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これからの公共空間=「庭」の条件とはなにか(『庭の話』#2)

前月から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第2回目です。3万字ある初回はいま購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。

1.3つの条件

「プラットフォーム」を諦める

 プラットフォームから「庭」へ。その可能性を探るのが、この連載の目的だ。プラットフォームとは、具体的に述べればGoogle、Facebook、Twitter、Amazonといった今日のインターネット上の人間間のコミュニケーションの基盤となるサービスのことを指し、そして抽象的に述べればグローバルな市場と情報技術の結託の生み出したこの人類社会全体を覆う閉じたネットワークと、そこで行われる相互評価のゲームに最適化したコミュニケーションの基盤のことだ。そして2010年代を席巻した「動員の革命」以降、このサイバースペースを支配するプラットフォームの影響は実空間にも及び、もはや人類社会の中心はプラットフォーム上の相互評価のゲームにある。その結果として、私たちは事物そのものとのコミュニケーションを半ば忘れ、他のプレイヤーとの承認の交換に夢中になっている。弱い人々はその快楽の中毒になり、そして強い人々はその快楽を用いて弱い者たちを動員するより上位のゲームをプレイして、経済的、政治的な繁栄を目指す。そして下位と上位、どちらのゲームをプレイしていても、事物を用いた人間間のコミュニケーション(どのような解答が他のプレイヤーから評価されるか)だけを考えるようになる。そしてこのゲームにおいては既に多くの人が言及している問題について言及し、かつ既に支配的な意見に対して同調するか、反発するかのコミュニケーションを取ることのインセンティブが強い。そのために、いまプラットフォーム上で行われる相互評価のゲームは、人間の社会から事物そのものへのアプローチと、そこで交換される情報の多様性を排除しているのだ。

サイバースペースと実空間を結び直す

 この連載では、実空間とサイバースペースをともにプラットフォームから解放する方法を考えてみたい。そしてこの二者は、それぞれ単独で存在することはもはや難しく、半ば一体化している。サイバースペースの成立によって、実空間のコミュニケーションは決定的に変化した。目の前の椅子に座っている人間が、地球上のどこの、誰とリアルタイムで通信していても不思議ではない今日において、人間間のコミュニケーションのデザインを実空間だけで考えることに意味はない。人間主義的な立場に立って、ときに(目に涙を浮かべながら)物理的な身体を用いて、膝を突き合わせた対話のみが獲得できるものがあると主張するとき、既に私たちはインターネット上のコミュニケーションでは不可能なものを探し、実空間上のコミュニケーションのアドバンテージを消去法を用いて探してしまっている。それと同じように、もはや今日のサイバースペースはカリフォルニアのギークたちの夢見たもう一つの世界ーーそれは、究極の自由の保証された最後のフロンティアであり、現実世界の影響から独立したオルタナティブな社会の成立し得る場所だったーーではなく、この現実の社会を支えるインフラ以上のものではない。SNS上の相互評価のゲームと金融資本主義、そして民主主義が確実に連動している情況においては、サイバースペースで発生した事物が、実空間と結びつくことなく独自に展開することは難しい。
 したがってサイバースペースと実空間を同時にプラットフォームから解放する方法ではないければ、問題を解決することはできない。そして「それ」が向かうべきビジョンを「庭」の比喩で考えたい。なぜ、「庭」なのか。理由は3つある。まず、「庭」とは人間が人間外の事物とのコミュニケーションを取るための場所だからだ。次に、庭は人間外の事物同士がコミュニケーションを取り、生態系を構築している場所だからだ。そして最後に、人間がその生態系に関与できること/しかし、完全に支配することはできないことだ。これらは同時に、私の考える「庭」の条件でもある。今回は、この3つの条件を順に検討するところからはじめよう。

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13,174字
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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