いのち短し、恋せずとも歩いていけよ乙女

「日記つづいたことない」を体現しながら五月に入ってしまったのでエッセイでも書こうかと……。毎日ひとことだけでもなにか書き残そうと思うのにペンが追いつかない。さいきんはツイッター(ちがうよ、X)さえさぼっているし、LINEの返信も滞らせている。書くことがないのではなく、書く時間も現実を生きているだけなんだけれど。隙間なく忙しくしているほうが余計なことに心を引っ張られずに済むから、居心地はわるくない。

 始まったばかりの院生生活は、理想以上に満ち満ちている。学生証をかざして研究室のある棟に入れば、自分専用のデスクがあって、研究に必要な本をずらりと並べられて、キャビネットに授業のプリントやおやつ(ラムネ、マシュマロ、チョコチップクッキー、茎わかめなど)を入れておけるし、給湯室には冷蔵庫も電子レンジもあって、トイレも新しくてきれいだし、ラウンジには日当たりのよいテーブルがある。図書館で大量に本を借りても、家まで持って帰らずにデスクに積んでおけばいい。住みよい。

 院生生活はめまぐるしく、二週に一回ほど授業内の発表がまわってくるので一日も止まっていられるときがない。研究室の居心地がよすぎるせいもあり、週五で通学、土日はバイト、という生活を送っている。もしもいま恋人がいたとて恋人に割いている時間はないよなと思うことで、同じ研究室の先輩たちが彼氏とディズニーに行った話とか、冬ディズニーって寒いよね?おそろいとかできなくない?私コートおそろいにしました、なるほどコートいいね、みたいな話をしているのを、授業の発表資料をつくりながら聞き流すことが出来る。たぶん、もしできたとしたらわたしは恋人に時間を割きすぎて、研究のほうを崩壊させてしまう。付き合うならぜんぜん毎日とか会いたいし。恋人のいる院生のみなさんっていったいいつ恋人に会っているんだろう。あるいはわたしが大学に入り浸りすぎているだけで、もうちょっと余裕あるもの?

 一年くらい好きなひとがいるのだけれどなんというか、時間的にも空間的にも遠いひとで、どうしようもなく結実しない恋であることが自明なので、ただ、いつまでも花びらのひらいているのを眺めているだけ。枯れないように、育ちすぎないように、適度にちょろちょろと水をやるだけ。
 堂々巡りに考えてはけっきょく、修士の二年くらいは、花びらだけでできた恋をやわらかく咲かせつづけているのもわるくないよね、というあいまいな結論にたどりついてしまう。
 いまのわたし、メイクもじょうずになってきたし大学しか行くところがないので毎日とびきりお気に入りの服で通学しているし、毎日たのしいので基本的に機嫌がいいし、わたし史上いちばんかわいいわたしでいるのに近くで見ていてくれるひとがいないなんてもったいないすぎるんだけれど。

 小説家になりたいとかより、彼氏とディズニーデートしたいが瞬間最大夢力を上回るときがある。ベタなデートが、したいよー。元恋人とは一回水族館に行ったくらいで、ほとんど本屋か古本屋か図書館しか行かなかった。ベタなデートばかりしていたら、自分がふつうの女の子になってしまいそうでこわかったのだった。そんな思考こそ自分がふつうの女の子でしかないことの証明だというのに。

 どうせぜんぜん忙しいし、どうせいま好きなひとのことぜんぜんとうぶん好きだし、でもどうせ叶わないし、どうせどうせ、と思いながら、でもどうせ、とか言い過ぎるのもよくないよね、あれ、それって元恋人に言われたことだっけと思いながら、いのち短し、恋せずとも歩いていけよ乙女、と唱えている。

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