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エッセイ「おいしそうに食べるひと」

 おいしそうに食べるひとに憧れる。食べものを前にして目を輝かせ、大きく頬張って、幸せそうに咀嚼するひとに、どうしても惹かれてしまう。じっと見つめてしまう。

 おいしそうに食べるひとが好きです、と言うひとを見ると、ああ、そうだよね、と思う。そして、敵わないな、と思う。

 わたしはたべるのがおそい。ひとつの食事を済ませるのに、30分から1時間ほど要する。どうやらひと口あたり100回くらい噛んでいるらしい。それくらい噛まないと居心地がわるくて、喉の筋肉をフル稼働させないと飲み込めない。咀嚼しているうちに歯も顎も疲れてきて、食事しながらなぜだか体力を消耗している。味わうことよりも、無事に器を空にすることに意識を集中させている。食べものを残すのはわたしの美学に反するため、どんなに疲れてもかならず最後のひとつぶまで、気を張り詰めて、食べきらねばならない。

 決して少食ではないはずなのだが、そうして息も絶え絶えになりながら食事を続けるわたしへ、一緒に食事をしている相手から掛けられるのは、だいじょうぶ? 無理しないでね。ゆっくりでいいよ。多かったかな。と、まるで病み上がりのひとへ向けるかのような言葉ばかりだ。わたしはそんなに苦しそうに食べてるんだろうか。目の前でそんな食事を展開してしまっているとしたら、とっても非常に申し訳ない。

 おいしそうに食べるひとに憧れる。一緒に食事する相手に心配されないひと。一緒に食事するのが楽しくなるひとに。

 そんなわたしでも、「あなたは本当においしそうに食べるねえ」と微笑ましく見守られたことはあって、それは好きなひとと食事しているときだ。好きなひとの前ではわたしも「おいしそうに食べるひと」になれているのかもしれない。それならそれだけでもう万事オッケーなんじゃない?

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