見出し画像

ナラティブとストーリー、グループとコレクティフ(『庭の話』 #10)

昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第10回です。過去の連載分は購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。

1.「チェックイン」から考える

 個人的に勉強会の類が好きで、よく出席する。オーソドックスな読書会のようなものもあれば、異業種が集まっての意見交換会のようなものもある。ここ数年よく出席しているのは広義の環境問題についての研究会で、そこにはいわゆるクリエイティブ・クラスの人が多くい。情報産業や金融系のビジネスマン、外資系のコンサルタント、ニューエコノミー系の大企業の幹部、社会起業家……といった人々の寄り合い所帯だ。いまでこそ、比較的安定したコミュニティになって取り組みも充実しているが、発足当初は大変だった。
 どのように大変だったのかというと、要するにソーシャルグッドな外見を持つその運動に「いっちょ噛み」したい人がぜひ参加したいと身を乗り出しては最初の1回だけで来なくなる、ということが続いてなかなかメンバーが安定せず持続的な取り組みが進まなかったのだ。
 そしてこの問題が端的に露呈していたのが、その会に存在する「チェックイン」「チェックアウト」という儀式のようなものだった。これは別にこの会の独自の方法ではなく、ビジネスシーンで広く知られているものだ。ワークショップや会議などの話し合いをはじめるとき、そして終えるときに参加者が気持ちを切り替えるために全員が一言ずつ話すのだが、このうち特に「チェックイン」が曲者だった。本来この「チェックイン」では参加にあたっての問題意識とか、意気込みをシェアをするのだが……この会の最初の1年目はとにかくこの「チェックイン」で長々と自慢話をする人が多かった。出版業界人、とくにある世代より上の文壇や論壇やサブカルチャーの関係者(主にTwitterに生息している)が自分より目立っている同業者の悪口を息を吐くように述べる(ことでその場のメンバーシップを確認する)ように、いわゆる「意識高い系」のビジネスマン(主にFacebookに生息している)は息を吐くように自慢話をする。とくにこの会は一見、環境問題を扱うソーシャルグッドな取り組みのように見える(実際は新しい集住のスタイルを多角的に研究、実験するかなりハードなものだ)ために、最初の1年は「いっちょ噛み」したい人たちがとりあえず覗きに来るような感じで殺到してきた。そして、そうして集まってきた彼ら/彼女らは必ずこのチェックインで10分以上自慢話をした。自分が最近、どのような知的でソーシャルグッドな取り組みに参加しているかを、ときには常備しているらしいスライド(もちろんパワーポイントでスタイリッシュに作成されたものだ)を投影しながら説明していった。この人たちは、おそらく本業でそれなりの成果を出して社会的にも経済的にも安定しているはずなのに、どうしてこんなに承認に飢えているのだろう……と思いながら僕は毎回彼ら/彼女らの話を聞き流していた(実質的に無内容なものが多かったので)。そして、あるときひとつの法則に気がついた。こうして現れる「いっちょ噛み」したい人たちは概ね一度きりの出席で、外見とは裏腹にハードな研究開発プロジェクトだと知ると次回から来なくなる。しかしこのうち、10人か20人にひとりくらい、ほんとうに僕たちの活動の「中身」に興味をもつ人がいて、その後も熱心に取り組んでくれるのだが、そんな彼/彼女の「チェックイン」は決してこの種の無内容な自慢話ではなく、適切に自分の専門性と、それがこのプロジェクトにどう接点をもつのかをコンパクトにまとめるもので、そして何より短かった。

「チェックイン」の長い人と短い人の差はどこにあるのか。ここまで連載を追ってきた読者ならばすぐに見当がつくはずだ。「チェックイン」が長い人はその場に集ったメンバー(つまり私たち)から承認されることを目的にしているが、短い人は私たちの研究テーマ、つまりそこにある事物に興味があるのだ。つまり前者は「家庭」のうち「家」に縛られ、後者は「庭」に開かれていると言える。前者は人の眼、後者は虫の眼で世界を見ていると言える。ここで、人間を「家」に「人の眼」に縛り付けているものは何か、というところから今回の議論を始めたい。先に結論を述べてしまうのなら、それはこの「チェックイン」という行為が、人間を物語の「語り手」にしてしまうからだ。

2.「共感すること」と「物語を語ること」

ここから先は

10,929字

¥ 500

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。