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「創造社会」への試みーーケアから民藝へ、民藝からパターン・ランゲージへ(庭の話 #5)

昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第5回目です。3万字ある初回と2回目はいま購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。

1.ケアから民藝へ/民藝からケアへ

 前回は、「ムジナの庭」のアプローチから本連載の提唱する社会の多自然ガーデニングの実践と、その課題について考えた。ここで鍵となるのが人間外の事物の存在だ。「ムジナの庭」における心身のケアでは、「小金井の家」という建築や、その庭の植物を用いた手仕事といった人間と事物の水準で行われるコミュニケーションを、オープンダイアローグや当時者研究といった人間間のコミュニケーションと同等か、あるいはそれ以上に重視する。
 ジャン・ウリのラ・ボルド病院をベンチマークに置く「ムジナの庭」は、ウリの掲げる「コレクティフ」という概念をそのコンセプトに採用する。組織化された集団であるグループの対義語として位置づけられ、バス停でバスを待つ人々の列のような集団である「コレクティフ」を意図的に維持することが「ムジナの庭」でのケアの前提となる。「ムジナの庭」を主宰する鞍田愛希子の夫である哲学者・鞍田崇は「ムジナの庭」の実践を評して、このコレクティフを維持するためにこそ、人の列ではなくバス停という「モノ」や「場所」に力点を置くことにその特徴があると述べる。鞍田崇は民藝の研究者としても知られているが、「ムジナの庭」のユニークな取り組みには、おそらくそこで得られた知見が影響を与えている。

 私が「ムジナの庭」の存在を知ったのも、鞍田崇に現代の民藝についてインタビューを行ったときのことだ。かつて近代化に奔走する当時の国家が半ばでっち上げるように制度化した「美術」と、工業化が市場に吐き出す「製品」との間に、職人たちの手仕事を「民藝」として再発見するーーこの100年前の運動は、半ば官製の美術に対するカウンターカルチャーであり、その運動それ自体の役割は、既に終わったものであるのではないか。私のこの不躾な質問に対し鞍田は半ばその状況認識を認め、しかし民藝のもつ精神性は現代にこそ必要とされているのではないか、と答えた。それでは現代における民藝「的」な事物として機能するものは何か。そう私に尋ねられたとき、鞍田はそれはケアの現場に存在できると答えたのだ。当時、鞍田の妻である鞍田愛希子は「ムジナの庭」を準備中のはずで、これは単なる思いつきや、流行への加担ではなく、鞍田がその妻の実践の中に発見したあるの種の思想的な賭けだったように私には思える。

 前回述べたとおり、鞍田は「モノ」や「場所」といった事物の作用が集団を「グループ」ではなく「コレクティフ」に留めると考える。簡単に復習しよう。鞍田は「コレクティフ」を「たまたま」と意訳する。前提として、おそらく鞍田は人間が集合すると、そこには自動的にグループが発生していくと考えている。ここがサルトルと鞍田のもっとも大きな違いで、それは20世紀の「政治と文学」の時代の人間観と、21世紀の「市場とゲーム」の時代の人間観の差でもあり、社会運動とケアの現場の差であり、そして更に言い換えれば丸山真男的な人間観と、吉本隆明的な人間観の差とも言い替えられるだろう。そして後者の立場から考えたとき、そこに「たまたま」存在している事物が作用すると、結果的にその場に集う人々を「グループ」ではなく「コレクティフ」に留めることがある。そこに多様に存在する庭の植物を用いた多様な手仕事の存在が、人間間の相互評価のゲームからの抜け穴として機能するのだ。
 その事物ーーそれは器かも知れないし、バス停かも知れないし、他の何かかも知れないーーに人が触れるとき、その人の関心はその事物に向けられる。たとえ、その事物の向こう側に、それを作り上げた職人やそれを贈ってくれた家族や友人が強い存在感を放っていたとしても、とりあえずはその事物そのものへの注意と感情が発生する。その結果として、そこには事物のもたらす場が成立する。そこに集まる人々が、共通の目的や思想をもたなくても、そして彼らが組織化されなくても人間をその場所に引きつけ、留まらせる。
 では、この事物が作用する条件とは何かを今回は考えてみたい。先の例えを用いれば事物は「コレクティフ」な状態を生み、維持するために有効なバス停として機能する事物の条件とは何か、それが今回の問いだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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