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エッセイ「かわいくなりたい、?」

 22歳と1か月にして、微々たるメイクをするようになった。

 なぜこれまでしていなかったかと言えば、自分の容姿にとくに興味がなかったのと、コスメを買うお金があるなら本を買ったほうがいいとしか考えていなかったせい。なぜ今しようと思ったのかと言えば、そろそろマスク外していいんじゃないか風潮を感じた(でもさいきんインフルエンザも流行り出してますね)のと、コスメに詳しい高校時代の同級生と久しぶりに会ってごはん食べたのと、自分の容姿にコンプレックスを持つ女の子を主人公にした小説(文フリに出すやつ)を書いていたのと、友達にふいに撮られた写真が送られてきて、見たら、ほぼ一重の極奥二重と三白眼気味の小さな黒目のせいでぼーっとしていると目つきがわるくなるらしいのに気づいたのと、大学内ですれ違う女の子がみんなもれなくとてもとてもかわいくて、キャンパスを歩くだけで自己肯定感がうっすら剥がれてきていたたせい。

 ファンデーションより下に下地があるらしいことも、ファンデーションとコンシーラーの違いも、アイシャドウが1パレッドあたり複数色ある意味も、コスメコーナーがパーツごとではなくメーカーごとに並んでいるのも知らなかった。あまりになんにも知らないわたしに、高校時代の同級生は、YouTubeのメイク動画とか見ると参考になるよー、と教えてくれた。さいきんは、小説を書きながらメイク動画をBGMのように流している。用語が耳を駆け抜ける。ファンデーションコンシーラーシャドウハイライトチークアイプチアイシャドウアイラインビューラーリップ。日常的にメイクし始めてからはまだ1か月くらいなんですが、だいぶ覚えたんだえらい。
 おかげで、小説でもいままでぼんやり誤魔化してきたメイクの描写をもっとくっきり書けるようになってきたし、なによりうれしいのは『八本脚の蝶』で奥歯さんがせっせと集めているコスメについて、なにを言っているかようやくわかるようになってきたこと!(結局本に戻ってきたな)

 かわいくなろうとしている女の子の声を聞きながら作業をするとよく進むことに気づいたので、しょっちゅうメイク動画を流して小説を書いたり課題に取り掛かったりしている。かわいい彼女たちは当たり前のように一重を二重にし、目を大きくし、鼻を小さくし、人中を短縮し、面長を短くし、丸顔を削り、まるで、正解のかわいいが一点にあるみたいに、そこへ向かって進んでいく。
 メイクする前だってそれぞれかわいいのに、すべての工程を終えたあとはやっぱりとてもかわいくて、かわいい、ああかわいい、という感想が浮かぶと同時に、わたしも正解のかわいいに取り込まれているような感覚にもなって、これで、大丈夫か?と思う。
 二重の瞳をかわいいと思うとき、一重は本当にかわいくないのか? そんなわけない、そんなわけない。みんなそれぞれにそれぞれのかわいいがあるはずなのに、小さいものを大きくし、大きいものを小さくし、平均に近づけていく。個性とコンプレックスは紙一重で、あなただけのかわいいがみんなのかわいいに上塗りされていくように見えて、それをあなた自身が行っているように見えて、苦しい。それなのにやっぱり完璧にメイクを施されたあとのかわいいを、わたしもかわいいって思ってしまう。
 たとえば猫だったら、ちょっとぽっちゃりでも、目つきがわるくても、間抜けな模様がついていても、ぜんぶその子だけのかわいいとして還元されていくのに、どうして人間は、みんなでいっせいにおんなじかわいいに向かっていくのだろう。同じかわいいを、かわいいと思ってしまうんだろう。

 わたしがかわいいと思うものが、本当にわたし自身の心でかわいいと反応しているものなのか、これをかわいいと言うんだよ、と外部から繰り返し植え付けられた感覚を自分で復唱しているだけなのか、わからなくなってしまう。

 わたしがずっとメイクをしなかったのは、本当は、ありのままのわたしがいちばんかわいいだろ!と思っていたかったからだ。小説を読み、書くことで、自分だけのかわいいを守れると思っていた。
 それでもまわりのみんなと比べて、正解のかわいいと異なるところに一個ずつ透明なチェックを付けてしまって、そうしてそのチェックが溜まって溜まって、耐え切れなくなって、せめてメイクでもしないではいられなくなった。
 メイクをするとずっとうやむやにしていた自己肯定感の低さがまぎれて、だいじょうぶ、わたしは正解のかわいいに近づいている、と思えて、不意打ちであらわれる鏡にも怯えないで済むし、かわいい服屋さんにも臆せず入れるし、ひとりでコスメショップにも入れるし、その服かわいいね、と言ってもらったら、なんの謙遜も逡巡もせずに、でしょう?と言える。だから、これでよかった。これでよかった。

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