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2019年1月の記事一覧
行為と、行為を思惟するシステムーー心の存在を想定する | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は、前回登場した「叙述的共同注意」の概念を掘り下げます。注意の共有自体が目的となるにらめっこの不思議や、「ガチ勢」「エンジョイ勢」の関係性を参考にしながら、これまで紹介してきた「学習説」とは相容れない「遊び」の定義について思考を深めます。
中心をもたない、現象
與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第1回 崩壊というはじまり:1989.1-1990
今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史」の第1回をお届けします。昭和最後の年となった1989年は、奇しくも「昭和天皇の崩御」や「東西冷戦の終結」といった歴史的事件が重なった1年でした。それは、保守革新の両陣営における擬制的な「父」の死と、それにともなう抑圧なき時代ーー「平成」の始まりを告げるものでした。
ツヴァイクの「ダイ・ハード」 「昨日の世界」ということばをご存
【新連載】與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 序文 蒼々たる霧のなかで
今朝のメルマガは、與那覇潤さんによる新連載「平成史」です。昭和のような、誰しもが共通して抱く時代のイメージを、最後まで持ち得なかった「平成」。インターネットという巨大なアーカイブを擁しながら、全体像を見通すことができない、晴れ渡りながら同時に霧が立ち込めたような、奇妙な時代のあり方について考えます。
與那覇潤さんの過去の記事はこちら
【対談】與那覇潤×宇野常寛「鬱の時代」の終わりに――個を超えた
【緊急配信】たかまつなな「お笑いジャーナリスト宣言」(全文無料公開)
今朝のメルマガは、たかまつなさんによる「お笑いジャーナリスト宣言」を全文無料公開でお届けします。お笑い芸人としてテレビで成功するために演じていた「お嬢様ネタ」を封印し、かねてよりやりたかった「社会風刺ネタ」に挑戦することを決めたたかまつさん。2月に単独ライブを開催するにあたり、その決意をここに宣言します。
たかまつななさんの連載記事はこちら
『たかまつななの新米ディレクター月報』
お笑いジャ
〈間〉を埋める西洋と、〈間〉を楽しむ東洋 | 丸若裕俊
工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。今回のテーマは時間性です。西洋の定量的な〈時間〉の概念を、伸縮可能な〈間〉として解釈する茶の思想をもとに、喫茶の文化において来るべき第四の波、フォースウェーブのあり方について考えます。(構成:大内孝子)
【お詫び】本
堤幸彦(8) 『SPEC』(前編)ミステリーから超能力へ | 成馬零一
ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『ケイゾク』の続編として企画された『SPEC』は、ミステリドラマにも関わらず、本物の超能力者が登場します。それは「謎」が存在する世界の終わり、インターネットカルチャーとニューエイジ思想が融合した、10年代の「圧倒的な現実」の投影でもありました。
テレビドラマクロニクル(199
【対談】上妻世海×宇野常寛 『遅いインターネット計画』から『制作』へ(後編)
今朝のメルマガは、文筆家/キュレーターの上妻世海さんと宇野常寛の対談の後編をお届けします。後編は来場者との質疑応答です。対話によって生成される場からは何を持ち帰りうるのか。スケールと距離感から考える新しい都市論の構想。従来的な教養主義がもたらす二項対立を乗り越える〈実践〉のあり方について議論しました。
※本記事は2018年10月27日に青山ブックセンター本店で行われたトークイベントを記事化したもの
宇野常寛「"絆"なんか、いらない――『半沢直樹』でも『あまちゃん』でも"炎上マーケ"でもなく」(PLANETSアーカイブス)
今朝のPLANETSアーカイブスは、「ダ・ヴィンチ」2013年2月号に掲載された、宇野常寛によるメディア論をお届けします。2012年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』『あまちゃん』と、そこに象徴される団塊ジュニア世代のメンタリティを読み解きながら、「テレビの時代」の終わりと、「正しい断絶」に基づいたインターネットの新しい可能性について探ります。
※本記事は2014年2月に配信された記事の再配信です。