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私が退職・移住を決意した背景(思考の変化)

皆さん、こんにちは。まいの〜です。

さて、今回はタイトルにもある通り、2022年7月に、新卒から8年間勤めた会社を退職し、広島県尾道市に移住をしました。その決断に至った背景、主に考え方の変化について記したいと思います。

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サマリー

順風満帆に歩んでいた事務系会社員が、コロナ禍×異動により、自分がしたい仕事とは?を考えるように。自分の中での5つの思考の変化により、退職・転職・移住を決意・実施。
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 私は大手メーカーに勤めていた。給料も満足していたし、同僚との関係はうまくいっていた。直近も会社の中枢となるような、やりがいのある仕事をしていた。入社9年目となると、会社では中堅社員の部類に片足つっこむ立ち位置で、もうすぐ期央予算が決まるなとか、来期の予算考えなきゃとか、会社の動くスケジュールもなんとなくわかっていて、自然と手も動いている。これだけ聞くと、一見、何が不満なの?と思われるだろう。ただ、自分の置かれている環境での日々の積み重ねによって、私の感覚に違和感を覚えるようになった。

 私は21年4月から今の部署に異動してきた。営業から、本社へ異動し、担当ブランドの営業戦略を考える部署へ配属になった。希望の部署ではなかったし、何をやる部署かもわかっていなかった。ただ、業務の与えるインパクトは全社的に大きいことくらいはわかっていた。実際、仕事を始めてみると、予算のボリューム、関与者の多さなどから、自分の仕事の大きさ・責任の重さを実感した。営業経験しかない私は、日々自分の未熟さを痛感しながら、がむしゃらに仕事に取り組んでいた。
 
 そんな中、異動して初めての長期休暇。お盆休みだ。長期休暇には必ず実家に帰省していたが、コロナにより帰省を我慢していた。ただ、お盆休みは、コロナも比較的収まっており、1年半ぶりの実家帰省となった。
 東京から離れ、新幹線から降り立った駅のホーム、実家に帰るまでの山道、実家での生活リズム、美味しいご飯。私は、日々自分の重責からくる、ピンと張った糸がプツンと切れた。「こっちに戻りたい」という想いが急に込み上げてきた。
 高校卒業してすぐ東京へ上京。定期的に実家に帰っていて、いつも実家にはいいな〜なんて思っていたけど、このときの感覚は自分の中でも違っていた。

 多忙な日々を過ごしているからこそ現実逃避的な感じかと冷静になって思ったが、ふとした時に浮かんだその想いこそが、きっと自分の素直な願いだったのだろう。

 今まで自分は、比較的順風満帆な人生を歩んできており、なされるがまま状態で、そこまで自分の意思がなかった。大手企業に勤めて、目の前の仕事を一生懸命やるスタイルが自分の中では当然だと思っていた。しかし、考えてみると、上記のスタイルは受け身な考え方でありと思い、本当にそれで良いのだろうかと疑念がわいた。

 今の仕事は、何が嫌で、どうありたいのかを考えるようになった。その考えの対象は、”仕事”だけでなく、”暮らし”や”人間関係”などライフスタイルを構成する要素にまで広がっていった。自分なりに整理した考え方は以下の通りだ。

1.仕事=ファイナンスと割り切らない

2.受動的なキャリアではなく、能動的なキャリアを描く

3.今後のライフイベントを考慮した先へ移住する

4.自然・産物を取り入れた暮らしをする

5.地域での人間関係を築き、価値観の循環をよくする

以下、詳細を記すこととする。

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5つの思考の変化

1.仕事=ファイナンスと割り切らない

 今までの自分は、生きるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには仕事が必要、そのためには目の前の仕事を懸命にこなすことが当然と思っていた。つまりは、仕事を金稼ぎ(ファイナンス)の要素とし、その仕事内容には自分の意思をこめないと割り切っていた。私の勤めていた会社の場合、異動はタイミングであり、自分でコントロールできない。つまりは、希望でない仕事をしなければならない可能性も大いにある。

 一日の大半を占める仕事を、ファイナンスとして割り切ってしまうのは、人生の満足度的に勿体無いことに気づいた。もちろんお金は必要だが、私にとっての仕事は、ファイナンス要素だけでなく、自分が貢献できている・役に立っているという自己効力感と、自分が楽しい・勉強したいという意欲を取り入れていきたいと変わった。

2.受動的なキャリアではなく、能動的なキャリアを描く

 1のことを受けて、自分の特性を見つめなおした。自分の強みは何か、どういうときにストレスを感じ、喜びを感じるのか、徹底的に「自分とは?」と考えた結果、自分が挑戦してみたいことが見つかった。そうなると、今の会社では、自分から手をあげる公募制度もあるが、どうしても希望通りにはいかず受動的なキャリアになってしまう可能性が高い。「やらない後悔よりも、やった後悔を選択したい」…自発的にキャリアや働く場所を選択することが自分の中での納得感・満足感につながると判断した。

3.今後のライフイベントを考慮した先へ移住する

 高校卒業から約13年間の東京暮らしを通し、私は一度も東京で子育てをするイメージがつかなかった。13年間住んできた結果、私の中で、東京は働く場所であり、暮らしを育む場所とならなかった。人の流動が激しい東京という地で、忙しなく働いていると、どうしてもリセットできる居場所が私には必要だった。そのため、東京で疲弊した心をリセットできる場所=故郷があることは、大変助かった。私の実体験をもとに、今後自分の子供が生まれたとき、故郷を作ってあげたいと強く想うようになった。どこに移住をするかと考えていると、やはり自分の生まれ故郷が真っ先に思い浮かんだ。自分の両親に近いほうが何かとサポートも受けやすく、自分としても負担が軽くなると考え、地元に近いエリアへの移住を決断した。

4.自然・産物を取り入れた暮らしをする

 私の家族はアウトドアが好きで、幼少・学生時代はよく海や山へ行ったし、父の仕事の関係で、農家さんから農作物をもらって、食べていた。当たり前だと思っていた実家での暮らしは、東京では簡単に手に入らない暮らしなんだと思うようになった。幼少期に味わった、自然とのつながり、地物野菜・産物を日常生活に取り入れることは、私の理想の暮らしとなり、原点回帰的な思想になった。

5.地域での人間関係を築き、価値観の循環をよくする

 東京での暮らしは、平日は職場と家の行き来のみ。休日も旧友にあったりするものの、基本的には一人で活動的に過ごすことが多かった。特段、不満はなかったが、なんとなく閉鎖的な人間関係だなと思っていた。

 自分が住んでいたのは、東京都北区赤羽。飲み屋が多く、下町感あふれる街。私は赤羽が大好きだったが、赤羽に住んでいる意義を見出すことができなかった。なぜなら、街との繋がりを持っていなかったことが原因だと捉えている。赤羽の人との出会い、街の行事ごとへの関わりなどなく、「赤羽」に暮らしているという実感が自分の中で沸いていなかった。

 その経験から、私は、”自分が暮らしているんだ”と実感がわく場所へ移住したいと思うようになった。街を歩けば、知り合いに会う。会いたいからお店に行く。職場・家族以外の人間関係ができることで、新しい価値観に触れることができる。今の私の気持ちとして、暮している地域の色んな人に出会い、自分の交友関係の幅を広げることで、自分の中で価値観の循環をよくしたい。そして、最終的には、自分もその地域を構成している一員になりたいと思うようになった。

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 長くなりましたが、私の中での考え方の変化をまとめてみました。このように変わっていった背景としては、コロナ禍が一番影響していると思っています。コロナ禍によって、リモートワークが普及し、私もリモート勤務可能となりました。私自身も営業から本社内勤へと異動し、私の働き方も変わっていきました。その結果、自分の仕事に疑問をもつようになりました。仕事のみならず、暮らしを見つめなおすきっかけにもなり、貴重な経験となりました。

 フルリモートOKの職種はまだ少ないかもしれませんが、以前に比べて格段と範囲が広くなりました。現に、私もただの事務系会社員ですが、フルリモート可能な企業へ転職できました。好きな場所に住みながら、働くことができます。

 この記事をご覧いただきありがとうございます。この記事を読んで、自分の暮らしを見つめなおすきっかけとなれば嬉しいです。良かったらイイねやコメントやフォロー何卒よろしくお願いいたします。

まいの〜。

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