的なものへかかわり、世界に素手で触れる感覚を回復するべきなのだ。第2回で紹介したように「庭」=「場」とは、かつての日本語においては事物を通じて、仕事を通じて世界に触れるための場所だったのだから。
 そして、無数の「家」の乱立を促すプラットフォームの支配するこの世界に、無数の「庭」を作り続けることは、人間に承認の交換のゲームから一時的にでも降りる時間を与える。その時間に接した新しい事物の、新しい快楽こそが、人間に承認の交換とは異なる欲望を芽生えさせるはずだ。そしてその小さな発芽を、地球の表面を覆う森に進化させる可能性を、インターネットという世界を小さくする装置はもっているはずなのだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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