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そういえば女子高生作家だった


 高校生のときにちいさめ(と言ったら失礼だけれど、そんなに大手ではない)文学賞で賞をもらって、本を出してもらったことがある。新進気鋭の女子高生作家、だったことがある。身元、まあべつにばれてもいいのだけどあえてここで当時の名義を出さないのは、いま書いている純文学系の作品と当時書いていた作品の方向性がぜんぜん違うから、お互いの作品には影響を及ぼさないほうがいいんじゃないかなと思っているせい。それでもこんなnoteを書いているのは、ちょっとでいいから注目されて、いまのわたしが書いているものを、ひとりでも多くのひとに読んでもらいたいと願うせい。
 女子高生という言葉が好きなひとが、あるいは、嫌いなのにどうしても意識してしまうひとがいると知っているから。


 女子高生作家だったわたしは、毎日女子高生作家ごっこをしている気分だった。
 始業時刻の一時間前に登校して、電気のついていないパソコン室に忍び込み、モニターの明かりだけを頼りに小説を書いていた。重たいパソコンが起動するまでは、その日に小テストのある英単語帳を見ていた。窓の外が明るくなって、本格的な朝を迎えていくのを、わたしは毎朝パソコン室で感じていた。5時間目にパソコン室で授業がある日も、昼休みのうちに来て書いていた。授業中は板書をうつすふりをしてノートの端に小説のネタを書き溜めていた。放課後の部活の時間も、部誌の原稿はさっさと書き終えてしまって、自分の小説を書いていた。部活のない日もパソコン室に来て、パソコン部員たちが駄弁っている横でひとり小説を書いていた。下校中の自転車で次の展開を考えて、帰ったらすぐにノートパソコンをひらいていた。朝5時に起きて7時に家を出るまでの2時間だけを、いちおう勉強の時間としていた。

 女子高生作家になってよかったこともわるかったことも、いろいろある。

 女子高生作家になっていちばんよかったのは、たぶん、ほかの高校生作家にむやみに嫉妬しなくなったことだ。賞をもらうまでは、同世代なのに自分より面白い小説を書くひとがいることが、眠れないほど許せなかった。応募した文学賞の結果発表が近づいてくると4時ごろには目が覚めてしまい、発表日はまだだと知っているのになんども賞のホームページを確認しにいってしまう。
 その急いた気持ちが、急激に和らいだ。妬む側から、妬まれる側になったからだ。理不尽な嫉妬を向けられるより、眠れなくなるほど他人を妬んでいるときのほうがずっとつらかった。
 さいきん自分より年下のデビューを知ることも少なくないけれど、大人になったせいもあるのか、もう嫉妬は湧いてこない。面白そうなら読むし、面白かったら面白かったなと思うし、面白くなかったら面白くなかったなと思う、それだけになってきた。こんなすごい作品を高校生が書いたのか、すごいな、と感心する気持ちのはしっこで、そういえばわたしも16歳でデビューさせてもらったんだっけ、すごいな、と思い出すだけ。

 よくもわるくも、小説を書いているわたしを公認してもらえたのも大きかった。わたしが本を出したことを、学校中が、町中が知っていた。(町中はさすがに誇張だけれど)、いろんなところで噂されているらしいのを人づてに何度も聞いた。賞をとって、本を出したわたしのことを、大人たちはいっせいに肯定しだした。読んだひとも読んでいないひとも。わたしはもっとずっと前から、小説を書き続けていたのに。

 わたしの通っていた高校はいわゆる自称進学校だった。君たちが日常がんばっているのはなんだ、勉強だろう、勉強で勝負するんだ、推薦なんてあると思うな、が口癖の進路指導の先生に休み時間、〇〇さんは推薦入試でいけそうだよね、と言われた。あなたがそれを言ったらだめでしょう、と思いつつ、とりあえず笑って濁した。ずっと2校で迷っていたので、大学は一般入試とセンター利用入試で受けた。

 一日中小説を書く生活が許されていたと同時に、高校時代のわたしのキャラは、小説だけで完結していた。クラスメイトから投げられる雑談の種は、おすすめの小説は? いまなに読んでるの? いまなに書いてるの? 印税ってどれくらい入るの? サイン書いてくれる? つぎはいつ本出るの? のバリエーションだった。実際、わたしは小説の話にしか興味がなかった。アニメにもアイドルにもコスメにも興味がなかった。クラスメイトの恋バナには、本当はちょっとだけ興味があった。
 受賞が決まってから卒業するまで、学校でのあだ名がずっと”文豪”だった。”文豪”として解釈すれば、みんなのなかのわたしは簡単に完結した。
 〇〇さんはやりたいことが決まっていていいね、と言われた。わたしのやりたいことは小説を書くこと、ただそれだけだと思われていた。わたし自身もそう思っていた。そう思うことにしていた。
 いまでも、わたしを紹介するときに使われる肩書は、出版経験のある〇〇さん、作家の〇〇さん、だ。
 でも冒頭にも書いたように、当時書いていたものといま書いているものはぜんぜんちがう、いまだに自分が作家という肩書とともに紹介され、相手に驚かれるたび、高校時代に剣道部だったなんて意外だね、と言われるのに近い気分になる(剣道部は例。わたしは文芸部。なんの意外性もない)。わたしだけずっと、過去の肩書で紹介され続けている気持ち。

 ああそうだ、女子高生作家になってしまったせいで単純に非常に面倒なことが一個あって、それは新人賞に応募していいのかどうかよくわからないことだ。過去作とは関係なく評価されたいので、ここ数年は一から文学賞に応募して、は、落選し続けている。ジャンルがちがうから新人扱いになるはずだ、という先生たちからの助言を信じているのだけれど、一度も予選を通らないのが単純にわたしの力不足なのか、そもそも応募規定に反しているとみなされているためなのか、わからないまま応募を続けている。応募要項に関する問い合わせは受け付けていないようなのでずっと暗中模索。まあたぶん力不足だろうなってわかっているから、応募しつづけているんですけれど。
 エンタメ系ならわかりやすく応募資格不問って書いてあるところもいくつかあるのに。中途半端にデビューしてしまったせいで五大文芸誌の新人賞に応募する資格さえ永遠に失われてしまっただなんて信じない。

 こうして書いてみて気づいたけれど、わたし当時のことけっこう忘れているな。当時は、いまが人生のピークかもしれない、こんな幸運なことわたしの人生にもう二度と起こらないかもしれないからこのすべてをぜんぶ覚えておこうって思ってたのに、もういろいろ記憶から零れ落ちている、いま書きながら考えた感情や言葉を勝手に乗っけてしまっているような気がする。

 幸福だった思い出を思い出さなくなるくらいに、いまがちょっとずつ幸せだったらいいのかも。わたしは、そういえば女子高生作家だった過去があるだけの、ふつうに作家志望の大学生です。


本当はこっちだけ読んでくれればよいです

 さーて、本当はこれが書きたかっただけ。宣伝!
 11月11日(土)、文学フリマ東京37に出店します。
 N-42。第一会場。純文学カテゴリです。(幻想文学を意識して書いたのですが、ファンタジー・幻想文学カテゴリだとファンタジー色つよめの作品が多そうなのでちょっと違うかな、と思い純文学のほうにしました)。

 人形をテーマにした中編小説と、松濤美術館の〈私たちは何者? ボーダレス・ドールズ〉展のレポートをまとめて一冊にしたものを販売する予定です。別名義の商業出版作2作は持っていくかどうか悩み中。

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