東京文フリに向けてのもろもろ

 さいきん外出するときには、ベッドのうえに並んでいる約60体のぬいぐるみのなかから目が合った子をひとり連れていくようになった。すみっコぐらしだったりしろたんだったりなんのキャラでもない動物だったりします。ちょっと不安なときとか気分が乗らないときとか、ふにふにと撫でさせてもらうと心がまろやかになる。連れてくるのを忘れていたときはそのさみしさというか物足りなさがすごくて、もはやぬいぐるみのいない生活には戻れない。
 けれどわたしにはぬいぐるみの声は聞こえないし、その日目が合った子、というのも完全にわたしの主観なわけで、わたしからぬいぐるみへの働きかけが完全に一方通行であるこわさもある。わたしはぬいぐるみの写真を撮るけれどぬいぐるみはわたしの写真を撮らない。ぬいぐるみがなにもしゃべらないのをいいことに、わたしはいいようにぬいぐるみを利用していないかい?と思うがぬいぐるみはなにも答えてくれないのでなるべくぬいぐるみたちに、いろんな景色を見せることによっていつも〈見られる側〉であるぬいぐるみたちが、ちょっとでも〈見る側〉を経験できていたらいいなあなどということを自己完結的に思っています。

 「人形」「ぬいぐるみ」をテーマに小説創作をしているため、文学フリマに出店する際の作品集も、そのあたりをテーマにする予定。

 現在の予定。(自分の記録用も兼ねてまとめる)

・人形の身体を手に入れようとする人間たちの連作短編集
・透明人間をテーマにした短歌連作を十五首くらい
・松涛美術館で行われていた〈私たちは何者?ボーダレス・ドールズ〉の感想というか、そこをきっかけに考えたことをまとめるエッセイ(noteにも公開するかも)

 というか本当は知り合いの物書き何人かを誘って合同作品集にする予定だったのだけれど、寄せられた返事はどれも「書けたら書くね~」だったため、これは、これは、ひとりで一冊分になるようにがんばらなくちゃ……。

 その前に今月末締め切りの文学界新人賞の応募原稿の推敲を終わらせたり(第一稿はきょう書き上げたところ。締め切り当日まで書き直し続け、締め切り5分前になってようやく応募フォームに怒涛の勢いで必要事項を入力しだし、締め切り1分前に応募ボタンをクリックするのが常だったわたしにしては優秀すぎる)、来月28日締め切りのR‐18文学賞の原稿を書いたり、あとほかにももろもろ。笹井宏之賞もほんとうは出したかったけれど、本業の小説の予定がぱつぱつになってしまったため今年は見送ります。きっと来年は。

 去年のいまごろはいろいろあって一日中ツイッター見るしかできてなかったのでとっても進歩!

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