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愛子天皇 嫡流継承の伝統
1 一夫多妻制度の「皇室典範」は日本の恥(1)「皇室典範」とは?
日本国憲法と皇室典範の「皇位の世襲と継承」に関する規定は下記。
(2)皇室典範:第一の特徴
(3)皇室典範:第二の特徴
(4)創ったのは、このワシじゃ、伊藤博文だよ。
(5)現行「皇室典範」の皇位継承
大川清 古代のかわら
序 本書は教養文庫の一冊『かわらの美j と題して社会思想社よりいくたびか版を重ねたものであったが、刊行後三十年を経過すると古書扱いを受け、いつしか重版を絶たれたのである。しかし、しきりとその重版の要望を聴くにつけ、若干の補訂の後、上梓のはこびにもってゆきたいむねを社会思想社に相談すると共にたまたま古稀を迎えるにあたり記念銘のひとつにもなればと思い、旧著を補訂して『古代のかわら』と改題して上梓す
『魏志』東夷伝ー高句麗伝ー
『魏志』東夷伝 高句麗伝「高句麗はこの城を幘溝漊(さくこうろう)と呼ぶ。「溝漊」=「句麗」で、城を意味する」
【原文】『魏志』東夷伝高句麗伝
高句麗在遼東之東千里、南與朝鮮・濊貊・東與沃沮、北與夫餘接。都於丸都之下。方可二千里。戸三萬。多大山深谷、無原澤。随山谷以為居。食澗水。無良田、雖力佃作、不足以實口腹。其俗節食。好治宮室。於所居之左右立大屋、祭鬼神。又祠靈(れい)星(せい)・社稷(し
超巨大地震と城柵官衙の時代(下)
入間郡正倉神火事件と出雲伊波比神社
【はじめに】「開発・発展史観」という現代病
「鶴ヶ島町史」通史編第四節の「渡来人の安置と優遇」には、渡来人の移動・配置ついて、「遠く畿内から離れた東山道や東海道の未開・後進の閑地に移住させ、彼らを有力な労働源とすることによって、東国開拓に従事させることにしたのであった」としている。これが「開発・発展史脳」というべき視点である。この通史の編纂期間は1978