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災害と日本人《 3.11後からの日本を案ず(20)》

── 前回「『我欲』という新しい日本人の信仰」の続きです

日本人に感じた“日本人”への認識の誤り

前回『『我欲』という新しい日本人の信仰』にて、東日本大震災当時の石原慎太郎都知事の発言と、その後(震災から7年後)の石原氏のインタビュー記事の内容に触れました。石原氏の話はこの辺までにして、今回からは、あくまでも私の個人的感覚ですが、私感を書かせていただこうと思います。長くなってしまった本内容ではありますが、ある意味で最終的な内容として、私自身が最も表したかった部分になると思っています。

特に、前々回『日本人という民族性への違和感』と、前回の『『我欲』という新しい日本人の信仰』にて掲載した、私の私感として述べたように、東日本大震災を機に私は、同じ日本の国民として、自分がそれまで理解として把握していると思い込んでいた日本人とは、現実の日本に住む人の多くとは全く異なるのではないか、私の認識が誤っていたのではないかという、ある種の“違和感”を覚えることになりました。その違和感のポイントは、まさに石原氏の発言『天罰』に対する意識への誤差にあると思っています。

当シリーズの第9回『この星の地表で生きるということ』にて既述の内容、テレビドラマ『北の国から』のワンシーンにあった大滝秀治さん演じる清吉の「天災に対してね。あきらめちゃうんです。なにしろ自然が厳しいですからね。あきらめちゃうことに慣れちゃってるんです。… あきらめちゃうんです。神様のしたことにゃあ… そういう習慣が、わしらにはついとるです。」という台詞に触れました。

私も稲作農家の生まれで、幼い頃は田畑はもちろんのこと、森林や川や海やあらゆる自然の中で幼少期を過ごしました。成人になる頃からは反対に東京で生きて、いつのまにか蚊一匹にも一瞬怯えるような感覚も覚えることとなり、個人的ではありますが、ある意味で大自然の田舎と都市化された市街地の両端にある感覚や感性の違いを少しかもしれませんが知っていると感じています。

田舎や自然と共生するということや、都市化による人間の感性の成長などに関しては、多くの見解や観念を喋りまくりたいくらい持っていますが、そういったことはいつか別の機会にでも触れることとして、ここでは『災害』と『日本人』についてのみを述べたいと思っています。私も実際の自然の中で農業を営む両親を見てきて、また自分も手伝いながら野山で遊び、この清吉さんの言う「あきらめちゃうんです」という発言。まさに私は肌身で理解し、同感の感覚を“持って”いるというか、正確には“知って”います。

そして最もなのは、石原氏の言った「津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。… これはやっぱり天罰だと思う。」という発言。これもまた私の感性は、全くの同感なのです。むしろ私が震災時に同じ日本人に対して感じた違和感とは、まさに『日本人なのになぜこの感覚がわからないのだ?』というものだったということに気がついたのです。


日本人は悲しみを“怒り”で表すようになった

震災直後の頃、テレビを見ていて、どうしても現在でも印象的に残っていることがあるのですが、番組は覚えていませんが昼時のワイドショーで、名前は伏せますがゲストコメンテーターに女優のTさんが出演していて、そのTさんの発言がどうしても記憶から消えずにいます。Tさんはよく都内で偶然お見かけすることもありました。やはりとても綺麗な方で、お人柄も自然体でもちろん現在でも好感を持っています。

その番組では、石原氏の天罰発言を取り上げていたのですが、Tさんが「許せない!罪もない人たちがこんなにも悲劇に見舞われているのに、どうしてそんな罪もない人へ天罰だなんて…」と、感情も露わにコメントをしていました。それを見ていて、私は無言で固まっていました。無論、一人で見ていたのでテレビに対して無言なのは当たり前かもしれませんが、気持ちとして、まさに無言というか絶句して呆然という感覚を得ました。

きっとこの気持ちはほとんどの人には理解されないだろうと、その時点でも思っていましたが、10年後の現在でも同じように、誰かにこんな気持ちを決して言ってはいけないと思っています。そうにもこうにも、Tさんのその姿を見ていて、えも言われぬ悲しみが私の中に湧き上がりました。

人情とか慈悲などというものは、もちろん私にもあります。しかし、この時の悲しみというのはどういったものかと言うと、まさに前述した『日本人なのになぜこの感覚がわからないのだ?』というものでした。そしてその延長線で思ったのは、兎にも角にも『怒ってどうするの?怒りを表明してなにが進むのか?』という疑問というか、可笑しさにも似た人間の滑稽さでした。この場合は本来は“悲しい”などに近い感情のはずだと私は思うのですが、この頃から、日本人は表現の主軸を“怒り”で表すようになったと感じています。

大げさかもしれませんが、それまで自分自身が特には言葉などとして表さないですし、他国や他の種族や民族からは理解もされはしないかもしれないけれど、日本人という種族にある目に見えない共通の観念や感覚、哲学や思想形体などがあって、私もそれに属していて、意識も特にはしていないけれど、ある一定の信頼感や結束感があったのですが、そういったなにかの謂わば『絆』が、私の中で切れてしまうのを感じざるを得ませんでした。

断絶とまではいかないまでも、見えないネットワークの『断線』のような、ささやかに孤独を感じました。世間ではそれこそそんな『絆』で盛り上がっている現実がさらにそんな、たったひとりで無線機に向かって応答を待っても世界には誰もいないような、そんな通信不能な心境に陥りました。その時に思ったのは「私が認識を見誤っていた」という事実でした。

そのTさんは、女優やタレントよりも自分の本業は「農業従事者」であると語っているほど、農業を人生の主体として、無農薬や自然農法を志すような一面がある方だったので、自然の中で生きながらも、なぜこの感覚がわからないのだろうと、私にはとても不思議というか、やはり知識やある種の思想として現代社会へのアンチテーゼとも言える“田舎暮らしの推奨”の領域の人なのだと感じて、土や植物と触れ合いながらも、ここが生きている地球の上なのだということ自体に理解は及ばないのだろうと、そういった多くのエコイズム的思想の活動として、都市化された位置からの人間本位な視界でしか世界や宇宙を見ることができていないのだと感じました。

あまりにも私感が過ぎる内容になっていることは自分でもわかっていますが、確かな私の本音であることは間違いありません。もしも共感していただける方がいらっしゃったなら幸いに存じます。しかしながら不快に思われる方のほうが多いと推測はしています。あくまでも私の主観としての現実の話ですので、どうかご容赦いただきたく願います。このことに関しては特にこれ以上は掘り下げることも説明や私感を述べることも致しません。


「阪神大震災の時とは全く違うよ」

そのような私感は誰にも語ってはならない。そうして現在でも私は日本人として日本で暮らしていますが、理解してくれるであろう数少ない友人などとは、多くを語り合ったこともあります。そのようなことが、私を少しだけ支えてくれているのも事実です。そんな中、震災10年後の最近、近畿地方の方と話していて、その方は1995年の阪神・淡路大震災の被災者でもあり、東日本大震災の時は都内にいた私に、地震の経験上からも多くの支援をいただきました。

その方の記憶で、東日本大震災直後の報道番組で、津波被害のあった漁港の漁師の方にインタビューをしている番組をたまたま見ていたそうで、その漁師さんは「あんなことしてるんだから、こんな目に合うんだよ」と言っているシーンがそのまま報道されたようで、そのことを今でも覚えていると話していました。いったいどんなことをしていたのかは不明ですが、その一人の漁師さんにある感覚とは、きっと言い換えるなら『天罰』という感覚だと思います。

そんな話などしていて、話題は現在の被災地の話に至り、私が「どうしてずっと被災者として被害者意識のままに国や誰かのせいにしたまま、一向に自分で生きるということをしないのだろうね。世間も社会も腫れ物に触るようにヒステリックにお膳立てしてそれを絆だとか平和や正義だと言わんばかりって感じだよね」と言い、「阪神の時もこうだったの?」と訊ねると、あっけらかんとした一言が返ってきました。

「阪神大震災の時とは全く違うよ。こんな風に誰も文句なんて言わなかったもの。」と、返答を即答したその方は、呆れた顔をして続けました。「支援物資を選り好みして文句を言い、炊き出しの食料をまずいと言ってひっくり返して捨てたり、仮設住宅が暑いだとか寒いだとかって、私たちはそんなことは言わなかったし、ありがたいって思ってたし、誰かのせいにするんじゃなくて、とにかく自分でまた歩き始めたから」というような事をあっけらかんと話してくれました。

その“あっけらかんさ”が、妙に可笑しかったのもありましたが、とても的を得た興味深い発言でした。そういった謂わば『被災者特権』や『被災地ブランド』については、以前に先述していますが、いまでも多くの日本人がその意識にあると感じています。2020年予定だった東京オリンピックも『復興五輪』という冠を掲げて、名ばかりの『復興ブランディング』を利用しましたが、海外の多くから見ればすでに10年前のことであり、しかもその国際的な共有性や地球人類規模での公益性はあまりにもグローバリズムとしては、甚だしくローカル思考であることも気がつかない国民性とも言い得てしまいます。

その方の言う『阪神大震災とは違う』という言葉、そこには大震災被害を乗り越えたひとりの人間の気持ちとして『一緒にするな』という意志を感じました。これも既述済みですが、きっと『9/11』と『3.11』を並べているのは、そんなローカル意識の高い日本人だけだと私は思っています。


ただ … 歩き出すだけ

大ヒットして映画化も成功した『20世紀少年』という浦沢直樹作の漫画の記憶に残っているシーンの中に、メインキャストであるショーグンこと『オッチョ』が、人々の愚かなワクチン争奪戦の末に、また一人となったオッチョが歩き出す際のセリフがあります。確か正確には、オッチョの問い「どうすれば、絶望に打ち勝てるのか」に対してのオッチョの師匠の言葉『絶望に打ち勝つ方法などない…… ただ……、ただ……歩き出すだけだ……(©浦沢直樹・スタジオナッツ/小学館)』が回想されます。

とても心に残っているシーンです。もうひとつあげますが、これも世界的な大ヒット作映画『アナと雪の女王2』でのアナのセリフです。エルサの消息が途絶え、オラフも居なくなり暗い洞窟の闇の中のシーンで、絶望にひとりうずくまるアナは『辛いときは今できることをする』という言葉を思い出し、立ち上がります。その時の劇中歌が『わたしにできること』日本版ではアナ役の声優でもある神田沙也加さんが歌っています。(YouTube > https://youtu.be/jJolHbQyHOE

この曲もかなり印象に残っています。急に2作品からの引用でしたが、なにを言いたいのかといえば、前述した『北の国から』のセリフ『あきらめちゃうんです』なんです。どうしようもない状況で絶望したなら、もう過去を取り戻すことは出来ないのです。あきらめんるんです。あきらめて、ただ、歩き出す。やるしかないんです。生きているのなら、いま、ただ、できることをやるしかないんです。


日本は細長い島国で、国土のすべてが海に囲まれ、太平洋からの台風も大量に発生する。しかも、国土はプレートの境界にあるため世界でも稀に見る地震大国なんです。マントルやマグマなどの動きも活発化されれば大地は火を吹き上げる火山大国でもあります。歴史を見ても、幾度も幾度も火山の噴火や大地震や大津波などの災害と共生して日本人は生きているのです。

田んぼでお米を作っていても、大型の台風や洪水などで、一夜にして稲はなぎ倒され、それこそ一年ぶんの収入も失います。そして翌日、人間は何をするのか。ただ、目の前の土砂や倒れてダメになった作物を拾い集めては整地し直し、また来年に向けて、ただ耕し始めるしかないのです。

そうして何千年にもわたる年月を経て、様々な知恵を語り継ぎ、日本人は生きてきました。大地の記憶、水の記憶、風や空が教えてくれること、虫や動物や草木が教えてくれること、それこそそんな万物の采配に対して、ただ自然摂理と生命の営みに寄り添って、この地球の地表で、この日本という国に生きてきたのだと思っています。

日本人とは『災害と生きている』と言っても過言ではない程に、この国土は地球のそんな地殻の点に属しているのです。その共生する『災害』をいかにして捉えるのか。それこそが日本人の知恵であり、きっと哲学の源だったのだと思います。


災害と生きてきたかつての日本人

「阪神大震災の時とは違う」というその意味するポイントとは、無論、個人差はあれども、東日本大震災からの日本人は、その『災害』に対して、不都合を感じ、また不満を述べ、さらには自然や神様のバカヤローと、まるで人間には『災害』は不要なものだと、自分たちの不幸はそんな災害を起こす自然のせいだとさえも捉えられる言動で、つまりは自然万物を否定し拒否したようなものだと感じます。

災害を拒否するということは、そこにある自然摂理を否定することに等しく、かつての『自然信仰』の種族であった日本人が、『自然からの恩恵』を忘れてしまったかのような振る舞いで、まるで自分たちとは何者で、どこに生きていて、晴れの日も雨の日も、自分たちに都合の良い世界しか必要がないかのように、とても利己的な生物と成り下がってしまったのではないでしょうか。

かつての日本人は知っていたのだと思います。地鎮祭や収穫祭などを代表的に、人間以外の万物に対する畏敬の真理を、災害の摂理とその恩恵を、そしてその万物の恵みたる恩恵があるからこそ、自分たちは生きているのだということも。災害と日本人の共生とは、つまりは自然万物、地球やこの宇宙、この世界との共生であり、自分もまた万物の一部であるということ、その生活にあった最も先進的で調和的な、それらの感性を日本人はもはや失ってしまったのでしょうか。

自然災害の被害にあって、無論、悔しさや悲しみは尽きないのも人間の情というものです。しかし、そんな人知を超えた境遇への『憂い』を表すのではなく、現代では『怒り』を表すようになりました。さらに、そこでどうにかして自分たちの生活や人生を自分の意志や努力で再起するわけでもなく、ただ不満を述べては、滑稽なことに自然災害なのに国や行政に苦情を訴え、補償を要求する。

“天罰”がなんたるか。それ以前に、それこそ現代文明の構造自体の『積年の垢』が積もり積もって、もはや日本人たちは、かつての日本人ではなくなったとさえ感じました。かつての日本人ならば『天罰』という言葉やその意図に対し、もっと真摯に捉えられていたのではないかと、私は思えます。それほどに、現代の日本人は『土から離れてしまった』のでしょう。つまりは『地球』から離れてしまったのだとも言えると思えます。

つづく ──

20210720



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