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直感でわかりやすい心のモデルを作ろう(エッセイ)

「心」とは何か、一度でも考えたことがあるだろうか。


メンタルヘルス・マネジメント上で踏まえるべき「心のモデル」は、以下のようなものだ。

外部からの刺激や個人内の変化を、ストレッサー(ストレスの要因)として個人の認知的評価(ストレッサーの受け止め方)で受け止めて、情動反応・ストレス反応を返すというようなストレスモデルがある。

これは、ABC理論、すなわちActive event(出来事)をBelief(信念)で受け止め、Consequence(感情などの出力)が返される、というような心のモデルに基づくものである。


他方、フロイトの精神分析学では、人間の精神構造が、機能として、欲望を充足しようとするエス、欲望を抑圧しようとする超自我、エスと超自我の調整をする自我(エゴ)、というようなものを持っており、人間の精神構造そのものとしては意識・前意識・無意識という三層のモデルを唱えた。


また、ABC理論のような「外的コントロール」、すなわち外側の刺激によって動機づけられ感情の生起や反応をするようなモデルに対して、「内的コントロール」、すなわち人は内側で自らを動機づける存在なのだと考える選択理論といった考え方もある。

環境や他者、外部からの情報といった外部刺激を受け、感情などといった自動的な反応をそのまま返すのではなく、自らの選択の余地を挟み、インサイドアウトで世界と関わっていく心のモデルである。


これらを踏まえたうえで、精神科医YouTuberの益田裕介氏の心とは何か、というお話を紹介したい。いわく、「心は内部刺激(DNAと記憶・経験)と外部刺激(外部環境などからの情報)をもとに脳で起こる現象」とのことだ。

どういうことかというと、五感を通して外部環境の情報を受け取り、自身の記憶や経験として持っている情報と照らし合わされて、特に脳で情報処理が行なわれることで「心」という現象が生まれている、という理解だ。


ABC理論、フロイト、選択理論、心という現象、それぞれのエッセンスの中で重要だと思った点を指摘したい。まずは意識と無意識があるという理解が重要で、人間の意識に上っている部分と、人間の意識に上っていない部分、それらを区別する必要性がある。そして、人間内部と外部が相互に影響を及ぼし合っている世界モデルも重要であり、そこに人間の能動的な作用が存在するのかという観点も重要である。




さて、直感的には、人間の「心」は数学の関数のようにして、入力に対する出力を返すだけの機能を持っている、という理解や、「心」はその内部から基本的欲求を満たすべく能動的に外部世界に働きかけていく機能を持つという理解、それらは適切ではあるがそれだけだと納得ができない感じがする。

これから、直感的にわかりやすい心の捉え方を考察していく。

第一に、心という現象には、意識も無意識も含むと考える。
第二に、意識に上る主観的な知覚体験が心という現象の中心にあると考える。
第三に、神経情報伝達によって必要な情報を受け取り、出力して生体の恒常性を保っていると考える。

人間のからだには神経細胞がはりめぐらされ、そこを伝って情報伝達リレーが行なわれている。神経細胞の電気信号は、シナプス(神経細胞と神経細胞の間)を神経伝達物質が伝わることによって、連続的かつ瞬時に発生する。

私たちが日々感じている感覚は、目鼻耳口、皮膚や筋肉、内臓などの感覚受容器がスタートで、神経情報伝達が行なわれることで大脳新皮質まで情報が届き知覚される。

神経伝達物質にはグルタミン酸(興奮性)やGABA(抑制性)などがあり、それぞれ異なる役割を持っている。

幸せホルモンと呼ばれるセロトニンやドパミンなども神経伝達物質として働くのだが、

これらのそれぞれ異なる特性を持った脳内物質が、今まで形成されてきた神経細胞の経路をたどる際に放出され、情動などの体験の鮮度を与え、さらに情報伝達される神経系の構造が、その通ってくるルートと配置に関連してわたしたちの意味理解と対応する。

ここで、(意識が生じているときに身体がどうなっているかという説明に過ぎないが)脳の外側らへんで動的に全体を巻き込む感じで神経細胞の発火が起こると、一瞬一瞬の「気づき」と呼べるような私たちの意識に上ってくる知覚体験が生じる。

これが「意識」であり、生体の恒常性を保つために意識には上がってこないが情報伝達が行なわれているというのは、「無意識」で起こっていること、ということになる。

やかんが熱くて手を引っ込める「反射」は、無意識の行動であり、歯磨きをするときに習慣となっているから手の動かし方を気にせずともうまく磨けるのは、それが無意識の行動として記憶に覚え込まされているからである。

選択、意思決定、判断を人間がするときには、脳スタートの情報伝達リレーで運動神経を伝って身体を動かすように作用したり、思考をしている知覚体験を意識上で感じる、というようなこともしている。


結論、「心」とは私たちの意識と無意識の働きが起こっていることを表す言葉、現象である。生きるために必要な情報処理こそが「心」の本質なのだ。

生体の恒常性を保つために、つまり生きていくために必要な情報処理を意識的・無意識的に行ない、その中で、目鼻耳口、皮膚や筋肉の感覚受容器スタートで脳まで外部環境の情報を伝達してきて主観的な知覚体験をしたり、脳を含む内臓の情報の伝達、神経伝達物質の作用があったりすることで、鮮やかに世界を経験することができる。今まで生きてきた軌跡は、身体と脳の神経系に記憶として保存される。

このように、意識と無意識が絶妙なバランスで働いていることで、私たちという自己意識を持つ主観的存在が生活できている。

心は犬や猫にもあるかもしれないし、セミにもあるかもしれない。

人間の特殊性は、高度な意識の働きに見出すことができると考える。

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