人生で10回くらい、日記をつける人間になるぞ、と宣言したことがある。そして、長くても数か月、はやければ一日で、その宣言を裏切ってしまう。面倒くさくて。はやく寝たくて。 このnoteにも書いていたことがあるけれど、一日一記事がだんだん週に一記事になり、月に一記事になり、もはや日記じゃなく月記って感じになってきてもはやそれはただの近況報告なのよ、となりフェードアウトした。ざんねん。読書記録とかもちゃんと書く人間になりたくて分厚めのメモ帳買ったのに、三冊くらい記録してやめてしま
「日記つづいたことない」を体現しながら五月に入ってしまったのでエッセイでも書こうかと……。毎日ひとことだけでもなにか書き残そうと思うのにペンが追いつかない。さいきんはツイッター(ちがうよ、X)さえさぼっているし、LINEの返信も滞らせている。書くことがないのではなく、書く時間も現実を生きているだけなんだけれど。隙間なく忙しくしているほうが余計なことに心を引っ張られずに済むから、居心地はわるくない。 始まったばかりの院生生活は、理想以上に満ち満ちている。学生証をかざして研究
あっけなく日記を続けられなくなってきたので、春の日々をダイジェスト版でお届け。 四月一日、大学院の新入生ガイダンスのため登校する。院の研究室が今年度から新しい場所に移転したそうで、引っ越し途中の段ボールがそこら中に積み上げられていた。自分専用のデスク、ロッカー、パソコン、自由に使えるコピー機やプリンター、本棚に入りきらない本があって、給湯室には冷蔵庫と電子レンジが三つずつ、自分の食べ物には名前を書くこと、というメモがあった。先生に借りていた「誰も知らない」のDVDを、ア
もはや日記ではない。日記という制度が崩壊中。日記は目的そのものでもなく自制心のある人間になるためのリハビリの手段なので、まあいいでしょう。 29日朝、七時十八分に起床。きのうと同じじゃないか。どうしても七時に起きられない。 トーストに、ジャムのごとくごはんですよ!を塗りたくりかじる。しおっけが効いていてうまいのです。 きのうの日記を書き、小説の推敲に取り掛かる。午後から友達とカラオケに行く約束をしたので、Spotifyで歌いたい曲を聞き流しながら。けっきょくカネコ
七時十八分ごろにあったかおふとんを脱出。目標の七時起きまであと少し。 口内炎が痛すぎる。歯磨きするとぜったいにブラシの毛先が当たる位置にあるので毎日半泣きで歯磨きしている。 追い出しコンパ的なお菓子パーティをした際、サークルの後輩にいただいていた花束についていたオレンジのリボンをあざらしぬいぐるみの背中に結んであげたらプレゼントみたいになった。贈答用あざらし。 あと後輩からはヘアオイルもいただいていたおり、それのおかげでさいきん前髪が朝から理想の形に整ってくれてい
七時に起きるぞという目標とは裏腹に、SF映画のようだった夢のつづきを見ていたくて三十分延長。時間が巻き戻ったり、いつのまにかケーキをいっぱい買ってしまい、まあいいや、家族用ってことにしよう、と思って受け取ったらロールケーキが跡形もなく潰れていたりする、ややこしい夢だった。 大学図書館に返しに行く本を九冊、帰りに地元の図書館に返す本も三冊、パソコン、水筒、筆箱、をリュックに詰めたらぱんぱんに。さらにそのうえにあざらしのぬいぐるみをのせていたら、背中がリュックのチャックに引
わたしは日記というものがなんなのかとんとわかっていないのかもしれない、28日10時現在、おとといの日記を書き、これが書き終わったらきのうの日記を書きます。 6時半と7時にアラームセットしておいたのに止めて8時まで寝てしまいました。ざんねん。すでにリビングに家族がだれもいないのをいいことに納豆トーストしました。 さいきん小説の推敲するときのbgmはカネコアヤノか吉澤嘉代子かSundae May Club。のびやかな女性の声が好きなのかも。「えらばれし子供たちの密話」、フ
自制心をモットーに日記を書くぞと宣誓して初日、メモ書きだけ書き散らしたまま眠かったので寝ました。これは翌日の午前にメモ書きをようやく整えたものです。幸先が不安。 朝10時ごろ、もっと自制心のつよい人間になりたい、そうだ日記を書くぞと決めて、まずは日記を書くぞという決意を込めたエッセイのようなものを書いているうちにバイトの時間が迫っていたので、小説の推敲がほぼ進まないまま本日の自由時間が終了。 13:17発のバス(家から徒歩5分ちょっと)に乗らないとバイトに間に合わない
2023年11月11日(土)、文学フリマ東京37に出店した話を書きます~。 出店前に書いたのはこちらです。別に続きものというわけではないのですけど。 文学フリマに出店するのは今回が初めてだった。何冊売れるのか、どれくらい立ち止まってもらえるのか、まったくわからなくてとにかく売り切れてしまうのを危惧して、大量の在庫を抱えていった。たった一冊の新刊を40部と、フリー折本を100部と、商業出版したときの二冊もまあ一応携えて。キャリーケースが前代未聞に重くて、エスカレーター
小説を書いているわりには凡人である自覚がある。一般社会で生きていくには変人である自覚もある。中学校の教室では小説を書いているというだけで自分のアイデンティティを確立できたのに、そこから一歩二歩と出ればまわりは小説を書いているひとだらけでわたしはなんにも特別じゃない。 どう生きるにも中途半端で、どこにいてもいつも、背伸びをしたりつま先立ちをしたり膝をかがめたり頭をかたむけたりして無理やり身体の形をその場所に当てはめている。そうしないと、中途半端なわたしにはどこにも収まらない
22歳と1か月にして、微々たるメイクをするようになった。 なぜこれまでしていなかったかと言えば、自分の容姿にとくに興味がなかったのと、コスメを買うお金があるなら本を買ったほうがいいとしか考えていなかったせい。なぜ今しようと思ったのかと言えば、そろそろマスク外していいんじゃないか風潮を感じた(でもさいきんインフルエンザも流行り出してますね)のと、コスメに詳しい高校時代の同級生と久しぶりに会ってごはん食べたのと、自分の容姿にコンプレックスを持つ女の子を主人公にした小説(文フ
プロローグ 右腕、左脚、右脚、右腕、左腕、右腕、右脚、左脚、右脚、左腕、右腕、右腕、右脚、左腕、左腕、右脚、右脚、左脚、左脚、右腕、右腕右腕、右腕、左腕左腕左腕、左腕、右脚右脚、右脚右脚左脚、左脚左脚左脚、左脚、 昨日来た客が滅茶苦茶に並べ替えてしまったせいで、もとどおりに直すのに時間がかかった。紅色の壁に囲まれた展示室、天井へ向かって伸びる手脚の、指先はどれも凍ったように動かない。 展示室の整理を終えた珠紀が受付に戻ってくると、closeの札を下げたガラス扉の向
高校生のときにちいさめ(と言ったら失礼だけれど、そんなに大手ではない)文学賞で賞をもらって、本を出してもらったことがある。新進気鋭の女子高生作家、だったことがある。身元、まあべつにばれてもいいのだけどあえてここで当時の名義を出さないのは、いま書いている純文学系の作品と当時書いていた作品の方向性がぜんぜん違うから、お互いの作品には影響を及ぼさないほうがいいんじゃないかなと思っているせい。それでもこんなnoteを書いているのは、ちょっとでいいから注目されて、いまのわたしが書い
さいきん外出するときには、ベッドのうえに並んでいる約60体のぬいぐるみのなかから目が合った子をひとり連れていくようになった。すみっコぐらしだったりしろたんだったりなんのキャラでもない動物だったりします。ちょっと不安なときとか気分が乗らないときとか、ふにふにと撫でさせてもらうと心がまろやかになる。連れてくるのを忘れていたときはそのさみしさというか物足りなさがすごくて、もはやぬいぐるみのいない生活には戻れない。 けれどわたしにはぬいぐるみの声は聞こえないし、その日目が合った子
おいしそうに食べるひとに憧れる。食べものを前にして目を輝かせ、大きく頬張って、幸せそうに咀嚼するひとに、どうしても惹かれてしまう。じっと見つめてしまう。 おいしそうに食べるひとが好きです、と言うひとを見ると、ああ、そうだよね、と思う。そして、敵わないな、と思う。 わたしはたべるのがおそい。ひとつの食事を済ませるのに、30分から1時間ほど要する。どうやらひと口あたり100回くらい噛んでいるらしい。それくらい噛まないと居心地がわるくて、喉の筋肉をフル稼働させないと飲み込
きみは立ち止まる。まだ〈Close〉のプレートがかかっている、木の扉の前で。目の前に聳えているのは、二階建ての、モカ色の煉瓦でできた建物。白くつるつるした横長の看板には、深緑色の筆記体で書かれている文字を読み取れなくて、きみはいまだに店名を知らない。右端についている海色のかもめのイラストが、この店を判別するための目印だった。 真鍮のドアノブをひねり、重心をかかとに移すようにして手前に引いたけれど、扉は動かなかった。こんどは体重をつま先へかけて奥へ押してみる、と、扉はあっ