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わかおの日記154

それなりに忙しくて(嘘だ、全く忙しくない)、バイトの原稿を2日サボってしまっていたので、今日こそは書こうと思って、甲子園を見ながら原稿をやっていた。ぼくの野球人生とそれに付随する青春みたいなものはあまりにもショボかった。せいぜい彼女が見てる前でヒットを打ったことくらいしかこれといって取り上げるような出来事はなく、ブラスバンドともチアリーダーとも無縁だった。夏の大会でコールド負けをして、トホホ……みたいな顔で親と撮った記念写真がまだキッチンに飾ってあって、麦茶を注ぎにいくたび厭な気持ちになる。

そんなコンプレックスのせいで、地方予選は全く見ることができなかったのだが、甲子園は抵抗なく見られるようになった。さすがに住む世界が違いすぎるから、コンプレックスすら抱かないのかなと思っていたが、色々考えていると、どうやらそういうわけでもないような気がしてきた。

多分ぼくは彼らに勝手にシンパシーを感じている。チーム内の競争に勝ち抜いて背番号をもらったかと思えば地方予選で戦えと言われ、幸運にも地方予選を勝ち抜けたかと思えば甲子園で優勝しなさいと言われる。これはまさに、ぼくの高校時代と一緒ではないか。

選抜クラスに入ったかと思えば共通テストでいい点数を取りなさいと言われ、ゼイゼイ言いながら共通テストでいい点を取ったならば今度は二次試験を頑張りなさいと言われる(まあぼくは二次試験で敗れ去ったんだけど)。そんな競争を乗り切るために、サブスクのプレイリストには己を鼓舞するような曲ばかりが並ぶ。もっとゆるく生きたかったよおれは。

年下とはとても思えない厳つい球児たちの浅黒い顔を見ると、なんとなく競争社会の悲哀を感じるのだ。逆に地方大会の序盤は、高校球児の青春ごっこを見せられているような気がして、嫌な気持ちになる。普通に悔しくなる。

そんな悲しき高校球児たちに感化されて夕方壁当てをやりに行った。投球フォームを動画にとってYouTubeに上げたら、1000回くらい再生されたはいいものの「フォームが……」とか「軸足にタメを作って」みたいなコメントが来て、うるせえなという気持ちになった。

そんなコメントをするようなやつに、おれの悲哀はわかるまい。

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