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イーロン・マスク問題と「庭」のガバナンス( 庭の話 #12)

昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第12回です。過去の連載分は購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。


1.ガバナンスの問題

 プラットフォームから「庭」へ。この連載では、いま私たちに必要な「場所」の条件について考えてきた。プラットフォームは、人間を他の人間と承認を交換することのみを反復し続ける機関に変貌させる(相互評価のゲームによる承認の交換に特化した存在に変貌させる)。今日のグローバルな資本主義と深く結びついたこのゲーム(21世紀のグレート・ゲーム)を解除することは、少なくとも短期的には難しい。このゲームを内破するために、私たちはゲリラ的にプラットフォームの支配力の相対的に及ばない「場所」をプラットフォーム上に、あるいは実空間に構築することが必要なのではないか。それが、私の問題提起だ。そして私はその場所を「庭」の比喩で表現してきた。
 では、この「庭」の条件とは何か。そこは、人間が人間外の事物とコミュニケーションを取る場所でなければならない。そしてこのとき、人間の意志ではなくその場所を訪れることで、受動的に事物に触れてしまう場所でなければならない。このとき「庭」の事物同士は相互にかかわり、独自の生態系を構築していなければいけない。そして私たち人間は、その「庭」を訪れることで自己の存在が世界に影響を与えうることを実感することができるが、決してその場所を支配する(任意に作り変える)ことはできない。ーーこれが、「庭」の条件だ。この「庭」の条件を、これまで私たちはジル・クレマン、エマ・マリス、岸由二、倉田愛希子、鞍田崇、井庭崇、國分功一郎らの議論を参照しつつ、検証してきた。その結果として、そこはナラティブではなくストーリーが働き、メンバーシップではなくパーミッションが人々を承認し、そして非日常ではなく日常の中にあるものではなくてはいけないことを確認してきた。
 そして、今回はこれまでとは変わった角度からこの「庭」の条件を考えてみたい。それはこの「庭」的な場所がどのように運営されるべきか、という問題だ。「庭」のビジョンがまだ手探りの中、なぜその運営について考えるのか、疑問を抱く読者も多いかもしれない。しかし、それは逆だ。その場所がどのように運営されるかという問題を考えることで、手に入れるべきその場所のかたちもより明確になるはずだからだ。

2.A町にて

 2020年の秋のことだ。私は、ある研究会の視察でM県A町を9年ぶりに訪れた。正確には、それはいくつかの「被災地」への視察だった。東日本大震災から、10年が経とうとしていたこの時期は、国の復興予算が来年度から打ち切られることが既に決定していて、多くの自治体が次の10年の戦略を模索していた。私たちの研究会は特に震災復興を意識したものではなかったが、これからの街づくりや環境保護を射程に収めていたために、人づてに接触があり視察に向かったのだ。そのうちの一つがA町だった。私はこのA町に、2011年の6月に友人と個人的に訪れていた。当時はジャーナリストや言論人が、とにかく被災地に足を向けていた。影では平気で他人を陥れたり、保身のためには息を吐くように嘘つく人間が、この災害をソーシャルグッドなセルフブランディングに利用し意気揚々とTwitterに被災地の写真をアップしているのを目にして、吐き気がした。だから自分は誰にも告げずに、そこに向かった。仙台まで新幹線で移動して、タクシーを1日チャーターして、いくつかの街を回った。そこで目にしたことについては、話が脱線しすぎるのでここには記さない。ただA町に隣接するB市でタクシーの運転手から、この街はこの10年、20年ですっかりさびれてしまって津波が来る前から壊滅していたのだという旨のことを言われたことは記しておきたいと思う。続いて訪れた市街地の壊滅したA町は6月の段階でもまだ大量の瓦礫と土砂が残存していて、被災前の姿を想像することはまったく不可能だった。ただひとつ、わかっているのは仮にあのタクシー運転手の言葉が本当なら、この街を「復興」することが正解だとは必ずしも言えないということだ。少なくともそこは、過去よりも多くのものを未来に期待する人間が生きられる場所ではなかったはずだからだ。もし、これらの街々にこれからも人が住み続けるのなら、何らかのかたちで作り変えられなければならない。そう、私は強く思ったのを覚えている。
 そして、それから10年近く経ったその日に私が再訪したA町は、完全に作り変えられていた。A町の駅前は、まるでテーマパークのようにつくりかえられていた。そこは木製の和モダン建築で統一された建物群に飲食店や土産物店、観光案内所などが入居するエリアとして整備されていた(私が知っている中で、いちばん近いのは軽井沢で星野リゾートが運営するハルニレテラスだ)。併設されたエリアにはトレーラーハウスを利用したホテルがあり、私たちはそこに泊まった。トレーラーハウスの中は清潔で快適で、一歩外に出れば海風を感じられるのが良かった。まるで、夢のような場所だと私は感じた。よくも、あの土砂と瓦礫の堆積からここまでの「復興」を遂げたものだと、ため息が出た。しかし引っかかることが2つあった。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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