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庭プロジェクト(「庭の話」 #8)

昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第8回目です。過去の連載分は購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。


1.ターニングポイント

 この連載は今回からが後半戦になる。「プラットフォームから、庭へ」をキャッチ・フレーズに展開してきたこの連載は、その「庭」の条件を考えてきた。そして、その「庭」で生態系を形成するために、もっとも必要な事物とはなにか。それが物語に代表される創作物であるーーという仮説が提示されたのが前回だ。連載の後半は主にこの事物(創作物)について語られることになるのだが、その話に入る前にいくつか、ここで述べておくべきことがある。そのうちのひとつは、これまでのこの連載が、批評であると同時に私が今、進めているプロジェクトのコンセプトを述べたものあるという事実だ。そしてこれはたぶん、この連載の読者が想像しているよりもずっと、具体的で現実的なものだ。これまで登場した鞍田崇、鞍田愛希子、井庭崇などの人物は既にこのプロジェクトへの参加が決定している。おそらく、柳瀬博一らにもどこかで参加を打診をすることになるだろう。連載の最終回で発表するのもよいと考えていたのだが、後半からがらりと内容が変化するのでここで述べておくのがよいと考え直した。「庭」プロジェクトーーそれがこの計画の名前である。特に、ひねりのようなものはない。

2. オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト

 ことの発端は2013年にまでさかのぼる。それは、二度目の東京オリンピックの誘致が成功してしまったその瞬間のことだ。今となっては多くの人々が知ることであり、そして当時はほとんど知られていなかったことだが、日本がより力を入れて誘致を試みたのは2016年開催大会であり、2020年大会ではなかった。2016年大会の誘致に失敗した結果として2020年大会にも名乗りを上げることになったのだが、このことがより状況を悪化させた。状況とは何か。それはこのオリンピックがこの誘致の時点から事実上のコンセプトのない、空疎なものであったからだ。
 1964年の東京オリンピックには、それが正しいものかどうかはともかくとりあえずまだ明確なテーマが存在した。それはオリンピックの開催という大義名分を用いて、首都東京を中心に国土の大改造を行うことだった。そして高度成長を支えるインフラストラクチャーを整備することだった。国威を発揚することを手段として、達成すべき目的が存在した。しかし、この2020年大会は違った。そこに存在するのはせいぜい、オリンピックが再び東京で開催されると、「失われた30年」の没落に消沈するこの国が「元気になる」といった類の、森喜朗的な妄想とこれを大きなビジネスチャンスととらえるオールドエコノミー中心の産業界の下心くらいしか存在しなかったことは、実はこの段階から「自明」のことだった。

 当然のことだが私は誘致の段階から、二度目の東京オリンピックには反対していた。そして、考えた。どうせなら、このオリンピックへの反対をより建設的なものにしたい、と。
 私は不正義や理不尽な出来事について、声を上げることを弱者の行為としてせせら笑う行為には軽蔑しか感じない。今日においては後出しジャンケン的にこうして弱い側、負けた側を笑うことで、自分たちは強い、賢いと誇りコンプレックスを抱え他虐の機会と理論武装を求めてめてやまない「観客」に課金させる「新しい言論」がときに注目を浴びるが、これ以上に卑しく、醜悪なものはなかなか存在しないだろう。しかしその一方で、イデオロギーが人間を狂わせ、暴力の連鎖を生み続けた20世紀を経た現代を生きる私たちは、声を上げることの快楽が中毒化し、批判の有効性よりもナルシシズムの確保が優先される現象は当然のことだが回避する必要がある。そこで、私が考えたのは「対案」を提示することで建設的な批判を行うことだった。2020年の東京オリンピック/パラリンピックの開催に原則的に「反対」の立場から、もし開催する場合はこうするべきだという「対案」を示すこと。そしてそのことで、これらかの日本社会のビジョンを示し、国際社会に発信すべきメッセージを模索すること。こうして、はじまったのが「オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」だった。
 
 私は仲間たちを集めて計画を開始した。チームラボの猪子寿之は開会式と競技中継のプランを考案した。そのコンセプトは「オリンピックを競技場から、街へ」ーー。猪子が提示したのは、競技場のデジタルインスタレーションと、街中にパブリック・アート的に配置された立体映像とを連動させる開会式だった。市民が、街中のグラフィックに触れるとそのグラフィックーー花や虫など、動植物が描かれているーーは変化する。花は散り、蝶が死ぬ。そしてその遺骸から別の生命が生まれていく。そしてその変化が、競技場のインスタレーションにも反映される。多くの人々が街頭で参加すればするほど、競技場内の変化は豊かになるのだ。
 猪子の仮想敵は2012年のロンドン・オリンピックのそれだった。テレビ番組としての完成度に的を絞った同大会の開会式のコンセプトは極めて劇映画的なものだった。象徴的なのは、ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドと当時王座にあったエリザベス二世が、ヘリコプターからパラシュートで降下する映像が流れ、そして次の瞬間に本物たちが会場に登場する演出だろう。それは映像の20世紀の総決算と言える演出だった。これに対して猪子はインターネットの時代に対応した、開会式を構想したのだ。もはや、私たちは映像の中のアスリートに感情移入する観客ではなく、自らも参加する主体なのだ。ここで重要なのは、猪子の提示したプランが開会式の演出に参加することで、自己を社会的に承認させるモデル「ではない」ことだろう。
 前回紹介した岡山の醤油蔵のインスタレーションがそうであったように、チームラボのデジタルアートは観客に社会的な承認を与えない。これらの作品ではふとその場所に訪れることで、そこにあるものに何気なく触れることで、世界が不可逆に変化してしまうことが情報技術を用いて可視化される。自己の言葉や表現が他のプレイヤーから承認されることの快楽は、異なるものだ。意志に基づいた行為を通じて、思い描く自己像を肯定されるといった快楽とは、むしろ真逆の体験がそこにはある。それは、同じ「インターネット的」なものであったとしても、その内実は正反対の人間観に基づいたものなのだ。
 そして、この計画案では競技中継もまた競技場から街頭へとーーときに立体映像などを駆使しながらーー連れ出されることになっていた。当時の技術的な限界はあるものの、それはもはや映像の中のアスリートに感情移入する前世紀的なものとは決別すべきであるという強い意志の産物だった。

 乙武洋匡はかねてよりオリンピック、パラリンピックの融合を提案していた。本計画が「オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」と呼称され、パラリンピックが併記されないのは「オルタナティブ・オリンピック」とは既にパラリンピックを内包しているからだ。この乙武の構想を実現するために、私たちは新しい競技の開発を行った。コンピューターゲーム研究者の井上明人を中心に討議と研究を行い、チーム内の身体の多様性が高いほど有利になる競技を開発し、提案した。近代的な競技スポーツそのものが、ナチス的な五体満足主義と親和性が高く、まったく異なる思想に基づいて競技そのものを作り直す必要があるというのが、私たちの結論だったからだ。

 都市開発については、建築家の門脇耕三と社会学者の南後由和を中心に東京の開発計画をまとめた。これは、21世紀前半により分断が加速する日本社会の縮図として東京をとらえ、それぞれのエリアに対応した再開発を提案するものだった。そこで優先されるのは、他のメガシティとの商業的な価値を争うスペックの向上ではなく、予想される社会的な課題の解決だった。前々回に述べた「スマート」かつ「イナフ」な都市開発と同じような視点からの提案だったと考えればいい。
 たとえば、戦後中流の生き残りたちが相対的に健康で文化的な生活を維持する東京西部は、団塊世代の退場によって持ち家の空き家化が進行することが予測されている。これらの住宅の商業利用、若年層や外国人労働者の居住を前提とした都市の再構築を私たちは提案した。同様に湾岸地区はこの国の新産業への転換を阻害してきたタクシー業から外国人就労におよぶさまざまな規制の緩和を中心とした実験的な特区に、山手線の内側はその広大さにより極度の鉄道依存に陥った現状を緩和するウォーカブル・シティに、相対的に経済力の低いフルーカラー層の集中する東部は、貧困に対するケアに重点を置いた官民連携の公共施設の拡充に、それぞれ軸足を置いた計画を取りまとめた。

 今日改めて振り返ると、日本の経済的な没落の速度を甘く見積もっていたことなど多くの反省点もあるが、2015年の発表時には稀有な、というかおそらくはほとんど唯一の2020年の東京オリンピックに対する「対案」だった。
 当時、僕たちが考えていたことは、この2020年の東京オリンピック/パラリンピックを通して、オリンピックの抱えてきた20世紀的なものを超克するビジョンを提示することだった。「ばらばらのものを、ひとつにまとめる」のではなく「ばらばらのものが、ばらばらのままつながる」ビジョンを提示することだった。それは、2011年の東日本大震災を経て、これからこのズタボロになったこの国を自分たちの手で作り直すのだという機運に後押しされた、当時30代半ばになった僕たちの決意表明のようなものだった。
 しかし、結果は悲惨なものだった。僕たちのオルナタティブ・オリンピック・プロジェクトが引き起こしたのは、むしろこの2020年の東京大会を誘致した人々やその周辺の人々からの反発だった。プロジェクト参加者のひとりは、この大会の「関係者」にあたる人に直接「こういう新しいことは必要がないのだ」とはっきりと告げられたという。そして、日本の国民たちは2015年の段階ではほぼ、2020年大会には無関心だった。そのコンセプトのなさ、計画の杜撰さはこの時点で既に明らかであったにもかかわらず、それが問題として「シェア」されることはなかった。「シェア」されたのは、どこかの誰かがこのオリンピックで甘い汁を吸っているはずで、目立つ誰かを魔女狩りで引きずり降ろしたいという欲望に駆られたスキャンダルだけだった。結果としてザハ・ハディドをはじめとする幾人かの生贄が差し出された。そしてこの2022年に改めて振り返ると、この時期の追求は本当に不正を働いていた人々の「本丸」にはまったく届いていなかった。この時期に人々が求めていたのは、国民的魔女狩りで連帯するための生贄であり、この二度目の東京オリンピックという存在そのものの醜悪さと空疎さではなかったのだ。それは、かたちばかりの「復興五輪」の題目を掲げるという欺瞞一つとっても明らかであったにもかかわらず、だ。
 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクトは明らかに早すぎた。アテンション・エコノミーに即するのならあのプロジェクトは2015年ではなく、もっと開催に近づいてから、たとえば2020年の開催延期についての議論が行われ始めたころに発表されるべきだった。しかし、それでは実際の東京大会の計画に多少なりとも影響を与えることはできない。そう、判断したのだ。

3.2021年の敗北

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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