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愛子天皇 嫡流継承の伝統


1 一夫多妻制度の「皇室典範」は日本の恥

 日本国憲法には皇位継承は、「皇室典範」の規定によると定めている。その「皇室典範」は明治初期に決められたものであるが、敗戦後の現憲法の下でも延命しているという異常さ。第二次大戦終結後、世界と日本はドラスチックに変化してきた。しかし、日本の皇位継承を定めた規定は、ボロボロに朽ちてきた明治時代の遺物をそのままに残し、悪臭を放っている。国民にとっては、まことに迷惑な話である。明治以来のカビが生えた「皇室典範」とはどんなものか、検討するところから始めなければならない。

(1)「皇室典範」とは?

日本国憲法と皇室典範の「皇位の世襲と継承」に関する規定は下記。

【日本国憲法】
第二条[皇位の世襲と継承」
皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

日本国憲法 第二条[皇位の世襲と継承」

【皇室典範】
『皇室典範』第一章 皇位継承 昭和22年
第一章 皇位継承[皇位継承の資格]

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する。
[皇位継承の順序]
① 皇位は、下の順序により、皇族に、これを伝える。        
1 皇長子       
2 皇長孫       
3 その他の皇長子の子孫
4 皇次子とその子孫  
5 その他の皇子孫   
6 皇兄弟とその子孫  
7 皇伯叔父とその子孫
 
② 以上の皇族がないときは、それ以上で最近親の系統の皇族に伝える  
③ 前二項の場合においては、長系を先にし、同系内では、長を先にする

皇室典範 第一章 皇位継承
『皇室典範』第一章 皇位継承 昭和22年
妾は何人でもいい野田♬
次男は資格なし、長男だけでよろしくな野田♬

(2)皇室典範:第一の特徴

第一の特徴として、「兄弟・叔父系」を慎重に避けていること。
第二項「皇位継承の順序]の規定で、「兄弟・叔父系の継承」は第六位以降であり、原則として避けていること。優先の一番から五番までは、「皇長子」や「その他の皇子孫」としている。しかし、「皇兄弟とその子孫」は六番目、「皇伯叔父とその子孫」は七番目とし。 ちなみに、候補者が五番目まで全滅の場合に、六番目の「 皇兄弟とその子孫」が継承資格者(秋篠宮)になる。この兄弟間の継承は緊急避難的な即位で、皇位継承は大きく毀損する結果になる。象徴として根拠を失うことになり、日本の皇室制度の終焉を意味するだろう。 ではなぜ、「兄弟・叔父系」を慎重に避けているのでしょうか?それは、近親者間の骨肉の権力闘争を避け、安定した皇位継承を行なうという日本の伝統的な考え、いわゆる「長子相続」、あるいは「嫡子相続」という、日本の古代から連綿と続いている伝統的な継承システムなのです。

皇室典範:第一の特徴

(3)皇室典範:第二の特徴

第二の特徴は、「一夫多妻制」である。
「一夫多妻制」
とは、1人の男性が多数の女性と暮らすことを認めることをいうこと。本来は「複婚」を指す。
 明治期の皇室典範の規定は「一夫多妻制」です。側室から生まれた子供などにも継承資格を認めるというルール。当然、明治天皇には側室が多数、その側室のひとりから生まれたのが大正天皇。男系天皇が継承されてきたのは側室制度ってことで、ありがたいような、ありがたくないような話。後進性を残しながら欧米列強に肩を並べようと目一杯背伸びしていた時代の負の遺産であった。しかし、欧米の価値観からは、日本の皇室の一夫多妻制度は男尊女卑の国というマイナス印象をもたれ、後進国と見なされ、条約改正の妨げにならないか危惧する始末であった。

一夫多妻制度を採用の国々】
そして、戦後の世界では、一夫多妻制採用の国家は激減し、欧米先進国ではミニ国家のリヒテンシュタイン公国のみとなってしまった。そんな中で、日本の皇室典範だけが今なお残っている。しかし、これは「世界遺産」にもならない、「世界タブー遺産」、あるいは「世界旧弊遺産」と命名すべきものとなっている。日本国民としては残念な事態です。

世界で一夫多妻制度を採用する国々
世界で一夫多妻制度を採用する国々
(欧では
リヒテンシュタイン公国のみ)

一夫多妻制採用の国はアフリカ大陸に多い

・東アフリカ:「タンザニア」と「ウガンダ」、「ケニア」、「ザンビア」、「マラウイ」、「エチオピア」、「ジンバブエ」。
・西アフリカ:「ブルキナファソ」で、「マリ」、「セネガル」、「ナイジェリア」、「コートジボワール」、「ガーナ」、「モーリタニア」。
・中央アフリカ:「チャド」。
・北アフリカ:「モロッコ」。

(4)創ったのは、このワシじゃ、伊藤博文だよ。

伊藤博文「人物・業績」から嘘のような本当の話

明治・大正・昭和の戦前の時代は、一夫一妻多妾という風潮がある意味で公然化していたが社会であった。皇室をお手本に下は一攫千金の成金者まで、一種のステイタスであった。  
 なお、明治天皇には、皇后美子の他に権典侍葉室光子、橋本夏子、柳原愛子(正二位勲一等、二位局)、千種任子、園祥子らの女性がおり、5皇子10皇女をなしますが、多くが夭折しました。明治天皇は、男子が嘉仁(明宮)、後の大正天皇のみであることを憂えた元老から「逸楽のため召させたまふにあらず、誠に国家に致し、皇祖皇宗に対する大孝を全う」するためだと局の活用を説かれましたが、耳を傾けませんでした。天皇も「一夫一妻」の文明の習いにさからえなかったのだといえましょう。
新憲法下でも、「皇室典範」という旧弊を残している「お陰」で、性的ハラスメントへの社会的抑止力が弱く後を絶たない。さらに、老若男女問わず保守党政治家の性的スキャンダルも闊歩している状態。伊藤博文の愚策に振り回され重症化する日本。あなたは、この末期患者をこのまま放置できますか?

(5)現行「皇室典範」の皇位継承 

 さて、世界に取り残された一夫多妻制採用の日本の「皇室典範」という病理、どう治療いたしましょうか?簡単な処方箋をヤブ医者様にご説明頂きましょう。

何処にでもいそうなヤブ医者先生

 ひとことで、現憲法下の皇室典範は、「家父長制」と「長子相続制」を合体させたものである。「皇室典範」に基づき皇位継承のひな型を作ってみると、時代錯誤でチョット笑える。次のような皇位継承図になる。

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