【書評】『連続革命と毛沢東思想 文化大革命と九全大会以後』菅沼正久[1969] 非実在(永久)革命論

菅沼正久[1969]『連続革命と毛沢東思想』三一書房.

評価:☆★★★★

 いきなり冒頭から、

 いうまでもなく、中国のプロレタリア文化大革命は、中国人民自身が闘った革命である。中国では、この革命は「毛主席がみずから起こし、みずから指導した革命である」といわれている。

[菅沼,1969:p.7]

という文章で始まる、1969年7月15日発行の文化大革命礼賛本である。新左翼系の理論書を取り揃えていた三一新書(三一書房)の一冊だ。
 著者の菅沼正久の当時の肩書は、奥付によれば、本州大学助教授、協同組合経営研究所研究員、中国研究所所員。親中派の御用学者によるプロパガンダ本と言ってしまえばそれまでだし、実際、それ以上の広がりがあるような内容の本でもない。「当時の日本で、文化大革命がどう受け止められていたかを検証する」というものすごく限定的な目的がない限り、今日、この手の本を読み返す意義は何もないだろう。
 いや、本多勝一、平岡正明、太田竜、津村喬などのルポライターやイデオローグが文化大革命の影響下で書いた著書であれば、現在でもなお、批判のためだとしても読み返されるべき価値はあるだろう(まあ、本多はいいか?)。だが、彼らと比べても、単に中国の「広報係」のような役割を担ったに過ぎない菅沼のような研究者は、小物にして、死物だ。そして、言うまでもなく、「小物にして死物」の広報係は、菅沼以外にも、歴史のクズ箱の下の方にいくらでも押し込まれているのだから、その中から菅沼の著書を特別取り上げる理由は、ますます何もないということになりそうである。

 あえて、この何の取り柄もない「死物」を足がかりに、「革命」をめぐる問題系を読み解いてみよう。

 私が菅沼正久という人物に関心を持ったきっかけは、『現代の眼』1971年9月号(9月1日発行)、「中国−革命と現在」特集を読んだことだった。これまた歴史のクズ箱に放り込まれていた総会屋雑誌のバックナンバーを、何年か前、古本屋の均一コーナーからレスキューしたのである(200円だった)。新島淳良vs岩田弘、竹内実vs津村喬、山下龍三vs湯浅赳男、等々、なかなか読み応えのある対談がいくつも収録された一冊だったが、その中に、菅沼と太田竜の対談[菅沼&太田,1971]も入っていた。
 太田竜――トロツキズム、アイヌ革命論、エコロジー、ユダヤ陰謀論、と、生涯を通じて知のアンダーグラウンドを駆け抜けた太田の思想について、識者が深く論じようとすれば本一冊あっても足りないだろう。1971年時点で、太田は、下層労働者や少数民族、被爆者や障害者など、従来の革命派から無視されてきたマイノリティに立脚する、「窮民革命論」等と呼ばれる革命思想を確立しつつあった。
 対談の日付は6月12日で、この時点では太田は、すでにマルクス主義を否定しながらも、まだマルクスや毛沢東を部分的には評価している。だが、同年12月15日発行の主著『辺境最深部に向って退却せよ!』では、太田は、毛沢東と完全に決別し、文革について次のように喝破することとなる。

毛は、劉少奇の打倒のために「文化大革命」と称する茶番劇を演じた。彼は「実権派官僚」に対する「下層労働者、貧農の闘争」――彼らの闘いは「茶番」ではなくて真剣である――を発動した。そしてこの闘争が、一国社会主義建設の基調そのものの打倒へ、[…]周恩来そのものの打倒へと発展し、「人民解放軍」そのものの打倒へと向いはじめたとき、毛沢東はカジを右へ向けた。

[太田,1971:pp.93-4]

 つまり、世界革命という目的を棄て去り、米中ソ3国による世界支配の体制を確立するため、反革命・毛沢東は、下層労働者や貧農の、主観的には真剣な闘争を使い捨てにしたのだ――という認識である。数ヶ月以内にこのような認識を持つに至る太田が、素朴な親中派でしかない菅沼と対談して、まともに話が噛み合うはずもない。
 対談のタイトルは、「永久革命としての中国革命」。「評論家」の肩書で登場した太田は、「中国研究者」菅沼に、まず、中国の永久革命について、次のように問題提起する(要約)。

 中華民国、中華人民共和国は、漢族が作った秦・漢帝国の継承者である。少数被圧迫民族や辺境地帯の民族から見れば、漢族は、文明の体系を自分たちに押し付ける征服者・支配者である。ぼくは、永久革命としての中国革命の出発点を、秦帝国ができる前の戦国時代に求める。辛亥革命やペトログラード蜂起に始まる世界的激動は、そうした永久革命の今日的表現として位置づけられると思う。

要約[菅沼&太田,1971:pp.82-83]

 ――中国国内のジェノサイドの実態など知られていなかった時期のものとしては、驚くほど鋭い見解ではある。マルクス・レーニン主義とは全く相容れない壮大な歴史観をいきなり開示され、菅沼は面食らったことだろう。菅沼は、丁寧な口調で太田に反論する(要約)。

 辛亥革命は、清朝の封建支配に対して漢民族が闘うようにみえても、内容的にはブルジョア民主主義革命である。ロシア10月革命に影響を受けた1919年の5・4運動以降、革命の舞台に中国プロレタリア階級が登場した。太平天国や辛亥革命に革命の出発点を求め、革命の課題を『排満興漢』と考えると、清朝の支配を廃止し、漢民族の支配を打ち立てることが革命の到達点となってしまう。毛沢東が提唱したように、5・4運動を連続革命の出発点と考えれば、革命の到達点は、帝国主義を打ち破り封建階級を打倒し、長い年月をかけて共産主義社会を打ち立てることにある、ということになる。

要約[同書:pp.83-84]

 とまあ、あまり返答になっていない返答である。太田が要するに何を言おうとしているのか、菅沼が全く理解していないことがよくわかる。
 その後も、ブルジョア民主主義革命と農奴、マルクス主義革命における農奴や黒人の地位、自然科学の発展による自然破壊、世界革命より自国の国益を優先させる中国の反革命性、などについて太田が一方的に自説を展開し、それを全く理解できない菅沼がマルクス・レーニン主義の公式に則って「論破」する、という形で対談は進んでいく。口調こそ穏やかだが、互いに歩み寄る姿勢は全くなし。話は全く噛み合わない。
 時代を先取りしてマイノリティやエコロジーや「偽史」に着目したという意味で、良くも悪くも、圧倒的に現代性があるのは太田の方だろう。だが、面白いことに、表面上の印象だけで言えば、論争に圧倒的に勝利しているのは菅沼の方である。確固たる教条を持つ側の強みと、率先して体系的な思想を放棄しようとする側の弱みが露呈した対談、ということになるだろうか(ついでに書くが、太田の思想は、内容の「正しさ」で評価すべきものではない)。同時にこの対談は、この時点で、菅沼のような「広報係」の研究者にとって、少数民族やエコロジーをめぐる問題がいかに縁遠かったかを示す一次資料ということにもなるだろう。
 『毛沢東語録』に言わせれば、

民族闘争は、結局のところ、階級闘争の問題である。

[中嶋,1973:p.17]

というわけだ。

 当然、1969年発行の『連続革命と毛沢東思想』でも、民族問題は一切取り上げられていない。
 1969年4月の九全大会(中国共産党第九回全国代表大会)までの文革の流れを、著者の訪中体験を織り交ぜながら概説した新書――本書は、それ以上でもそれ以下でもない。ソースは全て、『人民日報』や『紅旗』などの大本営発表だ。劉少奇路線の実権派がいかに悪いやつらで、毛沢東路線がいかにマルクス主義的に正しくて、労働者や農民がいかに主体的に闘争を闘っていて、文化大革命がいかに勝利しつつあるか、200ページ以上に渡って噛んで含めるように説明されていく。今日の普通の読書人からすれば、「死物」を通り越して、どこか別の星の言葉で書かれた文章のように思えるかもしれない。
 あえてそこから著者独自の視点らしきものを読み取るなら、題名のとおり、文革の「連続革命」としての側面を強調したこと、となるだろう。当然そこには、トロツキズムへの目配せがあったはずである。
 すわ、マオイズムとトロツキズムの止揚!?
 と、私が古本屋で本書を手に取ったのも、思想的アクロバットを予感させる題名に吸い寄せられたからだった。著者名には見覚えがあった。おっ、太田竜の対談相手じゃん! もちろん私はレジへ直行し(100円だった)、ドキドキしながらページをめくった。
 しかし、めくれどもめくれども、現れるのは凡庸なプロパガンダばかり。「連続革命」論について解説する第1章にも、トロツキーの名は一切登場しない。少しくらい触れておかなければまずいと思ったのか、ようやく、本の最後の方に、次のような記述が現れるだけだ。

資本の労働支配が一国体制の形態を伴っていることによって、その覆滅はまず一国社会主義革命として着手される以外に方法はない。このことがトロツキズムとレーニン主義の相異である。資本の労働支配が本質において世界体制であることによって、その最後的な覆滅は世界社会主義革命として達成される以外には方法はない。これが毛沢東思想と現代修正主義の相異である。

[菅沼,1969:p.213]

 情けないほど単純な議論である。
 ちなみに本書には、スターリンの名も(裏表紙以外には)登場しない。呪われたスターリニズムがマオイズムに継承されている事実は、文革の「新しさ」を強調したい親中派にとって、なるべく触れたくないタブーだったのだろう。連続革命というトロツキズム的キーワードをあえて強調するのは、スターリニズムと毛沢東思想の差異を際立たせるための戦略でもあったはずだ。ただし、トロツキズムと毛沢東思想の差異を際立たせるためには、それは「永続(永久)革命」であってはならなかった。
 プロパガンダとしては当然かもしれないが、本書でも、「何がどう書かれているか」ということより、むしろ「何がどう書かれていないか」ということの方が雄弁とも言える。毛沢東思想は世界革命を達成する――よって、修正主義ではない。毛沢東思想は連続革命論を継承する――よって、スターリニズムではない。毛沢東思想は一国社会主義革命に着手する――よって、トロツキズムではない。また、これは意図的にその思想を抹消したのではなく、本当にそうした問題意識がなかったということだろうが――毛沢東思想はマイノリティ革命の思想でもない。
 さながら否定神学だ。

 ここで少し、「連続革命」という言葉について補足しておこう。
 「連続革命」「永続革命」「永久革命」は、いずれもPermanent Revolutionの訳語である。
 今日、一般的なのは「永続革命」。「連続革命」という言葉はややマイナーで、トロツキズム用語としてはまず使われない。かつて広く使われた「永久革命」はほぼ誤訳なのだろうが、本来のマルクス主義的な意味から外れた、独特の「文学的」ニュアンスで用いられることも多い日本語だ。
 Permanent Revolutionの中国語訳は「不断革命」。この言葉は毛沢東によって独特の意味で用いられている。また、毛沢東の提唱する「継続革命」(英訳:Continuous Revolution)は、文脈によって「不断革命」と同一視される。
 本書で言う「連続革命」は、「不断革命」としての「継続革命」のことである。
 ああ、ややこしい。
 本書のフィナーレを飾るのは九全大会だが、そこで採択された中国共産党規約では、社会主義社会の矛盾は「不断革命」によってのみ解決される、と宣言されている。この「不断革命」は「継続革命」の意味である。毛沢東の「継続革命」をマルクスの「連続革命」論によって理論的に正当化することは、当時、実にタイムリーだったわけだ。
 なお、「継続革命」「不断革命」については、谷川真一[2020]の論文「陰謀論としての継続革命論、そして文化大革命」を参照されたい。

 もう一つ、菅沼に独自の視点らしきものがあるとすれば、農民をプロレタリアートとして扱うための理論を構築しようとしたことだろう。要約すれば次の通り。

 エンゲルスによれば、資本主義的工業は、農業から相対的に独立している。よって、工業生産は任意に配置できる。社会主義社会では、工業を農村全体に定着させることができる。人民公社は、毛沢東路線のもと、工業労働と農業労働の分業を揚棄する組織形態である。

要約[菅沼,1969:pp.46-50]

 よって、実質的にプロレタリアートとみなせる農民もいる、というわけである。よって――毛沢東思想は、農民革命の思想でもない。
 文化大革命が貧農の闘争だったことを、マルクス主義からの逸脱として肯定的に評価した太田竜とは対称的である。
 なお、「事実上のプロレタリアートとしての農民」という菅沼の論文上の命題について、マルクス経済学者・副島種典[1968:p.3]が批判している(のをネット検索して知った)。中国学者・加々美光行[2006:p.32]によれば、文革当時、親中派の菅沼や山内一男は、中国批判派の〈岡稔や副島種典との理論闘争を意識した相当程度に精密な論争を展開していた〉らしい。
 ただし、加々美によれば、その論争では、中国国内の論議は〈学問上のディシプリンとしてではなく、論争のための素材として扱われる傾向が顕著だった。中国のマルクス主義者との相互対等の理論論争に期待するところは全くなかったのである。〉[同書:p.32]
 加々美は、〈日本に比べ中国の水準を低く見る定見〉がそこに働いていたと批判する[同書:p.32]が、当然それは、好意的誤認ということでもあるだろう。

 結局、文化大革命とは何だったのか?
 と、これは少し大雑把すぎる質問だが、私は、当時の西側にとってのそれを、ずばり一言で言い表せると思う。すなわち――
 文化大革命とは、「ある」ものだったのだ。
 具体的にどういうものなのか、何が起こっているのか、言葉を尽くしても結局説明することはできないが、ともかくも厳然としてそこに「ある」革命。事実として中国で闘われており、物理的現実として「ある」ことを認めないわけにいかない革命。文革とは、同時代的には、おそらくそうしたものだったのだろう。
 それは、「ある」ということによって世界に地殻変動をもたらした。あらゆる立場から、そこには幻想が投影された。ある者にとっては、それは現に闘われているマルクス主義革命だっただろうし、ある者にとっては、「あらかじめ裏切られた」反マルクス的革命だっただろう。そしてそれは、どれだけ理論を重ねて肯定しようとしても、結局最終的には、理論よりも、それが「ある」のだということを根拠として肯定することになるような革命だったはずである。マクルーハン風に言えば、「始めちゃったから、このまま行きましょうか」というわけだ[マクルーハン&フィオーレ,2015:p.47]。
 これはむしろ、保守的な現状追認のようにも思えるメンタリティだ。逆説的に言えば、革命派を「保守派」へと逆転させる魔力こそ、革命には欠かせないのかもしれない。
 そして、更に逆説を言うこともできるだろう――ひょっとすると、そのような魔力こそが、かつてマオイストやトロツキストによって「連続(/永続/永久)革命」の名で語られたものだったのではないか、と。
 「ある」ということ、すなわち革命の事実性、あるいは物質性。それは、かつてスターリニストの強みでもあっただろうし、トロツキストにとっての相対的な弱みでもあっただろう。だからこそ、トロツキーは、いかに強くスターリンを否定しても、最終的に「堕落した労働者国家」を否定することはできなかった。腐っても鯛、堕落しても労働者国家。永続革命は、トロツキズムを媒介として、ソヴィエト・ロシアによって独占されていく。あるいは、文革を媒介として、中国によって。
 当然、ある種のトロツキストたちは、文革という、永続革命のように見えなくもない現象をトロツキズムへと接続する回路を欲しただろう。あるいは、転向すら促されたかもしれない。菅沼の著書のようにトロツキーが「密輸」されるのは必然だ。
 今日の我々は、かつてそこに「ある」と思われていた革命が実際には「なかった」ことを知っている。いや、「なかった」どころか、そこには、ありきたりな権力闘争、ありきたりな内戦、そしてありきたりな虐殺が確かに「あった」。かつて、文革が、現に「ある」ということによって肯定されたのを裏返すかのように、今日、それは「あった」ことによって全否定されている。
 実際に「あった」最悪の出来事には一切目を向けようとせず、「なかった」革命を「ある」という前提で礼賛するプロパガンダは、今日から見れば滑稽でグロテスクだ。当然そこから、「人は信じたいものだけを信じてしまうものだ。現代人も、目に入る情報を鵜呑みにするのではなく、一旦は疑ってみるべきだ」という、それ自体としては正しいが、常識的すぎて何も語っていないに等しい結論を導くこともできるだろう(陰謀論者も反陰謀論者も、この常識論に全面的に賛同するだろう点では全く同じである)。
 しかし、次のように問題をたてることもできるはずだ。
 革命にとって、「ある」とはどういうことなのか?
 かつて、「なかった」はずの文革は、「ある」かのように思われることで世界に衝撃を与え、大きな影響をもたらした。それは果たして、単純に「なかった」と呼べることなのか?
 かつて中国国外へと輸出され、日本の書店にも並んでいた凡庸なプロパガンダ――今でも古本屋の片隅で埃をかぶりながら「ある」のを見かけることがある死物たち。そこから読み取るべきなのは、文革が、実際に「ある」ことではなく、「ある」と思われることによってこそ進行した革命だったということだろう。「ある」ことではなく、「ある」と信じられることの方が重要であるような側面が、革命というものには、確かにあるのである。それは、現実にどれほど悲惨なことが起こっていようと、どれほど建前と現実が乖離していようと、「ある」と信じられている限り、革命が革命であることに変わりはない、ということでもある。
 ところで、菅沼の著書には、そのような「ある」ことをめぐる問題系を論じているようにも読める箇所がある。
 〈中国における社会主義の分岐は、”社会主義になった”という制度と形態の側面をとらえるか、制度の内容をなす陰惨な格差の構造の側面をとらえるか、に発したと思う〉と菅沼は書く。〈いま軽々しくは断定すべきではないかも知れないが〉と一応は留保しているが、当然、菅沼にとって、前者が劉少奇路線、後者が毛沢東路線というわけだ[菅沼,1969:pp.14-15]。〈制度と形態〉が「ある」ように思えるからと言って、軽々しく信じるべきではない――と、ここには書いてあるように読めなくもない。「連続革命論としての毛沢東思想」のインパクトとは、そうしたものだったはずである。
 そして、先に述べたとおり、「革命に対する革命」をこのように「革命」の内部へと取り込んでしまうことこそが、革命派を現状追認派へと逆転させる「連続革命」の魔力なのだ。
 当然、読者は即座に次のように批判できるだろう――自分だって、当局の言い分を鵜呑みにして、「”文革になった”という制度と形態の側面」しか見ようとしていないではないか。
 自分だって、「文革の内容をなす陰惨な実態の側面」を見ようとしていないではないか。
 まあ、大躍進政策や文革の実態があそこまでひどいと分からなかったことは、時代的な制約ということで仕方がないかもしれない。が、都合の悪い情報が隠されている可能性をほんの少しでも考えようとしないばかりか、率先してプロパガンダの拡散に加担したとなれば、もはや、「あの時代は仕方がなかった」などといって弁解できる範疇を超えている――と、菅沼ら親中派を批判することは、あまりにも簡単なことである。ただ、このようなプロパガンダから、社会変革の意志を持つはずの者が、国家機関の「広報係」へと転化していくメカニズムを読み取ることくらいはできるだろう。
 大躍進政策が深刻な飢餓をもたらしたことは、当然、本書では、自然災害とソ連の援助の打ち切りのせいということになっている。菅沼は渋々ながら、このような経済困難のもとでは、劉少奇による市場経済の導入に説得力があったことを認めている。だが、それは、地主や富農やブルジョア階級出身者の君臨を許す反社会主義的政策だ――と批判する菅沼は、しかし、それではどうするべきだったのかは書かない。[同書:pp.15-18]
 ということは、導かれる結論は一つ――
 たとえ人民が何億人死のうと、毛沢東路線を突き進むべきだった、ということである。
 どれほど多大な犠牲を払ってでも、革命をやり続けるべきだ――というのも、一つの立場ではあるだろう。実際、核戦争の脅威のもと、「原爆は張子の虎である」と言ってのける毛沢東思想の「ラディカル」なインパクトとは、要するにそうしたところにあったはずである。
 だが、なぜ革命をやり続けなければならないのか、理由を説明するために、菅沼のような親中派は、ただ、当局が言うとおりの「事実」を提示することしかできない。劉少奇路線のもと、労働者や農民が苦しめられてきたという「事実」。毛沢東路線のもとで労働者や農民が主体的に闘い、解放されつつある「事実」。そのような「事実」が「ある(あった)」のだということ。
 だが、菅沼個人の本意がどうあれ、菅沼が書いたことを突き詰めるなら、本当は、そんな「事実」はどうでも良いはずなのだ。労働者や農民がどれだけ抑圧されようと、人民がどれだけ餓死しようと、少数民族がどれだけ虐殺されようと、革命党がどれだけ嘘を並べようと、革命という大義に照らせば、そんな事実は大した問題ではないはずなのである。
 しかし、毛沢東派の嘘に踊らされるお人好しの菅沼には、そんなことは書けなかった。
 その結果、革命の是非は、単に、中国当局の主張が本当かどうかという問題へと還元されることとなる。そして、すべてが嘘だったと明らかになった時、革命は幻のように消え去り、みじめな現実だけが残される。
 これはまさしく、現代という時代の特徴だ。文革もソ連も地球上から消え去り、せいぜい、自分では左翼のつもりでいる社民やリバタリアンが幅を利かせる現代――世界革命が可能だなどと、誰に信じられるだろう。
 革命は可能だ、と信じることができた時代のプロパガンダが、どんなに稚拙で凡庸なものであっても、ちょっとした羨ましさを感じさせることは事実である(どんなに優れた現代詩だって、革命を伝えるボロボロのビラ一枚ほどは感動させてくれないだろう)。かつて、革命派は文革が「ある」ことを知っていたし、レーニンが革命によって建設したソ連という国家が「ある」ことも知っていた。今日、我々は何が「ある」ことを知っているだろう。
 ロシアとウクライナの軍事衝突か、ハマスとイスラエルの衝突か、それとも北朝鮮の核開発か。確かに我々は、それらが実際に「ある」ことを知っている。だが、「世界を揺るがす」これらの出来事が、現代社会のあり方を、根底から革命的に覆したりはしないであろうこともまた、我々は知っているはずだ(「戦争」とは、それ自体では、「平和」と表裏をなす既成秩序の一側面に過ぎない)。
 現代世界は、常に「世界を揺るがす」出来事で敷き詰められている。常に何事かに「揺るがされている」ことこそが、世界をこのようにあり続けさせるための欠かせない要因だ。「革命に対する革命」が「革命」の内部に取り込まれるかのように、「世界を揺るがす出来事」もまた、現代社会の内部へと取り込まれている。我々はむしろ、「世界を揺るがす出来事」についての膨大な量の情報を通じて、それらが本当に世界を揺るがすのだと信じるよう、促されているのである。
 このような社会において、何事かが「ある」のだと信じることは、力を持ち得ないどころか、世界を変わらずこのようにあり続けさせるための安全弁ですらあるだろう。
 しかし、革命にとっての希望を、次のように逆説的に語ることもできるはずである。
 ひょっとすると、希望はむしろ、「ある」かのように思えることが実際には「ない」のだということを――つまり、この世界には革命的なものなど何も「ない」のだということを、我々が現に知っていることなのではないか?

参考文献

 URLの最終閲覧日はすべて2024年4月27日。

  • 太田竜[1971]「中国――革命と反革命――」,太田竜『辺境最深部に向って退却せよ!』pp.88-100,三一書房.

  • 加々美光行[2006]「現代中国学原論」,『現代中国学方法論とその文化的視角[方法論・文化篇]』pp.5-37,愛知大学国際中国学研究センター,<https://iccs.aichi-u.ac.jp/database/report/iccs-symposium/sym-6/entry-2882.html>.

  • 菅沼正久[1969]『連続革命と毛沢東思想』三一書房.

  • 菅沼正久&太田竜[1971]「永久革命としての中国革命」,『現代の眼』12(9),pp.82-98,現代評論社.

  • 副島種典[1968]「社会主義社会の過渡的性格」,『社会主義経済学会会報』1968(7),pp.2-3,比較経済体制学会,<https://doi.org/10.5760/jjce1967.1968.2>.

  • 谷川真一[2020]「陰謀論としての継続革命論、そして文化大革命」,石川禎浩(編)『毛沢東に関する人文学的研究 : 京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センター研究報告』pp.275-302,京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センター,<http://hdl.handle.net/2433/269090>.

  • 中嶋嶺雄(訳)[1973]『毛沢東語録』講談社.

  • マクルーハン,マーシャル&フィオーレ,クエンティン[2015]『メディアはマッサージである 影響の目録』門林岳史(訳),河出書房新社.

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