遊古疑考俱楽部

固体物理学・経済学・哲学・歴史学/日本古代史から近代史まで。参考書Karl Marx『…

遊古疑考俱楽部

固体物理学・経済学・哲学・歴史学/日本古代史から近代史まで。参考書Karl Marx『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(人間は、おのれ自身で歴史を作るが、自由に好き勝手に夢想しつくるのではなく、目の前の入れやすい材料、むかしから受け継いだものからつくるのだ)

記事一覧

古代史の謎を解く女影遺跡:金泥古瓦と五芒星土器の発見

1 「五芒星墨書・刻書土器」の出土遺跡(1)群馬県「上野国分僧寺・尼寺中間地点遺跡」刻書土器 (2)群馬県前橋市「元総社蒼海遺跡群」 (3)群馬県・新田郡新田町…

高麗神社と日本会議の研究

📖日本会議1 埼玉県の統一教会と日本会議(1)埼玉県統一教会支部 (2)日本会議埼玉県支部 2 「日本会議」本部の動静………令和6年01月10日現在……… …………

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愛子天皇 嫡流継承の伝統

1 一夫多妻制度の「皇室典範」は日本の恥(1)「皇室典範」とは? 日本国憲法と皇室典範の「皇位の世襲と継承」に関する規定は下記。 (2)皇室典範:第一の特徴 …

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大川清 古代のかわら

序 本書は教養文庫の一冊『かわらの美j と題して社会思想社よりいくたびか版を重ねたものであったが、刊行後三十年を経過すると古書扱いを受け、いつしか重版を絶たれた…

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大川清 図説 日本の古瓦

序 本書は教養文庫の一冊『かわらの美』と題して社会思想社よりいくたびか版を重ねたものであったが、刊行後三十年を経過すると古書扱いを受け、いつしか重版を絶たれた…

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日高市中世資料編

日高市中世資料編(前) 「観応の擾乱」関連編年史料抜粋 正和元年(壬子 一三一二、三月二十日改元) 八月十八日、平忠綱(高麗忠綱)は、高麗郡大町の村三分の一・多…

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『魏志』東夷伝ー高句麗伝ー

『魏志』東夷伝 高句麗伝「高句麗はこの城を幘溝漊(さくこうろう)と呼ぶ。「溝漊」=「句麗」で、城を意味する」 【原文】『魏志』東夷伝高句麗伝 高句麗在遼東之東千…

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高麗氏系図

はじめに 高麗氏系図については若光と共に、戦後、多方面から疑問や改ざん疑惑が指摘されてきた。有名なものでは、戦後間もない頃、当地を訪れた作家の坂口安吾の手記が…

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高麗神社 

虚構と負の遺産「朝鮮侵略の歴史遺産」としての歩み はじめに  昨年の八月十五日に公開した游古疑考倶楽部「偽書高麗氏系図」に続き、今回は本丸の「高麗神社」に焦点を…

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超巨大地震と城柵官衙時代(上)

はじめに  戦後三四半世紀以上経つにもかかわらず、日本の古代史研究は未だに皇国史観を払拭しきれていないから、科学的に研究を進めようとするのは容易なことではない…

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超巨大地震と城柵官衙の時代(下)

 入間郡正倉神火事件と出雲伊波比神社 【はじめに】「開発・発展史観」という現代病  「鶴ヶ島町史」通史編第四節の「渡来人の安置と優遇」には、渡来人の移動・配置つ…

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超巨大地震と城柵官衙の時代(中)古代仏教の「知識運動」と意匠デザイン 

はじめに 古代仏教の「知識運動」   群馬県高崎市山名町に上野三碑のひとつ金井沢碑がある。この石碑に神亀三年(726)銘とともに「知識結」・「知識所」と彫られてい…

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『万葉集』「黄金の国ジパング」賛歌

珠洲の海に はじめに   消えたモンスターゴールド 産総研 地質標本館に「モンスターゴールド」と呼ばれている自然金の金塊が展示されている。1980年に発見者の御子息が…

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古代史の謎を解く女影遺跡:金泥古瓦と五芒星土器の発見

古代史の謎を解く女影遺跡:金泥古瓦と五芒星土器の発見


1 「五芒星墨書・刻書土器」の出土遺跡(1)群馬県「上野国分僧寺・尼寺中間地点遺跡」刻書土器

(2)群馬県前橋市「元総社蒼海遺跡群」

(3)群馬県・新田郡新田町市野井出土墨書土器

(4)千葉県・柏市花前遺跡

(5)秋田県引田柵・厨川谷地遺跡

(6)長岡京出土

(7)埼玉県日高市・女影遺跡

五芒星墨(漆)書き土器(合計11点)

漆塊+セルロース繊維

2 女影遺跡の金泥軒丸瓦の発見

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高麗神社と日本会議の研究

高麗神社と日本会議の研究



📖日本会議1 埼玉県の統一教会と日本会議(1)埼玉県統一教会支部

(2)日本会議埼玉県支部

2 「日本会議」本部の動静………令和6年01月10日現在………

………田久保忠衛会長の遺稿………

3 「日本会議埼玉」の活動・吉田滋って?

・埼玉県の日本会議支部

・2023年10月6日の埼玉県自民党と日本会議埼玉の暴走

4 日本会議の埼玉県内のフロント組織・会員①「美しい日本の憲法をつ

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愛子天皇 嫡流継承の伝統

愛子天皇 嫡流継承の伝統


1 一夫多妻制度の「皇室典範」は日本の恥(1)「皇室典範」とは?

日本国憲法と皇室典範の「皇位の世襲と継承」に関する規定は下記。

(2)皇室典範:第一の特徴

(3)皇室典範:第二の特徴

(4)創ったのは、このワシじゃ、伊藤博文だよ。

(5)現行「皇室典範」の皇位継承 

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大川清 古代のかわら

大川清 古代のかわら



序 本書は教養文庫の一冊『かわらの美j と題して社会思想社よりいくたびか版を重ねたものであったが、刊行後三十年を経過すると古書扱いを受け、いつしか重版を絶たれたのである。しかし、しきりとその重版の要望を聴くにつけ、若干の補訂の後、上梓のはこびにもってゆきたいむねを社会思想社に相談すると共にたまたま古稀を迎えるにあたり記念銘のひとつにもなればと思い、旧著を補訂して『古代のかわら』と改題して上梓す

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大川清 図説 日本の古瓦

大川清 図説 日本の古瓦




本書は教養文庫の一冊『かわらの美』と題して社会思想社よりいくたびか版を重ねたものであったが、刊行後三十年を経過すると古書扱いを受け、いつしか重版を絶たれたのである。しかし、しきりとその重版の要望を聴くにつけ、若干の補訂の後、上梓のはこびにもってゆきたいむねを社会思想社に相談うすると共にたまたま古稀を迎えるにあたり記念銘のひとつにもなればと思い、旧著を補訂して『古代のかわら』と改題して上梓す

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日高市中世資料編

日高市中世資料編



日高市中世資料編(前) 「観応の擾乱」関連編年史料抜粋

正和元年(壬子 一三一二、三月二十日改元) 八月十八日、平忠綱(高麗忠綱)は、高麗郡大町の村三分の一・多西郡徳恒郷三分二・その他船木田庄木伐沢・鎌倉甘縄などの忠綱領を嫡子孫若に譲り渡す。幕府執権北条照時がこれに署名した。

61 高麗忠網譲状

〔昭和四十四年『第二回西武古書大即売展目録』、彦根城博物館保管彦根藩井伊家史料「高幡高震文書

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『魏志』東夷伝ー高句麗伝ー

『魏志』東夷伝ー高句麗伝ー



『魏志』東夷伝 高句麗伝「高句麗はこの城を幘溝漊(さくこうろう)と呼ぶ。「溝漊」=「句麗」で、城を意味する」

【原文】『魏志』東夷伝高句麗伝

高句麗在遼東之東千里、南與朝鮮・濊貊・東與沃沮、北與夫餘接。都於丸都之下。方可二千里。戸三萬。多大山深谷、無原澤。随山谷以為居。食澗水。無良田、雖力佃作、不足以實口腹。其俗節食。好治宮室。於所居之左右立大屋、祭鬼神。又祠靈(れい)星(せい)・社稷(し

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高麗氏系図

高麗氏系図



はじめに 高麗氏系図については若光と共に、戦後、多方面から疑問や改ざん疑惑が指摘されてきた。有名なものでは、戦後間もない頃、当地を訪れた作家の坂口安吾の手記が上げられる。広開土王碑の拓本があることもあって松本清張も訪ねている。だが、「若光物語」を執筆する作家は皆無である。系図のうさん臭さを感じたのだろう。結局、高麗神社の身内の者が自主出版するしかなかった。マンガも作ったが、今は忘れられている。

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高麗神社 

高麗神社 

虚構と負の遺産「朝鮮侵略の歴史遺産」としての歩み

はじめに

 昨年の八月十五日に公開した游古疑考倶楽部「偽書高麗氏系図」に続き、今回は本丸の「高麗神社」に焦点を当てた。一次資料を中心に調べを進めていくと、この問題は、古代史でも、中世史でもなく、極めて近現代史であると気づかされる。意外にも身近で今日的な問題であった。
 鶏が先か、卵が先か、偽書「高麗氏系図」が先か、高麗神社が先か、はたまた両者は

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超巨大地震と城柵官衙時代(上)

超巨大地震と城柵官衙時代(上)


はじめに

 戦後三四半世紀以上経つにもかかわらず、日本の古代史研究は未だに皇国史観を払拭しきれていないから、科学的に研究を進めようとするのは容易なことではない。後進性故に、幾人かの英雄伝説や夢物語のおとぎ話などの奇想天外な歴史劇場でお茶を濁しているケースが多い。空想と科学との折り合いをつけることができない古代史研究の現状は、古代史ばかりでなく中世史、近現代史にとっても不毛な結果を量産している。

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超巨大地震と城柵官衙の時代(下)

超巨大地震と城柵官衙の時代(下)

 入間郡正倉神火事件と出雲伊波比神社

【はじめに】「開発・発展史観」という現代病

 「鶴ヶ島町史」通史編第四節の「渡来人の安置と優遇」には、渡来人の移動・配置ついて、「遠く畿内から離れた東山道や東海道の未開・後進の閑地に移住させ、彼らを有力な労働源とすることによって、東国開拓に従事させることにしたのであった」としている。これが「開発・発展史脳」というべき視点である。この通史の編纂期間は1978

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超巨大地震と城柵官衙の時代(中)古代仏教の「知識運動」と意匠デザイン 

超巨大地震と城柵官衙の時代(中)古代仏教の「知識運動」と意匠デザイン 


はじめに 古代仏教の「知識運動」 

 群馬県高崎市山名町に上野三碑のひとつ金井沢碑がある。この石碑に神亀三年(726)銘とともに「知識結」・「知識所」と彫られている。天平勝宝元年の陸奥産金より二十三年前の元正天皇の御世で西暦716年頃になるわけだ。この「知識」は現代の「知識」とは意味合いが異なり、隋代の天台宗智顗の「智者大師」から生じた仏教運動を意味するものである。現代の「知識」という意味に解

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『万葉集』「黄金の国ジパング」賛歌

『万葉集』「黄金の国ジパング」賛歌

珠洲の海に

はじめに   消えたモンスターゴールド 産総研 地質標本館に「モンスターゴールド」と呼ばれている自然金の金塊が展示されている。1980年に発見者の御子息が寄贈したものである。しかし、明治37年(1904)、徳永重康氏が宮城県気仙沼市の鹿折金山で発見したものである。しかし、この「金塊」は徳永氏が発見し手許に所有していたもので、「巨大金塊」の六分一でしかないのだ(写真上)。残り六分の五の

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